二節 〜不穏な波紋〜 *閉ざされた森にて side森の主
*閉ざされた森にて side森の主
翌日の早朝、一晩中降り続いた雨が止んだ。雲の晴れ間から太陽が顔を出し、陽の光が木漏れ日となって大地に降り注ぐ。
葉の上に残る水滴がそれを反射して輝いている。
昨日の雨でより元気になった植物達は、今度は日光をその身いっぱいに受けて光合成しようと、目一杯に体を広げているようだった。
昨日の子狐達は目を覚ますと、我先にと勢いよくうろから出てきて、そのままあたりを駆け回り始めた。
鳥達は木の枝に止まり、軽やかに歌を歌う。
雨上がりは、いつもよりも森に活気が溢れる。
我も、植物達がより活発になったおかげで体がいつもより軽く感じる。
『おはようございます、主様』
深い青色をした空のカケラが降ってきた...かのように見えたのは、同じく深い青色の翼を持った御付きが、颯爽と上空から降下してきたからだった。
『早く目が覚めたもので、少し空を飛び回ってまいりました』
そう言いながら我の目線の高さにある木に止まると、羽を伸ばした。
森の朝は早い。日が昇り始めれば、動物達は次第に目を覚まし始める。だが、その中でもこの御付きはかなりの早起きだ。
いつも我よりも早く目を覚ましては森を飛び回ってくる。
『少し遠いのですが、ここから東の方に飛びますとね、山葡萄が生えておりまして。昨日の雨でより元気になったのでしょう、あと数日で食べ頃です』
「そうか、それは楽しみだな」
『あとですね、そこから少し離れたところに、アケビの木がありましてね。見た所、もう熟しているようだったので、このあと仲間と取ってこようかと』
御付きは生き生きとして話し続ける。これもいつものことなのだが。
彼は森を飛び回ってくると、森の様子を我に教えてくれる。まぁ、その大半は食料に関することなのだが。
普段我はあまり動かない。そのぶん、御付きを筆頭とした森の者達が目となり足となる。
...といっても、我の目には千里眼というものが備わっている。だから別に力さえ使えば、この場からでも森のほとんどを見渡すことはできる...のだが、何かあってもむやみに動き回るわけにも行かなければ、我が全てを彼らに教えてしまっても彼らのためにはならないわけで...。
それに、千里眼に限ったことではないが、我が力を使うと漏れ出した力によって森が震える。
無駄に使っていると、単に森の子達を怯えさせてしまうことになる。
ということもあって、何かあった時以外はなるべく使わないようにしている。
千里眼を使わず、他の力も使わないとなると、我はここからほとんど動かずに大木のように居座るわけで、やはり今の形におさまるのだ。
そうして森を偵察してくると同時に、彼らは森で見つけた木の実などを我の元へ運んできてくれる。
いくら光合成で養分を得ているとはいえど、それだけでは賄えない...こともある。何より口寂しい。彼らの運んでくる物は、我の楽しみの一つだった。
このあとは久しぶりにアケビが食べられるらしい、ありがたいことだ。
巨体の我には、木の実などはとても小さなもの。だから彼らはその身に合わない膨大な量の食料を手分けして運んでくる。
それでも、我には足りぬのだが。
しかし我は少し味見程度に食わせてもらえるだけでいい。残りは毎度、彼ら自身が食べるように促している。
もともと、我が満足できる量の食料を彼らが運んでくることなどできぬのだから、仕方がない。
単に生きながらえるだけなら、光合成だけでどうにかなる。これはちょっとした菓子のようなもので、果実やきのこ...様々な味を楽しめればそれでいいのだ。
『では、行ってまいりますね。ついでに先ほど見てこれなかったあたりの見回りもしてまいります』
そう言うと、御付きは一際大きく鳴いて仲間を呼ぶ。そしてそのまま空高くへと飛び立った。
一斉に鳥達が羽ばたき、森に羽の音が響き渡る。
我はその音を聞きながら、他の動物達と共に、彼らが持ち帰ってくるであろう御馳走に期待して空を見上げるのであった。
*湖のほとりにて side御付き
青く澄んだ水が、風に吹かれてさざ波を立てている。陽の光を浴びてキラキラと輝く水面に広がる波紋は、湖をより美しく見せている。
この森の中で、多分一番大きな湖はここだろう。
少し歪んだ楕円型をしたこの湖は、主様が余裕で入れるほどの大きさで、森の大事な水源だった。
周りの木々は、他の場所のものよりも元気に育っている。水が豊富で、なおかつ日当たりのいいここは、植物が育つには適した地だった。
木の実や果物も、この辺りには沢山自生している。我々にとっては綺麗な水と魚、そして新鮮な木ノ実やきのこなどが取れる最高の食事処なのである。
『見えてきましたね』
「そろそろ高度を下げましょうか」
目的のアケビの木が見えてきた。少しずつスピードを下げ、高度も下げて行く。ちょうど手前にある木が留まりやすそうだ。
手前に生えるアケビの木めがけて、ゆっくりと降り立つ。私に続いて、仲間達も各々留まりやすい枝に留まる。目の前にはたくさんの熟したアケビ。
綺麗な、濃い紫色...まさにこれをアケビ色と言うのだろう。大きく、綺麗に育っている。アケビには独特の強い香りは無いから、顔を近づけても特に匂いはしないのだが、美味しそうな見た目に食指を動かされる。
周りの実が段々割れ始めているから、収穫どきだろう。割れたものはどんどん虫や動物達に食べられてしまうから、割れる寸前のものを持ち帰るのがちょうどいい。
熟し具合を確かめる...という言い訳をして、近くにあった割れたアケビの実を一口つついて食べてみる。すると、口の中に独特の味が広がる。
強い甘み...などがあるわけではない、非常にあっさりしていて淡白な味なのだが、美味しいのだ。好き嫌いは分かれるかもしれないが、少なくとも私や主様はもちろん、森の仲間達は大好きだ。
今年の実もいい出来だ。よく熟してて美味しい。これなら主様も喜んでくださるだろう。
仲間達と手分けして、大きい実を選んで摘んでいく。と言っても、一羽につき一個しか持てないから、一羽一個摘んだらそれで終わりなのだが。
仲間達数十羽くらいと共に来ても、一羽一個となると持っていける数は少ない。鹿や熊達にもついて来てもらえばよかったのだが、雨上がりで道中がぬかるんでいるし...と思って我々だけできてしまった。
しかしやはりこれでは少なかったかな...何回か往復せねば。
全員が実を咥えたのを確認すると、再び大空へと飛び上がる。身の丈ほどの大きな実を持っているのだから、先ほどよりも高度も速度も落ちるが、飛べないほどではない。
ゆっくりと低めに飛んで、森の様子を見ながら帰ればいい。
私を先頭にして、仲間達と群れをなして飛ぶ。中には体が小さくて飛ぶのが遅くなりがちな者もいるから、速度に気をつけながら。
『御付き様、あそこにきのこが沢山生えておりますよ』
「おお、では明日鹿や熊達に取りに行ってもらいましょう。我々にはあれは取りにくいですから」
『御付き様、あの辺りの地面を見てください。どんぐりや松ぼっくりが沢山落ちていますよ』
「リスや野ネズミたちが喜びますな。帰ったら穴場があったと教えてあげましょう」
『御付き様、川の水が増えているようですね。いつもより流れが速いし幅が広がっています』
「では、子供達には川へあまり近づかないように注意しなければ」
こうして飛んでいると、様々なものが目に入る。食べ物も見つかるし、注意しなければいけない、危険な場所もわかる。
森は日々変わっていく。同じように見えても、時間の流れと共に様々な変化を見せる。
森は生きているのだ、変わらずに同じものであり続けることはない。だからこそ、毎日こうして見回って森を知らなければならない。
日々変化し、生きている森、その中で生きる私達。共に生きるためには、互いを知らなければそれは成せないのだ。
だからきっと、森は私たちのことをよく知っている。森は私達のことを育み、生かしてくれるのだ。主様も私達の親のような存在だが、森は主様を含めた、森に生きる全ての親なのだろう。なのだから、森は私達のことをよくわかってくれている...のだと思ってる。
私はこの森が好きだ。主様も好きだし、仲間達も大好きだ。みんな家族で、この森は家で、故郷で、やっぱり家族。
こうして皆のために食べ物を集めに行くのも、仲間達と空を飛びながら森を見回るのも、楽しい。日々の日課のようなものだが、やはり楽しいものは楽しいし好きだ。気分がいい。
『どうなされましたか御付き様、機嫌がよろしいようで』
ふと、右隣を飛んでいた仲間にそう聞かれた。どうやら顔に出ていたらしい。
「えぇ、沢山のアケビが収穫できたものですから」
『なるほど』と言って笑う。食いしん坊だとでも思われただろうか?別に事実ではあるから構わないのだが。
そうだ、早くこのアケビを持ち帰って主様達に食べていただかなければ。皆楽しみにしていることだろうし、喜んでくれるだろう。
そう思うと、余計に気分が良くなってくる。思わずくるりと旋回でもしてしまいそうだ。
そんなことをしたらアケビを落としかねないので、絶対にしないが。
しばらくすると、小さな池が見えてきた。ここまで来たなら、あと数分で帰れるだろう。
『もうすぐですね。早く主様に...おや?』
先ほどの右隣の仲間がそう言いかけると速度を落とした。つられて他の仲間も速度を落とす。
そのまま、その場でとどまってホバリングをする。
「どうしました?」
『いえ...何やら、池の水面が大きく揺れているものですから』
池を見てみると、確かに大きな波紋ができている。しかし今日は風は強くない。
できたとしても小さなさざなみ程度、あんな風に水面が揺れることは無いはずだ。
魚や水中の動物が原因というわけでもなさそうだ。
「はて...どうしたものか」
様子を見てみようと、池の方へ降りようとする。
が、降下しようとするや否や、池から少し離れた北のほうの木々が、大きな音と共に倒れるのが見えたのだった。