-第一章-『森の王と深淵の翼』 一節〜森と共に生きる〜 *閉ざされた森にて side森の主
森の長と呼ばれ、この広大で閉じた森を護り、おさめるのが、我という異形の化け物に与えられた役目だった。
十数メートルに渡る体躯、複数の眼、耳や鼻はなく、口は裂けている。ゴツゴツとした骨格を際立たせる4本の腕は苔むしている。
飛ぶことはとっくにできなくなったであろう朽ちたボロボロの羽は、より一層、我を不気味に見せていることだろう。
身体から生えた無数の植物は、巨大な体躯とあいまり、森と同化しているようだった。
森が動いているみたい、小動物たちが以前そう言っていた。事実、我が動けば、その草木も共に動くのだから、その表現は間違っていないだろう。
身体に生えた草木達...それが光合成することで生まれる養分を、我は生命の源としている。また、その草木が育つことで助かるのは我のみではない。
我の身を住処にし、餌場とする者達もいるからだ。小鳥やリスなどの小さな者達は、我の身に住み着き、苔や木の実を食べる。そして、我の元にいることで安全に生きることができる。
もちろん、そのぶんのお返しを彼らはしてくれる。彼らは時折、我の元に新たな命を運んでくる。それは小さな植物の種であったり、花粉であったり、彼らの子供であったり...。
それが芽吹くことで、我の身の植物が絶えることはない。それが育まれることで、この森の命は途絶えない。
森を護るのと同時に、森に生きる者達を支え、支えられる。いわば、我はこの森と共に生きているのだ。
この森は我の一部であり、我はこの森の一部。
この身が朽ちるまで、この森と共にあることを、我は誓ったのだ。
『主様、空気が湿っています。じきに雨が降ってくるでしょう』
御付きの鳥が羽繕いをしながら、頭上でそう囀る。
確かに、彼の言う通り雨が降りそうだ。これは久しぶりに、長い雨になりそうだ。
動物達は、いそいそと巣穴に帰り始めた。じゃれあって遊んでいた子狐達は、母狐に連れられて木のうろへと潜る。
木の枝に止まっていた小鳥達は、木の葉の影にある巣へと戻り、集まって暖をとる。
餌を集めていた虫達も、急いで餌を穴の中へ滑らせ、自分たちも穴の中へと消えていった。
我の身にも、外へ出ていた動物達が戻ってくる。
身を寄せ合って、雨が降り出すのを今か今かと空を眺めて待っていた。
御付きの鳥も、我の角のくぼみに身を隠しながら、雨を待っていた。
それから間も無くして、ポツポツと雨が降り出した。それは数秒の間に勢いを増し、無数の雨粒が木々の葉を揺らした。
森に響くのは、雨の音だけだった。ひたすらに降り続ける雨を、森の生き物達はただ静かに眺めていた。
『まだまだ、降り続けそうですね』
御付きがそう呟く。彼の小さな声は、雨音に遮られて余計に聞き取りにくい。それを少しでも伝えようと、彼は角の影から身を乗り出そうとするのだが、雨に打たれてしまい、すぐに慌てて身を引っ込めた。バサバサと聞こえるのは、濡れてしまった羽を震わせ、水を弾いているのだろう。
「あぁ、まだまだ降るさ。もしかしたら、朝まで降り続けるやもしれん」
我の言葉に、狐の子供達がしょんぼりと肩を落とすのが目に入った。よく見ると、鹿の子供も寂しそうだった。遊びたい盛りの子供達には、雨はつまらないのだろう。
「この雨で、きっと森はもっと楽しくなるだろうな」
しょげている子供達に、そう声をかける。すると、彼らは不思議そうに首を傾げた。
「お前達は残念かもしれんが、この森には雨を待ち望んでいた命も多くいる。久しぶりのこの雨が、その者達を育んでくれるだろう。そうすれば、この森はもっと面白く、楽しいものになるだろうな」
彼らには少し難しかったのだろうか、よくわからないといった様子で、子供達は顔を見合わせている。
「つまりな、お前達が好きな木の実の実る木や、今日遊んでいた草花がよく育つと言うことだ。そしたら沢山食べられるし、沢山遊べるだろう?」
そう言ってやると、納得したようで、嬉しそうに顔を見合わせてからコクリと頷き、期待の眼差しで雨粒が降り落ちるのを眺め始めた。
ここ数日、ずっと雨が降っていなかったせいで、我の身の草木もいささか元気がないようだったからな。だが、これで我も安心できる。
肩をなでおろす...なんてことをしてしまえば、雨宿りしている動物達が大騒ぎを起こしてしまうので、下手に動くことはできないが、大地に身を下ろしたまま、我は小さく安堵の息をもらした。
一言で、森と共に生きると言っても、それはそう簡単なことではない。自然というのはとても不思議で、素晴らしく、美しく...そしてとても厳しい環境でもある。
時には、雨が降らずに日が照った日が続き、大地が乾いて草木は枯れる。しかし時には、大雨が続いて、草木の根が腐ってしまったり、土砂が崩れ森を飲み込んでしまうこともある。
ここ数年は、あまりこれといった問題や災害は起きていないが、油断はできない。
我が生きてきた何千年という時の中で、過酷な災害は何度も経験してきたのだから。自然の力には、我も抗うことはできぬ。
できるのは、森を人の魔の手から護ることと、動物達が少しでも危険な目に合わないようにしてやること、森を助け、直し、大きな土砂崩れや川の氾濫を防ぐこと...。
あとは、それらが起こらぬように祈ることくらい。
森の長だとか、守護者だとか...そのように呼ばれようとも、所詮ただの異形、神ではない。
完全な守護者となることはできないのだ。
『主様、どうなされましたか』
「何でもない。少し考え事をしていただけだ」
我の顔を覗き込もうと、再び身を乗り出して雨に濡れてしまった御付きが目に入る。
慌てて戻っては水を払い、しかしまた気になって身を乗り出し...御付きはしばらくそれを繰り返していた。
「...これ、体を冷やしてしまっては毒だ」
そう言いながら、我は身に生えた蔓を伸ばし、鳥の頭上に葉を持ってきてやる。そして、蔓に乗せて今度こそ、しっかりと我の眼前まで連れてきてやる。
『申し訳ありません、主様が寂しそうに見えたものですから』
珍しく申し訳なさげに縮まこる御付きに、我は笑ってしまった。
「なに、心配してくれたのだろう。謝ることはないさ」
『そうでしょうか』
「そうだとも」
すると、御付きは安心したように羽を膨らませた。
「我は寂しそうに見えたか」
『えぇ、私の見間違いかもしれませんが、そう見えました』
「...そうか」
寂しそう、と言われると少し違うかもしれない。
ただ、完全な守護者になれないことが、少し虚しく感じただけだ。
彼らよりもはるかに巨大で、はるかに強大な力を有しているのにもかかわらず、彼らを完全に護ってやることは成せないのだと思うと、どこか虚しく感じるのだ。
それがこの子には、寂しそうに見えたか...そうか。
『主様、寂しくなどありませぬぞ。私どもは主様と一緒におります』
沈黙を肯定と捉えたのか、御付きはちょんちょんと跳ねながら我にそう説き始めた。
『主様は、私どもの長であり、守護者であり、親のようなものだと私は思っております。だから、種族は違えど、主様とこの森に住むもの達はみな仲間であり家族なのですよ。だから、寂しいことなどなにもありませぬぞ』
自分よりもはるかに小さな存在に、慰められ、励まされてしまうとは。小さな身に合わず、このものは大きな器を持っているなと、感心した。
「そうか」
『そうですとも。だから私も、主様と共に暮らせているので寂しいなどと思うことはありませぬ』
励まされたと言っても、我が思い悩んでいたこととは筋違いの話なのだが、そんなことはどうでもよく思える。
変に考え込み、自分の無力さを嘆くよりも、今自分に成せること、成せていることを見よう。
それで、少しでも彼らの助けになってやれればいい。
なぜか得意げに話す御付きを見つめながら、そう思った。