バレンタインin自宅 前編
「ただいま」
自宅の玄関に入ってそう声を出すものの、返事はない。
鍵は開いていたし、靴もあるので……。
家にいるのは間違いないのだが。
「理世ー?」
再度呼びかけるも、やはり返事はない。
ただ、長く一緒にいると気配は感じ取れるし、行動パターンもなんとなく読めるようになる。
そんなわけで、勘に任せてリビングへ。
「理世?」
扉を開けると、制服姿のままの理世を発見した。当たりだ。
しかし、なにやら様子がおかしい。
「兄さん……」
「ど、どうした?」
思いつめたような顔をして、椅子に座っている。
学校でなにか、嫌なことでもあったのだろうか?
「私、色々考えたんですよ……? 忌々しくも、今年は兄さんに贈られるチョコが増えると思って。ゲームのお友だちもみなさん、なんの縁かゲーム外でも交流がありますし……学校でも、生徒会役員に選ばれましたから。もちろん兄さんならば、選ばれて当然と思っていましたが。生徒会の後輩に慕われているそうですね? いくつもらったんですか? そのバッグの中に、いくつチョコが入っているのですか……? ふふっ、いいんですよ気にしなくて。全て義理チョコなのでしょう? そうですよね? そうに決まっています」
「お、おい……?」
かと思ったら、怒涛の勢いで話しはじめた。
俺の通学鞄が八つ裂きにされそうな雰囲気だったため、理世から遠ざけるように背後へ。
そのまま後ろに置く。
「私のチョコは本命チョコです。いつだって、兄さんへのチョコは本命チョコです。でも、チョコばかり食べて兄さんが体を壊したらどうしよう? って。私、心配です。とてもとても心配です。胸焼けなど、していませんか?」
「だ、大丈夫だ。そうだな、健康は大事――」
「ええ。ですから、チョコ以外のものを差し上げるのはどうかなって。妙案ですよね? それなら、やはり兄さんが好きなコーヒー? それとも、血糖値への効果が高い緑茶? いっそ食べ物から離れるべき? などと、多数の案を検討しました。ですがいくら考えても答えは出ず……楓ちゃんには、考えすぎだと笑われる始末」
「――うん。兄妹だからって、俺の悪いところは真似しなくていいからな?」
明らかに考えすぎである。楓ちゃんの言う通りだ。
優柔不断を発揮している時の俺の思考にそっくりだ。
これはよろしくない。
「と、色々……どうすれば私の気持ちが伝わるのかと。本当に色々と、悩みに悩み抜いた結果」
「もう既に、気持ちは痛いほど伝わってきているけど」
「最終的に、どうして私が他の女どもの……失礼。義理チョコに気を遣わないといけないんですか? という結論……いえ。真理に至りまして」
あ、急に極端な方向にシフトしたな。
そのほうが理世らしいといえば理世らしい。
ちょっと圧が怖いけど。
「そ、そうか。真理か……」
「はい。私の気持ち、受け取ってください」
そう言って、理世はキッチンに用意していたらしいトレイを持ってくる。
トレイの上には色が暗めのチョコと、カップの中で湯気を立てる――。
「おお……コーヒーとチョコ」
「私の兄さんへの気持ちは、砂糖1000杯を入れたチョコやコーヒーでも足りないくらい甘いのですが……」
「それは甘いな……」
「ラグドゥネームより甘いですよ?」
「砂糖の三十万倍より上かぁ。それはやばいな……」
そして誰がわかるんだよ、そんな化学畑の用語。
砂糖の話なら、高級な和三盆とかのほうが印象よくないか?
こういうところ、普通の兄妹の会話からはズレている気がしてならない。
「今回はぐっと気持ちを抑えて、ビターチョコにしてみました。コーヒーの淹れ方は我流なので、味に自信はありませんが……」
お、最初のほうの話に繋がったな。
理世は色々と悩んだ末に、俺の体を気遣ったチョイスにしてくれたようだ。
「……ありがとう。理世」
「!?」
気がつくと、俺は理世を抱きしめていた。
深く考えての行動ではない。
むしろ、やった直後に「あ、まずい」と思った程度には衝動的な行動だった。
腕の中で小さな体が震え、動揺しているのが伝わってくる。
ついでに俺も、自分自身のしでかしたことに動揺している。
「え、ええとだな……すごく嬉しいよ。ありがとうな」
「!!!?!?!?!??」
悩んだ過程も、理世らしい選択と結論も。
毎年のことなのに、これだけの熱量と気持ちを変わらず持ってくれている。
抱きしめたのは失敗だった気もするが、感謝の気持ちに偽りはない。
俺は幸せ者だ。
「あの、兄さん」
「あ、ごめん。悪かった。苦しかったか?」
「違います! ……もう少し、このままでもいいですか?」
「い、いいけど。せっかく淹れてくれたコーヒーが冷めちゃうだろ」
「少しでいいんです」
腰が引けた俺の態度に反発するように、あるいは拗ねたように。
今度は理世のほうから、力いっぱい抱きしめ返してくる。
「……ふふ。ふふふふ」
「……」
理世は緩む表情を隠すことなく、そのまま小さく笑いだす。
そこまではよかったのだが……。
「……すんすん。すー、はー」
「ちょっ!?」
急に匂いを嗅ぎだしたので、俺は慌てて身を捩った。
……あれ、全然解けない。なぜ?
かつてないほど強い力で、理世が俺を拘束してくる。
その直後――
『ピンポーン』
「「――!」」
――来客を告げる電子音が、静かだったリビングに大きく響く。
誰かに見透かされているようなタイミングに、理世と顔を見合わせていると……。
『ピピピピピピピピンポーン』
「うるさっ!? 未祐だな!?」
「ちっ……」
対応を急かすように、インターフォンの呼び出しボタンが激しく連打された。
これ幸いと、俺は理世のホールドから脱出した。
今度は逆らわずに、強くつかんでいた腕を解く理世。
一言告げて、俺はリビングを出ると玄関ドアを開けた。
「おい! 連射するなって前に言ったよな? 十六回も押すな!」
「いるのに、すぐ出ないのが悪い! 次に居留守を使ったら、連射で西瓜のように額を割るからな!」
「え!? んなことできんの!?」
「できらぁ!」
ギャーギャーと互いに騒ぎつつも、隣家の迷惑にならないよう二人で中に入る。
未祐も家に帰ってからすぐここに来たようで、服装は制服のままだ。
「ん!」
「お?」
玄関ドアを閉じて程なく、未祐がぶっきらぼうな態度でなにかを差し出してくる。
……まあ、ありがたいことに。
本当は「なにか」なんてとぼける必要はないのだが。
「受け取れ!」
包みは透明なもので、中身が見えるようになっていた。
ハート型の茶色いチョコの上に、ホワイトチョコを使って「ド本命」と書かれている。
なんというか……いっそ清々しいシンプルさだ。
じっくり見る間もなく、未祐はそれを押し付けるように渡してきた。
「あ、ありが……重っ! ていうか、でかっ!」
受け取った瞬間、ずっしりとした重量感が両手に伝わってくる。
去年も大概なサイズの未祐チョコだったが、今年は更なるパワーアップを遂げていた。
「私の気持ちを具現化させたらこうなったのだ! 仕方ないだろう!?」
具現化……なるほど、言われてみれば。
未祐そのものみたいな、気持ちがストレートに伝わるチョコだ。
「……ありがとうな」
だから俺も、感謝の気持ちをその一言だけに全て込めて返した。
果たして、それが伝わったのかは不明だが……。
「……うむ」
腕を組み、返事をしつつそっぽを向く未祐。
耳が赤くなっていることには触れないでおこう。
……しかし、この大きさでは到底、学校には持ってこられないな。
さっき学校で声をかけた際の反応も納得だ。
余裕で直径五十センチは超えていそうな、遠近感がバクる特大チョコである。
「……さて。チョコも渡したことだし、亘のバッグを漁りに行くか」
「ちょっと待て」
照れ隠しにしても、不穏すぎる言葉を放ちながら去ろうとする未祐。
さすがに見過ごせない。
肩をつかんで引き止めると、まだ赤さの残る顔をこちらに向けて睨んでくる。
「なんだ!? 邪魔をするな!」
「なに、事もなげに無法を働こうとしてんだ。許可してねえぞ」
「許可などいらん! どうせ今年はチョコいっぱいなんだろう!? この八方美人め!」
「誰が八方美人だ。人並み以上に身内贔屓な男だぞ、俺は」
俺が外面をよくしているのは、元々は周囲に隙を見せないための威嚇のようなものだ。
特に俺たちの場合、小学生時代が――いや、どうでもいいな。
「……とりあえず、お前もリビングに来いよ。理世がコーヒー淹れてくれたんだ。冷める前に飲みたい」
「む、先を越されていたか……おのれ」
「二人のお茶は、それを飲み終わった後に俺が淹れるからさ」
「紅茶がいい!」
「はいはい。了解」
今は環境的に恵まれている。
その上で態度を変えていないのだから、もうこれが自分の素なのだろう。
さあ、戻って三人でおやつの時間だ。