バレンタインin学校
バレンタイン当日、早朝の学校。
人が増えつつある教室内には、様々な感情が渦巻いている。
そんな不安と期待、欲望・希望・失望が入り混じる中で、俺は……。
「うぅむ……」
チョコ作りを手伝った女子が無事に手渡せるか、更には思いを成就できるかどうかでソワソワしていた。
そう、胸に思いを秘めた女子にとっては決戦当日である。
……そこで、なんとなく予感めいたものを感じた俺は窓際へと移動した。
「あれは……」
窓から見えた体育館への連絡通路、そこで緊張した様子の女子が男子生徒と一緒に歩いていく。
このまま見ているのはマナー違反なのだが、どうにも目を離せない。
知っている女子だ……同学年で別クラスの田中さん。
彼女は料理部のチョコ講座に参加、その後は俺に色々と相談を持ちかけてきた子だ。
これは行方が気になる……。
「わ、速攻ね。こんな早朝に……」
「そこは朝しか会えないとか、接点が少ないとか。各人都合が――って、佐藤さん?」
「おはよう」
隣に立った佐藤さんは、そのまま俺と同じように眼下に視線をやる。
共犯者ができてしまった。
それで心強くなった、というわけではないのだが。
そのまま経過を見守っていると……。
「「あっ……」」
田中さんが走り去っていく。
チョコは渡せたようだが、照れた末の行動というよりは……。
むしろ、あまりよくない想像をさせる雰囲気だった。
ここまで声は聞こえないし遠目なので、断定はできないが。
「あー……まずかったかな? マナー違反よね?」
「……だとしたら、俺も同罪だから」
悪いところを見てしまった、という様子の佐藤さん。
その横で、俺はスマホを出してメッセージを送り始めた。
「……なにしているの? 岸上君」
「あの子の友だちに、フォローのお願いを」
「へ? ……あ、あー、そういう。岸上君、動きが女子よね……」
「え?」
「なんでもない」
佐藤さんのつぶやきは気になったが、今はそれどころではない。
確か、告白相手は三年生だったよな……もう三年生は受験などに伴う自由登校化で、相手によっては会える機会が少ない。
だから田中さんは早朝に思いきって声をかけたのだろう。
先輩が午後まで学校にいる保証がなかったから。
「あ、返信が……」
やはり返事は芳しくなかったようだが、いくつかアドバイスを送っておく。
返信相手はそのまま、本人ではなく田中さんのお友だちだ。
田中さんはあんまりメンタルが強いほうではなかったはずなので……とにかく、なるべく一緒にいてあげてほしい旨を。
それから、告白した相手に気持ちが残っている場合を考え、決して先輩の悪口は言わないようにと伝えた。
私見だが――断った相手を悪者に仕立て上げつつ、慰める。
そんな手法を取ってしまうケースは多いのだが……田中さんの惚れこみ具合はかなりのものだったので、それでは友だちと喧嘩になる可能性がある。
過去、何度かこのパターンには遭遇した。
田中さんとその友だちの場合は、気をつけないとこれに当てはまりそうだ。
最後に……。
「まだ諦め切れない気持ちが残っているなら……卒業後でも使える相手の連絡先を確保されたし、と。頑張れ、田中さん……!」
「岸上君」
「はい?」
事前の相談が熱心だったため、こちらも熱が入ってしまった。
お相手も悪い噂を聞かない人だし、調査によるとフリーらしいし。
佐藤さんの声を契機に、狭まっていた視野と肩に入っていた力が戻る。
「お疲れさま。はい、チョコ」
「お」
佐藤さんから一口サイズの小さなチョコを渡された。
言われずともわかる。
これは「義理チョコ」である。
「ありがとう。うん、甘い」
「食べるの早っ」
「いいんだ。たった今、頭と心が疲れたところだから」
「そうね。メンタルやられるわよね、そういうのの対処って」
受け取ったその流れで、包装を解いて口に入れた。
勘違いもなければ、互いに気負いも必要ない関係だからできることだ。
「岸上君が相談相手に選ばれやすいのってさ……」
「うん?」
「恋愛マスターだから、とかじゃなくて。一生懸命応援してくれるからよね」
「そりゃ、経験豊富かというと皆無だし。他にできることがあるかっていうと、特にないから――なに? 佐藤さん。俺でよければ、相談なら乗るよ」
「う、ううん、いらない。私は平気」
いらないですか、そうですか。
悪意はないのだろうが、微妙に悲しくなる言い回しだ。
しかし佐藤さん、急に俺を褒めだして……どうしたのだろう?
「……」
「岸上君?」
近くの机を見ると、佐藤さんが普段と違うバッグを持ってきていることに気づいた。
いつもの通学鞄の横に、もう一つある。
もしかしたら、あの中に秀平への――と思ったが、指摘すると意固地になるに違いない。
反応がいいのでからかい甲斐のある相手ではあるが、ここは我慢だ。
「なんでもないよ。それにしても今日、教室に人が少なくない?」
「ああ。運動部が大会だからじゃない? 女子テニスと……あと、野球部だっけ?」
「そういやそうだったね」
野球部は練習試合、女子テニス部は地方大会だったか。
どちらも休日に授業が補填されるため、生徒からはあまり歓迎されない日程だったりする。
特に今回は、バレンタインデーと被るということで……。
「野球部……山本君が嘆いていたよね。チョコ獲得の機会損失だー、とかって」
「馬鹿よね……部活がなかったからって、もらえるとも限らないのに」
「おお、さすが佐藤さん。辛辣辛辣」
「さすがってどういう意味よ」
そういう意味だ。
佐藤さんはちょっと口が悪いところがある。
他の部分はいいところが沢山なんだけどなぁ。
「――あ、そうだ。ちょっと待っていてくれる?」
「?」
なにかを思い出したのか、自分の机に向かう佐藤さん。
通学鞄から目的のものを取り出すと、窓際へと戻ってくる。
「これ、斎藤から。岸上君に」
「斎藤さんから?」
周囲を気にし、若干の小声で告げつつ綺麗に包装された箱を手渡してくる。
そうか、今日は部活動で来ないから……って、それ以前に俺なんかがもらっていいのだろうか?
もちろん、それなりに仲がいいつもりではあったけど。
ちなみに佐藤さんと斎藤さん……仲がいいはずなのだが、なぜか互いを名字で呼び合うのだ。
理由は不明だが、二人を知る人によると昔からそうらしい。
……と、今はそれよりも目の前の箱だ。
「……私にこれを預ける時、ちょっとほっとしたような顔していたのよね。情けない」
「斎藤さんが? 意外。こういうの、慣れているんじゃないの?」
「まさか。自分から好意を示すのは慣れていないわよ、あの子」
「自分からは……」
つまり、相手のほうから好意を示されるのには慣れていると。
こっちはこっちでさすがっすね……。
「ほら、誰かに見られる前に」
「わ、わかった」
早くしまってと急かされ、俺は箱を持って自分の席に向かう。
潰れないよう、丁寧に丁寧に荷物の中に入れた。
直接手渡しでなかったのは残念だが、嬉しさから頬が緩む。
いや、はっきり言えば気持ちの悪いにやけ面だったと思う。
表情が戻るまで少しだけ間を置いてから、再び佐藤さんのところへ。
「ありがとう、佐藤さん。あとで斎藤さんにお礼の連絡しておくね」
「そうしてあげて。できれば試合前、朝のうちに。なるべく早く」
「?」
「きっと気を揉んでいると思うから」
「そ、そうなの?」
さっきのあれが「クラスのみんなに配る義理チョコの一つ」でないことはわかっている。
しかし、どこまでの意味があるかというと……どうなのだろう?
とにかく、言われた通りホームルームの前に連絡は済ませよう。
「……ところで、佐藤さんや」
「なに?」
「斎藤さんに情けないとか言ったけどさ。そういうの、ブーメランにならんの?」
「な、ならないわよ!」
「自分は素直に好意を示せるって? ……本当に? 嘘つかない?」
「しつこい!」
ついつい、嫌がられるのを承知で佐藤さんをからかってしまった。
なにせ、あまりにデカいブーメランだったから……。
それが彼女の額に刺さらないことを願う。
「……あ、そうそう。あれがなにチョコかは、自分で考えてね。持ち前の察しのよさを活かして。私のバッグの中身なんて気にしなくていいから」
「うっ」
だが、そこは佐藤さん。
しっかりと俺に反撃してから、自分の席へと戻っていった。
しかもバッグを見ていたこと、バレているし……勘がいいな。
……なんだか悩みの種が増えた気はするが、これに関しては贅沢な悩みというやつなのだろう。
斎藤さんがくれたチョコの意味、かぁ。