バレンタインPK未遂事件
暴行事件が、という話を井山先輩が冗談めかしつつしていたが。
それが実際にそこら中で起きるのが、ネットゲームの世界である。
いつ起きるのかといえばもちろん、イベントに向けた好感度稼ぎの最中に起きる。
「なんだコラてめえコラ」
「おうコラタココラ」
どこかのプロレスラーじみた問答の喧嘩が、街中で散見される。
二人はそのまま、武力で決着をつけるべく人気のない場所へと消えていった。
シエスタちゃんがコラコラ言いながら消えた方向を指差し、もう片方の手で俺の服を引っ張る。
「先輩。あの人たち、語彙力がー」
「怒りは知能を鈍らせるから……」
「おー。おそるべし、嫉妬デバフ」
「そうだね、デバフだね……」
ちなみに、目当てのNPCの前で喧嘩を始めると好感度が減る。
例外はあるが、基本的にはそうなっている。
だから彼らは移動したのだ。
……最低限の理性は働いている証拠でもある。
あの後は広場で決闘か、はたまたフィールドでルール無用のPvPか、どちらかだろう。
「でも、なんだか楽しそうです」
「まあ、ある意味じゃれ合いみたいなところはあるよね……あの程度なら」
リコリスちゃんのとぼけたような言葉は、ある種的確だ。
本当にどちらかあるいは両方がキレている場合、その場で喧嘩が始まることも少なくない。
真の穏健派は現在、NPCが安全エリアかつ一人でいることを確認してから、好感度稼ぎをしているらしい。大変な手間だが。
……チョコに踊らされる男どものせいで、荒れたサーラの王都。
そこを俺はリコリスちゃん・シエスタちゃんと一緒に歩いている。
「心なしか、いつもより女性プレイヤーが少ないような……?」
「イケメンキャラって、王宮周りに多いしねー。そっちじゃない? ところで先輩」
「なにかな?」
……かつてあったPK優遇イベントよりも、現在TB世界は荒れている。
過去一である。
そんな中、俺たちの用事は取引掲示板で売った物品の精算。
それから、新たに作った生産品の納入が目的だ。
……面倒ごとに関わり合わないうちに、さっさと済ませてしまおう。
「妙にせかせかしていますけど、絡まれる具体的な心当たりでもあるのでー?」
「ないよ?」
「そうですか? いつもは私たちに歩調を合わせてくれるのにー?」
「あ……」
「本当に心当たりはないんですか?」
「……」
いつの間にか、二人にはしんどい歩行スピードになっていたようだ。反省。
それにしても、改めて指摘されると考え込んでしまう。
「……ない……はずだけど」
サーラ王国の『王都ワーハ』は、俺たちがギルドホームを置く場所だ。
必然、親密なNPCも増える。
ただ、他のプレイヤーとぶつかるほど人気のNPCというと限られる。
俺の場合は、例えばク――
「ハインドォォォ……」
――頭の中で名を挙げる前に、恨めしそうな声が思考に割り込んでくる。
「え!? どこです!? どこから聞こえてくるんです!?」
「人、多いからねぇ。でも、今の声ってー」
「う、うん。確実に俺の名を呼んでいたよね……?」
……後から考えれば、この時点で逃げてもよかったのだ。
わざわざ足を止めて、声の主を探してしまうから……。
「みぃつけたぁぁぁ……」
「ひいっ!?」
屋台の影から、恨めしそうに見る双眸と目が合ってしまった。
怖い。
目に光がない時のリィズほどではないが、暗く淀んだ目で見ながらにじり寄られると怖い。
「だ、誰!? 誰ですか!? ハインド先輩!」
「い、いや……知らない」
リコリスちゃんの怯える声を受けて観察し直すも、記憶に引っかかるところはない。
……いや、もしかしたら街中やレイド、あるいは決闘などで見たことがあるような気もするが。
しっかりした高ランク装備とゲーム慣れしている身のこなしから、彼が古参プレイヤーだということしかわからない。
中肉中背、黒髪で同年代、頭上のアイコンを見るに職は武闘家のようだ。
「――ラリスさんの……」
「え?」
誰かの名を呟いた、ということは認識できた。
俺たちが首を傾げると、武闘家の青年は白目を剥きつつ舌を出して近づいてくる。
怖い怖い怖い。ゾンビか。
「クラリスさんのぉ……本命チョコォォォ」
「あー……」
近づかれたことで、ようやく聞き取れた。
そうだよな、俺が他プレイヤーと競合するならクラリスさんになるよな……。
言葉を理解できたことで、少し恐怖が薄れる。
「先輩。この人ー……」
「ああ。言語能力に支障が……じゃなくて」
「クラリスさん目当ての武闘家さんですか……?」
クラリスさんは古参プレイヤー、とりわけスタートダッシュ勢にとって、思い出のショップ店員だ。
序盤のショップ店員なので、末永くお世話になる――かと思いきや、すぐにいなくなるという。
そんな変わった動きをしたので、記憶にも残りやすい。
他国からサーラのクラリス商会本店まで会いに来るプレイヤーもいるほどだ。
新規プレイヤーからしても、今や支店を増やし各国に進出している「あのクラリス商会」の会長ということで、認知度は高めだ。
ごちゃごちゃと述べたが、簡単に言うと――美人で認知度も高いので、人気があるという話。
「タタカエ……俺とタタカエ……」
「た、戦え? ……あの。つまり、こういうことですか?」
このまま目の前の武闘家氏と向き合っていても仕方ないので、どうにか意訳してみる。
ゲーム的には、単に理由を付けて喧嘩したいだけの人も混ざっているが……。
この人は多分、違うだろう。
「クラリスさんの本命チョコが欲しいから、好感度が高いっぽい俺が邪魔と」
「ソウダァ……」
「俺との決闘をお望みで?」
「ソウダァ……闇討ちされナいだけ、アりがたく思えぇぇぇ……」
ええ……PKも行動選択の候補には入っていたのかよ……。
プレイヤーネームの色を見る限り、優良プレイヤーなのに。
そこまでするか? 普通。
「タタカエ……タタカエ……」
「……」
ちなみに。
この人が俺に辿りついた流れについては、簡単に推測できる。
クラリスさんをサーラの王都まで連れてきたのは俺たち渡り鳥のパーティである。
更に遡るなら、グラドを離れるきっかけを作ったのも俺たちだ。
その後の商会立ち上げにも少々協力したというのは、おそらくクラリスさん本人からも聞ける情報である。
俺が絶句していると、代わりにシエスタちゃんとリコリスちゃんが青年に話しかける。
「そういえば、チョコ受け取りには当日ログイン必須でしたねー。負けたら、それをするなってことですか?」
「おぉ……その通りぃぃぃ……」
「負けたほうは潔く引き下がるんですね!」
「まさか先輩だけに敗北条件を適用しないだろうしねー。すごい決意ですねー、武闘家のお兄さん」
「え゛!? ……そ、そうだよぉぉぉ……かわいらしいお嬢さんたちぃぃぃ……」
にこっ、とシエスタちゃんやリコリスちゃんが話しかけた時だけ少し正気に戻る。
俺と話す時には嫉妬という名に彩られた狂気を纏い直す。
怖……いや、慣れて段々と面白いだけになってきた気はするけれど。
察するに、クラリスさんのことだけではなく……。
シエスタちゃんとリコリスちゃん、美少女二人を連れ歩いているのも気に食わないようだ。
こういう時に限ってトビはいないし。
「ちょっと待ってください?」
「ふえっひぃ!? ……な、ナンダァ……?」
俺が声を出した瞬間、びくっと大袈裟に動く武闘家の青年。
……この人、万が一を考えてちょっとビビっていないか?
まあ、こちらが神官の時点で武闘家との一対一に勝てるわけがないのだが。
それだけクラリスさんに入れ込んでいるということなのだろう。
――それはそれとして。
「クラリスさんはショップ店員系のキャラなので……本命――心のこもったチョコも、複数あるのが基本では?」
「――!」
「性格的に考えても、一個ということはないはず。有能な商人って、本音を隠すタイプが多いですから。そう考えると……俺たちがあえて争う必要、あります?」
「………………」
あえて本命チョコという刺激的な名称は避けつつ、そっと告げてみる。
武闘家の青年はしばらくの間、完全に停止していたが……。
やがて動きだすと、先程までの表情はどこへやら。
「――悪かったな、ハインド!」
「い、いえ」
さわやかな笑顔で、武闘家の青年は俺の肩を叩いてきた。
気がついていなかったのか……嫉妬という名のデバフは、とことん知力を低下させるものらしい。
「考えてみたらそうだよな! ははは! そっちのお嬢さんたちも、ごめんな! 怖がらせて!」
「だ、大丈夫です! 怖かったのは最初だけですので!」
「私的には、頭からお尻まで面白かったんでオッケーでーす」
「は、はははは! ならよかった! ――ハインド、お互い頑張ろうな! はははははははは!」
ここまでの痴態を誤魔化すように、青年は高笑いしつつ去っていった。
気力が残っていれば、追いかけていってフレンド登録をお願いしたいくらい愉快な人だったが……今の俺の心情は、一つ。
「はぁ……なんか、どっと疲れた……」
そんな気持ちが残っただけだった。
しかし横で見ていた二人は違った感想を持ったようで、口々に述べてくる。
「男の人の嫉妬って、ああいう感じなんですね!」
「ふーむ。男の嫉妬のほうが怖いって、本当だったんですねー。ねえ? 先輩」
「……そうだね」
リコリスちゃんはともかく、シエスタちゃんはあれが一般的な反応ではないとわかって言っているでしょう?
……取引掲示板が遠く感じる。
頼むから、帰りは誰にも絡まれませんように。