方向音痴とお節介
毎年のことだが、この時期の男子たちの様子は変わらない。
どこか浮足立っている。
無関心を装う者もいるが、見る人が見ればわかるものだ。
それが周囲にバレると、欲望に正直な者よりも格好悪く情けないことになる。
座して待つ者、積極的にアプローチする者と、当日までの過ごし方は様々だが……。
そんな中でも、この男の奇行は指折りだろう。
「……」
一心不乱に下駄箱の掃除をしている。
脇目も振らずに、溜まった砂や渇いた泥を掻きだしている。
いや、それだけなら別段おかしなことはない。
今が掃除の時間なら――ではあるが。
「なに、しているんだ? 秀平」
今は早朝、そしてバレンタインは近いといっても一週間以上も先である。
異常な光景だった。あまりにも異常な光景だった。
そもそも、あの秀平が俺よりも早く登校している時点で異常事態だ。
俺の声に、秀平は弾かれたような動きでこちらを見た。
「……なんだ、わっちか。なにって、決まっているじゃん?」
そして誰なのかを確認した瞬間には、もう掃除に戻っていた。
周囲の気配を察知できないほどの集中に、狂気を感じる……。
「決まっているって言われても。わからんから訊いたんだが? どういう理由でそうなった?」
「えー?」
頼む、例えば急に掃除に目覚めたとか。
せめて水虫が発覚したから清潔にしているとか、そんな理由であってくれ。
そう願う俺だったが……。
「そんなの、シャイな子がここにチョコを入れやすいように――でしょうが! 決まってんじゃん!」
「……チョコって、バレンタインの?」
「あたりきしゃりきよぅ!」
願いはあっさりと打ち砕かれてしまった。
いや、ある意味では期待通りといえるのだろうけれど。
「こんなに早くからか? まだ一週間以上はあるぞ」
「当日だと目立つから、シャイな子が早めに入れられるように」
「どんだけシャイな子に配慮してんだよ」
「もちろん、当日までに勇気が出なかった照れ屋さんのためにバレンタイン数日後までは綺麗にしておく予定だよ!」
「ソウデスカ……」
無駄にならないといいな……とまではさすがに言わなかった。
ちなみにウチの学校、イタズラ・いじめ防止のため下駄箱には個々に鍵付き扉が設置してあるのだが。
当日は鍵を開けっ放しにしておくつもりなのだろうか? こいつは。
「ところで、わっちも下駄箱掃除?」
「んなわけあるか。よしんばそうだとしても、俺の下駄箱は普段から綺麗だ」
「じゃあ生徒会?」
「ハズレ。今日は日直」
「ああ、そういやそうだったね。朝の教室掃除? あれ、マジでやっている人いたんだ」
日直には一応、朝の軽い掃除という仕事が任されている。
位置がおかしい机を直したり、黒板周りの掃除をしたり、ゴミが落ちていたら拾うなどがそれにあたる。
美化委員の仕事と被っている部分もあるので、あくまで努力義務といった感じだ。
はっきり言ってしまうと、サボる人のほうが圧倒的に多い。
「一応、これでも生徒会の副会長だからさ……」
「やらないわけにはいかないと。律儀だねぇ」
「……」
実は副会長になる前からやっていた、というのは言わなくてもいいか。
やったほうがいいことなのは間違いないのに、それを言うと引く人がいるのだ。
秀平になら、別に言っても問題ないとは思うけれど……。
「うー、まだまだ寒いな……」
「そうだねぇ……」
「……」
「……」
「……なぜついてくる」
「え?」
靴をしまい、上履きに履き替えて移動をはじめると秀平も追従してくる。
下駄箱の掃除はもういいのか?
「ほら、教室のロッカーと机の引き出しも掃除しないと」
「……そうか」
いい笑顔で掲げてくる掃除道具が、割と本格的なのが腹立たしい。
なんだその金属磨きは。
そして無駄に種類が多い芳香剤は……香り、香りか。
頼むから、バレンタイン当日に香水べったりで登校! 普段は使わない整髪料もべったり! とかはなしにしてくれよな。やりかねん。
ただ、ロッカーをいい香りにしておくのは賛成だ。
使った後の体操着とか、短時間でも入れておくと臭うからな。
「しかしお前、努力の方向音痴って言葉がぴったりだよな……ズレすぎだろ」
「どどどどど、どこが!? 俺のどこがズレているって証拠だよぅ!?」
「カツラを指摘された人みたいな反応をするな。頭を押さえるな」
もりもりに地毛じゃないか、お前の髪は。
まだ十代だぞ?
……お互い、将来がどうなるかは知らないけど。
「じゃなくて。チョコがほしいなら、もっと他にすることあるんじゃね? って話だよ」
「あ、そ、そうか。わっち、俺どうしたらいい?」
「素直か」
こう素直なあたり、自分でもズレている自覚はあったらしい。
下駄箱やロッカーが綺麗なのは悪いことではないけどな?
「どうするかって、普通に好感度稼ぎでもしてみたらどうだ?」
「好感度って、わっち。ゲームじゃないんだから」
「お前なぁ」
秀平の感覚に合わせてやったらこれだ。
鼻で笑ってんじゃねえ。しばくぞ。
「……で、なんでわっちの掃除の手伝い!?」
机の整列、花瓶の水替え、それから軽い掃除。
来て早々、綺麗に並べた机や椅子を吹っ飛ばす不届き者が必ず発生するが、それは気にしてはいけない。
内心がどうあれ、表に出してはいけない。
この野郎と思っても顔に出してはいけない。いけないのだ。
荒れ放題の場所というものは、人の心をも荒ませる。
だから掃除は、心を清める作業でもあるのだ。
……そんなわけで現在、俺と秀平は教室の美化に努めている。
「まあまあ。お前の言わんとしていることはわかる。いくら掃除したって、気がついてくれる人……というか女子がいないと、好感度稼ぎにならないって話だろ?」
「それ! それだよ!」
俺がこっそり「秀平が掃除していました! 褒めてあげて!」と女子に言って回るのもおかしいからな。
そんなことをしても、きっと冷めた反応が返ってくるだろうし。
「いるよ。気がついてくれる人」
普段から教室の状態に気を配っていて、秀平にチョコをくれそうな人。
心当たりはあるのだ。一人だけだが。
「いる? そんな人。適当言って、俺をいいように使う気じゃ……」
「そんなことねえって。気づいた上で、しっかり好感度に還元してくれそうな人に心当たりがある」
「ええ……? 本当にぃ?」
懐疑心たっぷりながらも、ちゃんと仕事はしてくれる秀平。
いやー、今朝は楽できちゃったな。
せっかくだから、ちょっと窓の拭き残しでも綺麗にしておこうかな。
ムラがすごくて気になっていたんだよな、実は。
「おはよ、岸上君……あれ!? 津金!?」
あ、目当ての人物が来た。
しかも掃除中に……これは好都合。
目当ての人物というのは、クラス委員長の佐藤さんだ。
日直の俺が来ているのは織り込み済みだったようだが、秀平の姿を見て驚いている。
「なんだ、いいんちょか……」
秀平は佐藤さんの姿を認めると「こいつは違うな」と言わんばかりに視線をすぐに外した。
お前ってやつは……。
「津金が岸上君の掃除を手伝ってる……!? 嘘でしょ!? 槍でも降らす気!?」
「うっさいうっさいよ、委員長! 俺は今、大事な決戦に向けての布石を打っている最中だから! 邪魔しないで!」
「……!」
言葉を失い、秀平を指差しながら俺のほうを見る佐藤さん。
うん、驚くよね……急に奉仕精神に目覚めたかのような態度だものね。
でも、事情を聞けばすぐに納得すると思う。
そんなわけで、俺は佐藤さんに包み隠さず経緯を話して聞かせた。
どうせあの状態の秀平には聞こえん。大丈夫だ。
「……ああ、そういうこと。あのアホらしいバカな行動……」
佐藤さんの罵倒語が渋滞している。
気持ちはわかるけれど。
特に下駄箱掃除の件を聞いた辺りの佐藤さんの表情は、筆舌に尽くしがたいものだったし。
「でさ。もしよかったら、佐藤さん。秀平にチョコ――」
「あ゛?」
ひい!? こええ……。
予想はしていたが、ドスの利いた声で威嚇された。
最後まで言わせてもらえない。
「き、気が向いたらでいいんだ。ほら、秀平の女子からの評価って既に地の底だから……」
「それは知ってる。同級生は愚か、先輩にも後輩にも素がバレているから」
「……う、うん」
そこで即答する時点で、佐藤さんが秀平のことを気にかけているのは明白なのだけど。
しかし秀平、このままではきっと誰からもチョコをもらえないだろう。
義理すら怪しい。
もしかしたら、TBの仲間たちは誰かしらくれるかもしれないけれど……。
学校関係はというと、佐藤さんの言葉通りで割と絶望的だ。
秀平は気づいていないが、目の前にいる佐藤さんこそが唯一、チョコなしという地獄に垂らされた蜘蛛の糸なのだが……。
「……あの、佐藤さん?」
「待って。今、考えているから」
俺がチョコという言葉を口にした瞬間こそ拒絶の色を示したが、佐藤さんは迷っている。
言った通りにしばらく悩み、考えた後で……。
絞り出すように、佐藤さんは一言。
「……気が、向いたらね」
灰色の答えを出すと、足早に教室を出ていった。
多分だが、落ち着くために一旦トイレにでも――やめておこう。佐藤さんに失礼だ。
とはいえ、あの態度は脈ありだろう。
本命チョコとまでは行かずとも、義理チョコくらいは用意してくれそうな気がする。
「よかったな、秀平」
「は?」
タイプじゃないのか佐藤さんに対して素っ気ない秀平だが、まさかチョコの受け取り拒否なんてしないだろう。
だから、色々上手くいくといいなぁ……などと考えていると、廊下で会ったらしい斎藤さんと一緒に佐藤さんが戻ってきた。
……うん、なんなら斎藤さんを巻き込むのも手ではある。
佐藤さんと斎藤さんは親友と呼んでも差し支えない雰囲気の仲だしな。
……あれ? もしかしてだけど。
俺、結局は自分からお節介しに行っていないか?