早朝登校とクラスメイト
翌日。
俺は早朝の学校にいた。
「寒い……そして眠い……」
教室内には自分の他に誰もおらず、暖房も点けはじめたばかりで室温が低い。
昨日で冬休みが終わり、今日から三学期になった。
数日前に降ったゲリラ豪雪の雪はほとんどが融けたが、今朝はまた雪がちらついている。
「もう罰ゲームだろ、これ……」
着込んで着込んで内ポケットにカイロも仕込んできたが、それでも寒い。寒い寒い。
生徒会役員の仕事があるので、他の生徒よりもかなり早い登校。
長期休み明け初日ということもあり、やや気が滅入る。
「はぁ……」
仕事内容は単純、校門前に立っての挨拶だ。
なのだが……このままだと一緒に立つ教師に、元気が足りないとか言われそうだ。
生活指導の先生、悪い人じゃないんだけど暑苦しいんだよなぁ。
未祐は担当日が違うので、今ごろはまだ布団の中である。
あいつ、きちんと起きられるかな……?
「あー……」
こういう時は現実逃避に限る。
幸い、まだ時間に余裕がある。
昨夜ゲームで遊んだ際のことを思い出し、気を紛らわせることにする。
持ってきた荷物を自分の机に置き、教卓の前へ。
「ちょっと失礼」
黒板を借りて、TBにおける自分の状況を書きだしてみる。
開催中のイベント概要、その報酬の中で欲しいもの、現在の順位、改善案などなど。
思いつくままに、頭の中を整理するように。
そうしているうちに段々と目が覚めて、チョークを持つ手に力が入る。
ただし書く範囲は小さく、隅っこのスペースにちょこちょこと――
「ふーん。岸上くん、人が見てないところじゃ、そんなことしてるんだ」
「ほあっ!?」
――真横だと!? いつの間に!
イヤーマフをしていたせいか、全然気づかなかった。
「斎藤さん……早いね」
「体育館で朝練をね? この寒さだと、ほとんど罰ゲームだよねぇ」
「ああ。大変だね、部長になると……」
どこかで聞いたような言葉と共に、斎藤さんが手を擦り合わせる。
うちのようなスポーツ弱小校の部活において、部長は雑用係とほぼ同義だ。
きちんとしたマネージャーがいる部活のほうが少なく、単純に仕事が多い役職となっている。
「副会長さんほどじゃないけどね。誰かが率先してやらないと」
「偉いなぁ」
「っていうのは建前。実は、内申点が目当てで……」
「意外と計算高いね!?」
「冗談だよ、冗談」
女子テニス部の雰囲気がどんなものかはわからないが、斎藤さんが部長ならなにも問題ないだろう。
女子は男子以上にグループを作る傾向が強いが、彼女は人の懐に入るのが上手い。
かなり異性からモテるようなので、男女関係のトラブルに巻き込まれそうなものなのになぁ……。
誰かと揉めたとか、そういう話は聞いたことがない。
「それで、これはゲームのお話?」
「あ、これはお恥ずかしい。今すぐ消すから」
思いつくままに書き散らしたので、人に見せられるようなものではない。
魔界とか神界とか、俺の頭がファンタジーしていると誤解されそうな並びだ。
ええと、黒板消し黒板消し。
いい加減、ウチの高校も電子黒板を導入しろと言いたい。
あれならワンタッチで消せるのに。
「待って待って」
と、斎藤さんがいたずら書きを消すのを止めてくる。
それから、書かれた内容をまじまじと見る。
な、なぜ……? すごい恥ずかしい。
「……岸上君がやっているゲームって、トレイルブレイザー? だよね?」
少しの間をおいての問いかけに、俺は少々驚いた。
イベント内容でも知らない限り、直接タイトルに結びつくような記述はなかったと思うのだが。
「そうだけど……どうして?」
「私が前から見ているゲーム実況のチャンネル、最近このゲームやってるんだ」
「おお」
そういえば斎藤さん、ゲーム実況動画をよく見ると前に言っていたな。
忘れていた。
席が近かったり、その都合で秀平との話が聞こえていたりと、俺たちがやっているタイトルを推測する材料は豊富にあったのだろう。
そもそもこれがゲームの話だろうという前提も、そこから得たものだな。大正解。
「その実況チャンネル……何人かの集団なんだけどね? 他のゲームではプロなんだよ。FPSとか、格闘ゲームとか、スポーツゲームとか」
「へえ」
それどこのセントラルゲームス? などと訊き返しそうになった。
他に六・七桁再生クラスの有名実況者は数人いたと思うが……。
TB動画投稿者でプロゲーマーなのは、あいつらだけだったはずだ。
斎藤さんが言っているのは、セントラルゲームスのことでまず間違いない。
「今、面白そうなイベントやっているよね。神界と魔界に分かれて、一部のプレイヤーが幹部になれる! っていうの」
神界の名前を先に出す辺り、本当に件のチャンネルの動画視聴者なんだな。
『天空の塔』の流れから、メディウスたちは神界陣営だ。
当然、今回のイベントでも天界側で幹部をやっているらしい。
そして、もしかして……? という目でこちらを見てくる斎藤さん。
「……お察しの通り、俺らは魔界陣営で幹部やっているよ」
「わあ! すごい!」
「ギルメンがみんなしっかりとしたゲーマーで、優秀だからね。秀平もいるし」
未祐もいるけど……斎藤さんと未祐は、そこまで親しいわけじゃないしな。
特に言わなくてもいいか。
この反応からして、斎藤さんは幹部になれるプレイヤーが少数というのも把握しているようだ。
話を続けるために、細かい解説をする必要はなさそうか。
……それじゃあ、せっかくだから少し話を聞いてもらおうかな。
「でも俺、そういうロールプレイとかって苦手でさ。今一つ、楽しみきれなくて。ぐだぐだと悩んでいるからか、ついこんな行動を」
「それは深刻な悩みだね……」
こんなくだらない悩みに対して、深刻だと斎藤さんは言う。
そして言葉を裏切らない、真剣に一緒に悩んでくれている表情。
いい人かよ。
……いい人だったわ、そういえば。
初めて会ったときから、この人には悪い印象を持ったことがなかったな。思い返してみても。
「よし! ここはプロ動画勢のわたくしが、岸上君にアドバイスしてあげましょーう!」
「お、おお」
またまたどこかで聞いたような単語である。プロ動画勢ってなんだよ。
前にその発言をした子は、きっとまだ夢の中に違いない。
そろそろ椿ちゃんが起こしに行くくらいの時間だろう、うん。
斎藤さんがうさぎの編みぐるみが付いたバッグを置き、両の拳を胸の前で握る。
妙な流れになったな……。
「こういうのって、部外者のほうが相談しやすいってことない?」
「……あるかも。しかも、意外といい意見が聞けたりすることも――ある、かな?」
「でしょう? 話してよ、岸上くんさえ嫌じゃなかったら」
「まさか。嫌なわけがない」
正直、行きづまっているところではある。
斎藤さんなら変に言い触らしたりもしないと思うし、意外とゲーム知識もある。
自分でプレイしている感じではないが、彼女にだったら……あー、これか。
この「斎藤さんだったらいいかな?」と思わせるところがあるから、人に嫌われにくいんだな。
「……」
ちらりと時計を見る。
せっかくの提案だが、今からゆっくり話しこんでいる時間はなさそうだ。
もうそろそろ出なければ。
「……」
時間がないのは斎藤さんも同じなようで、俺に釣られて時計を見た後、ちょっと困ったような顔をした。
寒いし、廊下に出たくないし、斎藤さんとの話は楽しいしで、あまり動きたくないのだが。
ちょうど暖房が利いてきたところなんだよな。つらい。
「……続きは休み時間に話そっか?」
「……うん。そうしよう」
しかし、仕事を放棄するわけにはいかない。お互いに。
そういうわけで、斎藤さん式アドバイスは休み時間に――ということになった。
……まあ、面倒な仕事の後のご褒美ができたと思えば、これはこれで。
俺は今度こそ黒板に書かれた文字を消すと、校門に向かう準備を始めた。