雪解け
リビングに戻ると、ひよりちゃんが小春ちゃんに抱えられていた。
その状態で一つの椅子に座っているのだが、二人とも小さいので落ちる様子はない。
ただ、背が同じくらいなせいで小春ちゃんの顔はほとんど見えないのだが。
「ふふ、すっかりくっつき虫だな!」
「もう離しません!」
「苦しい……」
未祐の視線の先、一層腕に力を込める小春ちゃん。
どうやら仲直りには成功したようだ。
「お疲れさまでした。兄さん」
「ああ。理世も温め直し、ありがとうな」
自分の席に戻ると、置きっぱなしにしてしまった料理が湯気を立てていた。
俺さえ座れば、もう食べ始められるという状態になっている。
早速みんなで手を合わせ、今度は冷めないうちに料理を口に運ぶ。
少しして落ち着いた辺りで、椿ちゃんがこちらに申し訳なさそうな視線を向けてくる。
「亘先輩、お手数おかけしました……」
「いやいや、別に椿ちゃんのせいじゃないでしょ。気にしないで」
「そ、そうですか?」
この家に来てから、ずっと誰かの代わりに謝っている気がするな。
責任感が強いばかりに、不憫な椿ちゃんである。
漬け物食べなよ? と、慰めるように小皿を差し出す。
「しかし、あれだな! 亘がブチ切れる前に仲直りできてよかったな!」
たくあんをポリポリさせる椿ちゃんの横から、未祐が口を挟んでくる。
話しながらスプーンを振り回すんじゃない、行儀が悪い。
「え? そんなに危ない感じだったんです? 妹さん」
「……」
愛衣ちゃんの質問に、理世は応えない。
かといって無視しているわけではなく、返事の代わりに俺のほうに視線を送る。
理世の視線を追い、素直に質問しなおす愛衣ちゃん。
「先輩?」
「……」
「え? なんで無言? こわー」
「ま、まあまあ。いいじゃない、怒らせる前に収束したのだから……」
「そうだね、椿ちゃんの言う通り。みんなも、お母さんが準備したご飯は冷める前に食べようね……?」
にこやかに笑いかけると、その場の全員が激しく首を縦に振った。
これ以上は食事が喉を通りにくくなるということで、愛衣ちゃんが話題を変えにかかる。
「っていうか、椿? さっきからずっとポリポリポリポリしていない?」
「だってこのたくあん、すごくおいしいんだもの……!」
「そっか。自家製だから、褒められると嬉しいな」
控えめな椿ちゃんがこれだけ食欲を剥き出しにするのも珍しい。
嬉しくなった俺は、冷蔵庫やぬか床にある他の漬け物も出して並べていく。
やっぱり朝は和食……と言いたいところだが、今朝は頑張って品数を増やしてある。
この前の連泊で知ったことなのだが、TB仲間の半数は洋食派なのだ。
「朝から和洋揃っていてすごいです! コーンポタージュおかわりしていいですか!?」
「どうぞ。それよりも、食べにくくないの? 小春ちゃん」
「私は平気です!」
「私は食べにくい……」
俺も、まさか二人がくっついたまま食べるとは思わなかった。
食べにくいとは言いつつも、自分から離れようとはしないひよりちゃん。
あー、温かい景色だなぁ。これだよ、これこれ。
「吹雪のせいで外には出られなかったけど、買い置きの食材はあったからね。少しはりきってみた」
「少し?」
「少し……じゃないと思いますが。昨晩の豪華さに引けを取らないといいますか……」
「だよねぇ。先輩の少しはおかしい」
「そんなことないよ。今朝は夜と違って、消化にいいものばかりだし」
愛衣ちゃんも椿ちゃんも、大袈裟である。
できるものをできる範囲で用意しただけだ。
弁当を準備しなくていい分、学校がある時よりも楽なくらい。
今朝はさっぱり系が中心で、油もの、味の濃いものなどは昨晩に回した。
……母さんがいたら、酒のつまみにいいと喜んだのだろうけれど。
「私は朝からがっつり系でもいいのだが?」
「ああ、まあ。本当は朝しっかり、夜は軽くのほうが体にいいんだけどな? お前みたいに、朝から絶好調な子ばかりじゃないから」
未祐だけは今朝のメニューに対して物足りなさそうだ。
ちらりと横を見ると……。
理世が胸焼けしたような顔で、食事を平らげる未祐を見ている。
ここだけはいつもの光景である。
「……あの。マナー違反なのは重々承知なのですが、その」
「あ、写真?」
椿ちゃんがおずおずとスマートフォンを取り出したのを見て、意図を察する。
もうある程度は食べ進めたし、椿ちゃんなら長々と食事の邪魔はしないだろう。
「いいよ。むしろお母さん方も心配だろうし、近況報告も兼ねて“朝はこんな料理でした”って送ってあげて」
「ありがとうございます!」
手をつけていないおかずを集めて、綺麗に並べて――とも一瞬だけ思ったが。
SNSに載せる写真でもあるまいし、あるがままを撮ってもらうとしよう。
栄養バランスには気を遣ったつもりだが……お母さま方の眼鏡に適うだろうか? 少し心配だ。
「ところで、ひよりちゃんはTBのイベント報酬でなにか欲しいものがあるの?」
「?」
話が途切れたのを見計らい、俺はひよりちゃんに水を向けた。
顔を上げてくれたところで、昨夜から気になっていたことを訊いてみる。
「随分とモチベーションが高いように見えたから」
依頼主がいるわけでもない。
ついでにアルベルトさんもいない中で、どうしてイベント参加に熱心なのか?
そんな問いに、彼女は淡々と応えた。
「うん。欲しいもの、ある」
予想的中。
どうやら、欲しいイベント報酬があるそうだ。
俺のみならず、みんなもそれがなんなのかと注目する。
「私、魔族の襟章が欲しい」
挙げられた名前に、各々が己の記憶を探るように上を向く。
魔界の襟章……魔界の襟章……ああ、確か上位報酬の。
「む? 魔族の襟章……なんだっけ?」
「幹部で個人3位以内の報酬ですね。効果は……」
「次の同種イベント開催まで、魔界にあるショップの買い物で割引できる効果だったか。俺も欲しいやつ」
俺も何位以上で取得可能だったかまでは、記憶が曖昧だったが。
理世が言うのであれば、3位以内で間違いないのだろう。
「その割には、亘。お前の順位は振るっていないようだが……?」
「うるさいな。仲間内の誰かが入れば、それで充分じゃないか。買い物は襟章持ちに頼めばいいんだから。なんだったら、このままお前が入賞してくれよ? 未祐」
「うむ! 任せろ!」
陣営幹部としてイベント参加できたプレイヤーはそう多くない。
幹部になる段階で狭き門、なれた時点で最終成績が何位だろうと報酬は豪華だ。
しかし、いくら参加者が少なかろうと「3位以上」というのはそれなりに難しい目標である。
「でー、ひより? そんなの、なにに使うのさ? 割引目的じゃないんでしょ?」
「継承スキル」
愛衣ちゃんが続けた質問に、短く答えるひよりちゃん。
……魔界の襟章が、どうして継承スキルに繋がるんだ?
少しして説明不足を悟ったのか、探るように言葉を重ねだす。
「……私が欲しい継承スキルを持っているNPCが……多分だけど、魔界信奉者」
「「「あー」」」
魔界信奉者というのは、大陸に住む現地人の中でも魔族を崇拝している者たちだ。
状況を飲み込めたのか、未祐が手をポンと叩く。
「手っ取り早く魔界関係者だ! との証明には、うってつけなアイテムというわけだ!」
「別のものでも代用は利きそうですが、状況的に渡りに船ですね。ひよりさんの実力であれば、イベント3位は決して高望みではありませんし」
「……ああ。ただそれは、今回のイベントが普通の決闘イベントだったらの話だけどな」
理世の言うことはもっともだが、イベント成績はロールプレイの良し悪しで決まる。
昨日のひよりちゃんの様子を考えると、そう簡単な話ではないように思う。
俺の顔を見てから、椿ちゃんがひよりちゃんに訊ねる。
「ひよりとしても、今回のイベントは難しいって感触なの?」
「……うん、難しい。だから、できれば、みんなには協力――」
「もちろんです!!」
言葉の途中で、小春ちゃんが勢いよく立ち上がる。
立った拍子に椅子がぐらついたが、ひよりちゃんと協力して慌てて安定させる。
危ないなぁ、そろそろ降りるよう言ったほうがいいだろうか?
「私がサポートして、ひよりちゃんを上位に!」
俺の心配をよそに、小春ちゃんが力強い宣言を行った。
――かと思えば、へにょへにょとした動きで椅子に座り直す。
どうしたんだ?
「……するための知恵を貸してくださいぃぃぃ、わたるせんぱいぃぃぃ……」
弱々しい口調で、知恵を借りたいと宣う小春ちゃん。
その姿を見た俺に、強烈な既視感が襲いかかる。
「小春ちゃん。その言い回し、すっごく未祐っぽい」
「なんだと!?」
「え? 本当ですか!」
驚く声と歓喜の声が同時に聞こえてきた。
心外って顔をするな。そっくりだっただろうが。
そして小春ちゃん、それでいいのか君は。
「あのさ、小春。友だちとして、こんなことは言いたくないんだけど」
「そこで喜ぶのはどうなんだろうねぇ?」
「……」
椿ちゃんと愛衣ちゃんの間髪入れないツッコミに、ひよりちゃんがぴくりと反応する。
そして、こんな時ばかり目敏い愛衣ちゃんはそれを見逃さない。
「あ、今ひより笑った? 笑ったよね?」
「笑ってない」
「いやいや、笑ったでしょー。妹さん、見ましたよね?」
「そこで私に振らないでもらえますか? 性格悪いですよ」
小競り合いも混じってはいるが、食卓にささやかな笑いが生まれる。
ここに来て、ようやく思い描いていた通りの食卓になったな……などと。
味噌汁を啜りながら、俺はひとり満足するのだった。