大降雪後の朝
翌日。
降雪時特有の、音のしない静かな早朝から朝食の準備は始まった。
少々眠くはあったが、俺は増えた人数分の用意を予定通りに終えることに成功した。
その後は、みんなでお泊まりした後の賑やかで楽しい朝食。
……そうなることを予想していた俺は、面食らっていた。
何故なら食卓が――食卓が、完全に凍りついていたからだ。
「……」
「……」
「……なんだ、この空気」
部屋が物理的に寒いとか、そういうことではない。暖房は利いている。
空気が張り詰めている。
とても楽しく食事を、という雰囲気ではない。
理世は――俺と同じか、まだ事情を飲み込めていないようだ。
中学生ズと一緒に泊まったわけじゃないものな。
同じ部屋で寝泊まりした未祐は……俺になにかを訴えかけるような目だ。どういうこと?
椿ちゃん、愛衣ちゃんは気まずそう。
そして、不穏な空気を発しているのはこの二人。
「小春ちゃん?」
「……はい」
「……ひよりちゃん?」
「……」
ああ、これは……喧嘩か?
いつもより反応が鈍く、元気のない返事の小春ちゃん。
俺の声に身じろぎこそしたが、返事のないひよりちゃん。
うぅむ。
「あー……」
こうしている間にも、せっかく並べた食事が冷めていく。
湯気を立てた味噌汁が、ご飯がおかずが……うぐぐ。
そして、喧嘩したまま食べるご飯が美味しいか? という問題も横たわる。
横になるな、どっか行け。
……このままじゃ、いかん。
「……よし、ひよりちゃん。こっちに」
「?」
不思議そうな顔をしたものの、黙って椅子から立ち上がるひよりちゃん。
よかった、反応があった。
さっき声をかけた時に返事をくれなかったから、無視されるかとも思ったが。
「お、おい、亘」
呼び止める未祐の声。
ショックを受けたような小春ちゃんの顔。
小春を放っておいていいのか? という視線、目配せ。
……うん、そうだな。フォローが必要だよな。
「ひよりちゃんは冷静に話してくれて、状況を把握しやすそうだから先」
「!」
「小春ちゃんは人間的に信用しているし、信頼しているから後」
「……は、はいっ!」
小春ちゃんの声と表情に力が戻った。これで大丈夫だろう。
……ひよりちゃんを後にすると、信用されていないと考え不満に思いそう。
小春ちゃんを先にすると、きっと感情優先で要領を得ない。
そんな冷たく身勝手な計算も裏にはあるが、それは言う必要がない。
言ってはならない。
言葉に出したほうだって本音だし、そちらのほうが遥かに大事なことだ。
なんでもかんでも声に出せばいいというものではない。
「小春ちゃん、少し待っていて。ひよりちゃん、行こう」
「……ん」
再度呼びかけると、ようやくひよりちゃんの声を聞けた。
文字にすると一文字くらいの短い声だが。
大人しく従ってくれたので、ひよりちゃんを連れてリビングを離れる。
とりあえず和室の暖房、入れないとな……。
「ラストアタックの譲り合いぃ?」
思わず出た素っ頓狂な声に、正座したひよりちゃんがぴくりと眉をひそめる。
おっと、いかんいかん。
……だって、あまりにも微笑ましいじゃないか。喧嘩の原因が。
「そういや一応、ボーナス付くんだっけね。RPPに」
俺の言葉に黙ってうなずくひよりちゃん。
ざっくり簡単にまとめると、ひよりちゃんの無口なところが災いした結果のようだ。
他にもお見合いしたり、ぶつかりそうになったり、大事なところで連携ミスが多発。
徐々に険悪なムードになり、そこから口論――にはならないんだよな、ひよりちゃんの性質上。
むしろ言いたいことを言いあったほうが、後を引かなかったとは思うが。
「そっか。しかし、ひよりちゃん。普段はどうしているの?」
「?」
「傭兵活動している時だよ。そういうときのほうが、初対面の相手がたくさんいたりするわけで……よっぽど連携を取るのが難しいと思うのだけど」
「それは……」
この喧嘩の原因は、言ってみればささやかな行き違いだ。
根は深くないので、解決までの道はそう遠くない。
「よく観察して、私のほうから合わせてる」
「さすが。依頼主の顔を立てているんだね?」
「そう」
「どうしても合わない相手のときは?」
「連携なしでも、勝てるような算段をする」
「なるほど」
だったら、小春ちゃん相手にもそれをやればいい。
だが、そうしなかったのはなぜか?
ひよりちゃん自身もそれがわかっていないようで、なんだかもどかしそう。
「ひよりちゃん。俺が勝手にひよりちゃんの心情を推察して、言語化してみてもいい? もしかしたら、かなり的外れになるかもしれないけど」
「……いい」
むしろそうして、という雰囲気のひよりちゃん。
その目からは、ちゃんと解決したいという意志が見てとれる。
この時点で、喧嘩の終わりは確定しているようなものだが……。
「俺が思うに、友だちだからこその失敗というか」
「……どういう意味?」
口数の少ないひよりちゃんだからこそ、今回のような壁にぶつかることは多いはず。
だからこそ、先々の手助けになれば――という思いで、話を続けていく。
「わかってくれるっていう甘えとか。もっと上手く連携できるっていう期待とか。そういうのって、傭兵で雇われているときには出ない感情なんじゃないかなって」
「そんなの――」
ない、という言葉を飲み込むひよりちゃん。
湧き上がる反発心を自省と客観視で抑え込んだ、というふうに俺には見えた。
そこはかとなく知性を感じるんだよな、ひよりちゃんの沈黙って。
それがかえって誤解を生む元なのかもしれないけれど。
「どうだろう? 違っていた?」
「……あった、と思う」
すごいな、素直に認めたところがすごい。
俺がひよりちゃんの年齢のころだったら、軽く逆切れコースだぞ。
自尊心を傷つけられる内容だったもの。
「断っておくけれど、それを責めているわけじゃないんだ。傭兵している君も、友だちと楽しく自由にプレイしている君も、どっちもいていいと思う。どっちも大事」
「でも、喧嘩に……」
「それは必要最低限の言葉すら口にしなかったからだと思うよ? あの三人の中で、小春ちゃんは……一番素直でいい子だけど、一番察しも悪いから。一人だけ話についていけないとか、それでしょんぼりとか、あったでしょ?」
「っ」
小春ちゃんのしょんぼり顔を思い出したのか、ひよりちゃんが口元を抑えてそっぽを向く。
場の空気が和らぐ。さすが小春ちゃん。
……もう大丈夫そうだな。
「無理におしゃべりになる必要も、過度に気を遣う必要もない。でも、気持ちが伝わっていないと感じたら、きちんと言葉にしないとね」
「……うん」
自己表現の手段は話すことだけじゃない。
なんならゲームだってコミュニケーション手段の一つだ。
並んで黙々と協力プレイ、向かい合っての対戦プレイ、大いに結構じゃないか。
そんなゲームで、友人になった相手といつまでも喧嘩しているのは悲しいことだ。
そうなったときには、言葉に頼るといい。勇気を出して声に出すといい。
「正直、口数が少ない人には生きづらい世の中だけど……そんなひよりちゃんがいいんだ、っていう人は必ずいるから」
「うん」
ひよりちゃんはひよりちゃんのままで、上手に人付き合いをしていってほしい。
合わない人はどうしたっているし、陰で非難してくる人はいるだろうけれど、それでも。
「そんなふうに言ってくれたのは、お父さん以外では亘がはじめて」
「そうなの? ……まあ、俺も、もっとひよりちゃんとは仲良くなりたいと思っているから」
「――」
あれ、固まってしまった。
気持ちを言葉にする手本になれば、と思ったのだが……安易に踏み込みすぎたか?
気持ち悪かっただろうか?
しかし顔に出ないから、どう受け取られたのかわかりにくいな。
「……リビングに戻る」
フリーズ時間はそう長くなかった。
ひよりちゃんはさっさと立ち上がると、背を向けて部屋の出入り口に向かう。
「え? あー、じゃあ、次は小春ちゃんを呼ばないと」
「必要ない」
短い否定の言葉に、硬い印象を感じないでもなかったが……。
なにか慌てているのか、急いで部屋を出ようとしているようにも見える。
――あ、ふらついた。
もしかして、正座で足が痺れたんじゃあ?
「大丈夫。ちゃんと自分で伝えるから」
襖を開ける際に、ひよりちゃんはそう言い……。
後ろ手で閉める間際に、小さくお礼の言葉を残した。
「……ありがと」
襖が閉まる。
俺は正座を崩して足を投げ出すと、思わず笑みをこぼしつつ頭を掻いた。
しばらく、その場で待機していると……。
「いいんですー! 私こそごめんなさい! ごめんなさい! もっと甘えてください、ひよりちゃぁぁぁん!!」
そんな泣き混じりの大きな声が聞こえ、またも笑みがこぼれた。
そして安心した直後、己の腹から音が鳴る。
あー、そういや朝食……温め直さないとな。
いつの間にか雪の止んだ外の景色を一瞥してから、俺はひよりちゃんの後を追いかけるように部屋を出た。