お嬢様と和風旅館
ホテルの問題についてはともかく、静さんとは事前に相談していたことがある。
それは……。
「……おかしいですわ」
「どうなさいましたか? お嬢様」
マリーが首を傾げる。
応えた静さんは正座、マリーは横座りの体勢だ。
「本当なら、今ごろわたくし……一度帰宅している時間ですわよね?」
「そうですね。お嬢様にお知らせしていた予定では、そうなっていました」
「それがどうして――」
言いつつ、マリーがぐるりと周囲を見回す。
天井は木目の見える杉の無垢材、壁には掛け軸、足元には畳である。
場所としてはホテルから少し離れた山間部に位置し、窓からは冬山の景色が見える。
小綺麗だが、どことなくレトロ感が漂う造りで、建物の大きさもほどほど。
全部で十部屋あるかどうかといった規模の温泉宿だ。
「――どうして、和風の温泉旅館に?」
……事前に相談していたのは、マリーに純和風の温泉旅館を楽しんでもらうことである。
意外にも、マリーはこういった宿を利用した経験がないらしい。
各地に別荘があるせいか、単に機会がなかったせいかはわからないが。
「お気に召しませんか?」
「いえ、風情があって素敵ですけれども!」
「ありがとうございます。亘様を中心に、みなさまと何度も話し合い、宿を選定した甲斐がありました」
「素敵ですけれども、そうではなくて!」
「保護者のお母さま方は、一足先にお帰りになりました」
「そうでもなくて!」
「お着き菓子、召し上がりますか? 地元の名菓だそうですよ」
「それも違う!」
荒ぶるマリーと、涼しい顔で受け流す静さん。
おろおろする司。
他の面々は慣れたのか、この旅行で最後の温泉に行く準備中である。
「……シズカ。午後に入っていた会議の予定は?」
「あれは嘘です」
「どうしてそういうことをするんですの!?」
「みなさまと私から、お嬢様へのサプライズプレゼントです」
「わたくし、なんでもサプライズと言えば許される風潮、好きではありませんわ!」
そう言いつつも、マリーの顔はにやけている。
足がそわそわしている。
視線は興味深そうに周囲を見回し続けている。
それでも不安そうにしている人もいるので、一応、俺もマリーの機嫌を窺ってみる。
「マリーはこういう旅館、嫌いか?」
「日本文化が嫌いなら、とっくに国に帰っていますわよ」
「む、いじけた言い方をするな! もっと素直な言い方でないと、私や小春には伝わらん!」
「そうです! 聞きたいです! マリーさんの素直な気持ち!」
いつの間にか浴衣に着替えた未祐と小春ちゃんが、マリーに詰め寄る。
棘のない二人が、マリーの棘を無理矢理に抜きにかかる。
「す、好きですわ! 日本文化! 正直、館内をあちこち見て回りたいですし、なんなら旅館の女将さんや従業員の方にもお話を聞いてみたいですし……これでいいのでしょう!?」
「わー!」
「うむ!」
あっさりと刺抜きが完了。
そんなことをしなくても、マリーが喜んでくれているのは明白だったが……。
はっきり言葉にしてもらえると、この場を用意してよかったと思える。
心配そうだった椿ちゃん、和紗さんもほっとしているようだ。
「一応、ここは俺らからのお礼の気持ちだから……スケジュールの都合で日帰りだけど、昼食は出る。温泉の泉質もホテルとは違うんで、楽しんでくれると嬉しい」
「……ええ、ありがとう。謹んでお受け取りいたしますわ」
利用料は高校、大学組の割り勘で支払い済みだ。
あの豪華なホテルの後だと、その差に気が引ける思いも正直あるが。
この旅館にはこの旅館の、違った魅力がある。
その魅力を、マリーにプレゼン――と、秀平と目が合い、うなずきが返ってくる。
「マリーっち! この旅館、大浴場の隣に卓球場があるよ!」
「あら、いいですわね。そういえば、ホテルにはありませんでしたものね」
「うん。ビリヤードとか、ダーツとかはあったけどね。温泉旅館と言えば卓球! あとでみんなとやろう!」
ちなみに温泉旅館に卓球がある理由は、省スペース、低コストで置ける娯楽として流行したからだという説がある。
秀平は旅行前から卓球、卓球と言っていたので、よほど温泉で卓球をしてみたかったらしい。
マリーも満更ではないようで、笑顔でそれに応じる。
「ええ、構わなくって――」
「一緒にわっちの顔面にピンポン玉をめり込ませようぜ!」
「――あなた、卓球をなんだと思っていますの?」
「本当だよ。卓球にノックアウト制はないからな?」
「え?」
「え? じゃないが」
卓球は相手に球をぶつける競技ではない。
……よし、そしたら次は俺が行くか。
「それからですね、お嬢様?」
「……なんですの? ワタル。職務中でもあるまいし」
「前に、お嬢様がやりたいと言っていた、レトロなアーケードゲームがあるじゃないですか?」
「え? ええ、そんな話もしましたわね。移植はされていますけれど、現存する筐体は……」
やや勿体ぶった話し方だが、マリーは勘がいい。
見る見るうちに期待に満ちた目になり、体ごとこちらに向き直る。
若干表情を曇らせたけど、もしかして足が痺れたか?
「ワタル、まさか!」
「……あるぞ。この宿の一階、土産物コーナーの奥だ」
「今すぐ向かいますわよ!!」
ヘルシャが足の痺れを無視し、猛然と立ち上がる。
ちょっと涙目だし、叫んだ後に呻いている気もするが。
一応、部屋に来る前に筐体の様子を確認してきたところ……。
レバーやボタン周りの状態が驚くほどよく、現役バリバリといった雰囲気で元気にデモ映像を垂れ流していた。
価格は一回十円の超低価格である。
「あの。その前に、せっかくなので……マリーさんも浴衣をどうですか?」
「ユカタ! ええ、ええ、着ますわ! 着方を教えてくださいまし、ツバキ!」
使用人を除くみんながヘルシャの様子に驚いている中、椿ちゃんが恐る恐る声をかける。
マリーは既に、一秒も無駄にせず、全てを堪能しようという姿勢に入っている。
日帰りということで心配していたが、これなら満足してもらえそうだ。
「あの、亘くん。マリーちゃんがやりたいゲームって……?」
興味がある話題だったからか、和紗さんがこっそりと訊いてくる。
マリーもかなりのゲーム好きだが……。
使える時間の都合から、手広く触れている俺たちに比べて偏りが大きい。
そんなマリーが熱望するゲーム、それは――。
「弾幕系の縦スクロールシューティングゲームですよ。今も続くシリーズの、えーっと……確か、二代目にあたる作品ですね」
年代的には、俺たちが生まれるよりもずっと前のものだ。
敵も自機も弾幕が濃く、プレイ中は画面内がすごいことになる。
俺は多分、目がついていかない……というか、常人ならみんな同じだろう。
割と特殊な位置づけのゲームである。
「へ、へええ。縦シューかぁ……なんでだろう?」
「なんででしょうね……俺も理由はわかりません。プレイが上手いなら、短時間でも満足度の高いジャンルなのは確かでしょうけど」
「過密な生活なのに、過密な画面のゲームに惹かれる……?」
「人間の不合理さを体現しているかのよう、ですよね……」
素直に休むか、せめて癒し系のゲームのほうがいいのでは?
などということも思うが、個人の自由である。
「仕事が行き詰まった時とか、すんごいストレスが溜まった時とか、自室で黙々とやっていますよ」
「あ、もしかして単純作業だからいいのかな? ほら、マリーちゃんのお仕事って、複雑な案件も多いんでしょう? 単純作業で頭をリセット、とか……」
「ああ、なるほど。それはありそうですね」
さすが和紗さん、その意見はかなりしっくり来る。
まあ、後でマリー本人に訊いてみればいい話だが。
閉めた襖の向こうからは、浴衣の前合わせが右前だの左前だのというベタなやり取りが聞こえる。
「……本当は、息抜きにゲームセンターとかにも行ってみたいのでしょうけど」
マリーを取り巻く事情を考えると、そう簡単な話ではないのだろう。
夏に市民プールで会ったことがあるが、思い返すと妙に屈強なお兄さんたちがあちこちに配置されていた気がするし。
どこかに出かける度にあれでは、見た目の割に周囲に気を遣うマリーは、疲れてしまうだろう。
すごく部下想いなんだよな、あのお嬢様は。
「だから亘くん、この旅館を強く推していたんだね? 好きなゲームをゆっくりやらせてあげたかったんだ」
「館内の雰囲気がいいと思ったのも嘘ではないですが。まあ、あのホテルに釣り合うランクの旅館を用意しようと考えると、我々学生の懐事情ではですね……だから、それ以外のところで補えないかな? と」
「すごくいいと思う。マリーちゃんの場合は、お金に代えられない――そういうものを、沢山共有していけるといいよね」
お金に代えられないもの、か。
確かに、マリーにあげるとしたらそういうものになるのか。
……和紗さんは、いつも俺の考えを上手く言語化してくれるなぁ。
「あ、はは。恥ずかしいこと、言っちゃったかな?」
「いえ。それ、今度俺も決め台詞で使ってもいいですか?」
「……亘くんのイジワル」
「え? ええと、皮肉とかじゃなくてですね? ……和紗さん?」
怒らせてしまった……が、むくれる和紗さんはレアである。
これはこれで――
「ワタル! 準備できましたわ!」
「待て、ドリル! 帯が緩んでいるぞ! 解ける! 解ける! 止まれ! 戻れ!」
――と、襖が勢いよく開かれた。
いつもフォローされる未祐がフォローに回っている光景、これもまたレアである。
マリーはどれだけ好きなんだ、あの縦シュー。
未祐に引っ張られた後に襖が閉じられ、少しの間があり……。
改めて、浴衣を身に着けたマリーが襖を開けて現れる。
「さあ、行きますわよ! 案内しなさいな!」
「はいはい、お嬢様」