お母さん面談 その3
「……」
無言。
俺たち……俺と和紗さんを呼びだした人物は、最初無言だった。
場所はホテル内の和室、座卓を挟んで互いに正座で――って、和室なんてあったんだな、このホテル。
「……」
「……あの」
なにか粗相を――機嫌を損ねる真似をしただろうかと、不安になる。
だが、待っていると重々しく口を開き……。
「……ラスボス? の、椿の母です」
冷たい印象を受ける外面からは、想像もつかないような言葉が飛び出した。
呆気に取られていると、迫力のある切れ長の目で見据えられる。
「なにか?」
「あ、は、はい!」
「よ、よろしくお願いします!」
誰だろう、というかどっちのお母さんだろう?
この人に、今の言葉を言わせたのは……。
緊張は緩和されたが、明らかにおかしな空気が流れ始める。
椿母もそれを察してか、気まずそうに何度か咳払い。
「ん、んっ! まず、誤解しないでほしいのだけど」
「はい……」
「こちらにあなたたちを責めたり、攻撃したりする意図はありません」
自分が他人に与えがちな印象がどういうものか、わかっていての発言だろう。
実際、黙っていると怖く見える。
小春母は朗らか、愛衣母はおっとりした人だっただけに、余計にそう思える。
「ネットゲームを経由したあなたたちと娘との関係、貴重な繋がりだと理解しているつもりです。通常の学校生活では、得られないものでしょうから」
俺たちの関係は、彼女らが先輩先輩と慕ってくれる通り、部活の先輩に近いものだと思う。
近いが、依っているものがゲームなので部活よりは気楽だし、上下関係があるわけではない。
あえて定義するなら友人、その中でも「趣味仲間」というのが感覚的に最も近い言葉になるだろうか?
「二人は、娘が……椿が特に話しやすいと以前言っていたので、こうしてお話する機会をいただきました。今日は時間を作ってくれて、どうもありがとう」
「あ、いえいえ!」
「も、元々、この旅行ではそういったお話もできればと思っていましたので……」
話しかける勇気が出ませんでしたけど……と、和紗さんが小声で続ける。
実行できたかはともかく、その年上らしい意識に椿母の視線が多少柔らかくなった。
しかしそれも束の間、表情を引き締め直す椿母。
そのままの顔でいいのに……。
「反面、話しやすい相手ということは、その分だけ影響も受けやすいといいますか……あなたたちの影響でなくとも、私たち親の見ていないところで悪影響を受けないか心配で。私の言っていること、間違っているかしら?」
「間違っていないと思います。年上といっても俺たちだって未成年だし、椿ちゃんたちの完璧な保護者代わりは不可能です。ゲーム内には、変な人もいますしね。ただ……」
「ただ?」
睨むような目の椿母からは、並々ならぬプレッシャーを感じる。
思わずひるみそうになる。
しかしこのままの流れでは、延々と硬い話をされ、俺たちがそれに頷き続けるだけになってしまう。
正直、勘弁してほしい。
そしてそれは、おそらく椿ちゃんのためにならない。
ここは早めにこちらの考えを開示し、ある程度ペースを握る必要がある。
「……」
ちらりと和紗さんを見ると、返ってきたのは後押しするような視線。
……よし。
いつものように的確な援護射撃、頼みますよ。
「ただ、お嬢さん……椿さんは、中学生とは思えない高い社会性をお持ちです」
「は、はい! そうです! 人の目を見て話せない私とは、お、大違いで……」
あれ、和紗さん?
なんか思っていた援護射撃と違うんですけど……。
「椿さんはきっと、他人の言動に影響を受けにくいでしょう。変化させるとしても表面上の態度だけで、芯は強いものをお持ちです」
「私なんて他人の顔色を窺ってばかりで、そのくせ、上手に関りを持てなくて……」
「じょ、女子中学生なんてそれこそ、環境に激しく左右される、多感な年頃でしょうに。立派です」
「中学時代……辛かったなぁ。高校時代よりはよかったけど、それでもやっぱり……」
段々と、椿母の表情が困惑から同情するような、憐れむようなものに変わってきた。
和紗さん!?
「え、えーと……ですから、椿さんに関して気をつけるべきところはそこじゃない。と、自分としては愚考します」
「そう。あなたが娘をどう見ているのかについてはわかりました。それで?」
口調が詰問のそれなんだよな……と、若干嫌な汗が流れるのを感じる。
同時に、余計なお世話だろうが非常に損をしそうだとも思える。
その点、椿ちゃんは大分、お母さんに比べると柔和な印象だが。
確か旦那さんも寡黙な雰囲気の人だったので、将来的に人付き合いで苦労しないよう考えて工夫して、大事に大事に育てたのだろうなぁ。
――と、ちょっと思考が逸れたな。
「……もし俺が彼女を気にかけるとしたら、ストレスを溜めこみすぎていないか。その一点だけを注視するでしょうね。他のことは基本、本人の思想や信条を信頼して問題ないかと」
「……続けてちょうだい」
「椿さんはどんな物事にも真っ直ぐ取り組む性格みたいですから。しかも、始めたら最後まで粘り強くやってしまう。曲げない、やめない、迷わない。でもそれって……」
「あっ」
俺の言葉の途中で、和紗さんが小さく声を上げた。
なにかに気づいた様子に、すかさず椿母が目を向ける。
「どうかした?」
「あ、あの……でも……」
「なにか気づいたことがあるなら話してほしいわ。お願い」
「でも、私なんかの意見は……」
「お願い。和紗さん」
頭を下げて繰り返される要請に、和紗さんが慌てて拒否する言葉を飲み込む。
娘に対する愛の深さを感じるな……これは確かに、ラスボスと称するだけはある。
「そ、その、椿ちゃん。物凄く張り詰めているというか、折れそうな怖い印象だった時期が何度かあって。旅行の少し前くらいが、特にひどかったんですけど」
あー、それは多分、椿ちゃんが自分の進路に悩んでいたからだな。
和紗さんはそれを察していたみたいだ。
俺なんて、本人から相談されるまで気づかなかったのに……。
同性の気安さ故か、はたまた単純に俺が鈍かったせいか。
「その時に、思ったんです。この子は私と違って“逃げる”っていう選択肢が、最初からないんだなぁ。って……」
椿母が、和紗さんに対し驚きで目を見開く。
そう、椿ちゃんはよほどのことがない限り逃げださない。
ゲームの『逃げる』コマンドも極力使わないタイプと見た。
「ですね、俺も和紗さんと同意見です。真面目だけど、少し硬いところが椿ちゃんの欠点だと。言い方を替えると――」
「頑固。かしら?」
「そ、そうです。俺たちとしては、逃げてもいい……とまでは言いませんが。ちょっとでも、日々のストレス解消の手助けができたらなぁ、なんて。その程度の考え、スタンスなんです」
「そ、そうです! だから一緒にゲームをするんです!」
椿ちゃんの生き方は、立派だがとても疲れるものだ。
上手にストレスを解消できなかった場合、はっきり言ってしまえば壊れかねない。
「……そう。そうなのね」
俺たちの話をひとしきり聞いた椿母は、目を閉じて深く呼吸をした。
たっぷり十秒は経ったあたりで、椿母が目を開く。
「もし、あなたたちがあまりに頼りにならない印象なら、まずはゲーム時間の制限を」
「「え」」
「それと、娘の監視と定期的な連絡をお願いしようかと思っていたのだけど」
「「えー……」」
ゲームに多大な時間を割く子どもを見て、不安にならない親はいない……のかもしれない。
まあ、メディウスのようにゲームプレイを仕事にできるような人間もいるわけだが。
それが極々、一握りでしかないことを忘れてはいけない。
「やっぱりあの子、私の娘なのね……和紗さん」
「は、はいっ!」
今度こそ、棘の抜けきった優しい顔で、和紗さんを見る椿ちゃんのお母さん。
話が終わりに向かう空気を察し、和紗さんが緊張した様子で背筋を伸ばす。
「椿は、娘はあまり人に弱みを見せたがらないのよ。でも、あなたには気を許しているみたい」
「い、いえ! そんな!」
「椿に、上手な逃げ方。ガス抜きの仕方、柔軟な考え方。人生の先輩として色々と、教えてあげてくださいね」
「と、とんでもないです! わ、私のほうこそ、椿ちゃんの凛として、強くて真面目なところを学ばせていただきたく……あ、あの! 頑張ります!」
「ふふ」
普段、あまり笑わない人の笑顔の攻撃力は高い。
椿ちゃんのお父さんも、きっとこの笑顔にやられたに違いない。
「亘くん」
「はい」
「できたら、あなたのような子が、あの子の癒し……逃げ場になってくれればいい」
「はい……はい?」
「私はそう考えているわ。今日はどうもありがとうね、二人とも」
美しい所作での礼、そして滑らかな立ち上がり。
割と長時間の正座だったはずだが、椿母がよろけたりする様子はなかった。
「とても有意義な時間だった」
そう言い残して、椿母はクールに去っていく。
先に部屋を出ていったのは、おそらく俺たちへの気遣いだろう。
何故なら――。
「「はぁー……」」
強い緊張からの解放と、頭を使いながら話したことによる疲労。
そして正座による足の痺れもあり、ふすまが閉められた直後。
俺たち二人は背中を合わせて、長いため息と共に足を投げ出した。
確かに有意義ではあったけど、ひどく疲れる時間だった……。