丘の上にて
「わっ……」
平原に満ちた大勢の人の気配に、セレーネさんが声を上げる。
それと同時に、身を乗り出していた崖から数歩下がった。
酔いを堪えるような顔だ……夏祭りの時もこんな様子だったな。
人酔いというやつだろうか?
リィズ、サイネリアちゃんに目配せをする。
「セッちゃん、カモフラージュマントを。もう擬態してしまいましょう」
「念のため、見咎められないよう低い体勢を取りましょうか? ……あそこの窪みの辺りが、安定感があってよさそうです」
「あ、ありがとう、二人とも」
リィズがマントを着せ、サイネリアちゃんと共に背を押す。
あちらは大丈夫そうだ。
俺は――
「待て」
「う゛っ!?」
「止まれ」
――崖から飛び出しそうになっているユーミルの手を掴んだ。
もし落ちたら、ここに戻ってくるのに数十分はかかる。
「目的を忘れたのか?」
問われたユーミルは、まず俺につかまれていた手を何度か開閉。
にぎにぎ。
次いで自分の足が崖ギリギリにあることを確認すると、慌てて飛び退いた。
「むおっ!? いつの間に!」
「体が賑やかなほうに引き寄せられているじゃないか」
どうも無意識下の行動だったらしい。
危ないところだった。
「わ、私にあの騒ぎを前に、指をくわえて見ていろと!?」
「開き直るな。このお祭り人間」
大体こいつは、昔からそうなのだ。
光に吸い寄せられる虫みたいな生態をしている。
危なっかしくて、とても放っておけない。
「大体、下に降りてどうする気なんだよ?」
「どうとは?」
とりあえず、話しつつも目立たないようユーミルをしゃがませる。
下の連中に見咎められたら面倒だ。
カモフラージュマントも装備させて……と。
「PKとして、メディウスたちと戦うか?」
「まさか!」
心外な! と跳ねるユーミル。
動くな、マントが取れる。
「じゃあ、野次馬か? せっかく今、こうして見晴らしのいい場所にいるのに?」
「む……ハインド。仮に、仮にだが!」
「ああ。なんだ、言ってみろ」
「うむ。もし、勢い余って降りてしまうようなことがあれば……」
そんなことはない、と断言してほしいのだが。
縄でも付けておくべきなのだろうか?
「……戦うだろうな! PKKとして、PKたちと! トビはあれだが、私一人ならばどうということはあるまい! 私はPKが嫌いだ!」
「それ」
「む?」
「やめておいたほうがいい。この戦い、PKは何人でも参加自由だろうけど、PKKは……ほら。下、見てみ?」
「……」
崖の傍で腹ばいになっている俺の真横で、ユーミルが同じ体勢を取る。
って、近っ! 近いっての! どちらかが落ちたら一緒に落ちる距離だ。
……ま、まあいい、とにかく話の続きを。
「あの一団とあの辺に点在している少グループが多分、PKだろう?」
「うむ! 見るからにガラが悪そうだ!」
ユーミルの言葉通りの連中は、フィールド中央に陣取っている。
陣取って、無意味に周囲を威圧している。
大半が騎乗状態で、まるで野盗の集団のような雰囲気だ。
もちろん普通のプレイヤーにしか見えない人々であったり、PKの割に気弱そうな人、暗い顔でなにごとかを呟く不審者がいたりと、種類は様々なようだが。
俺は続けて、PKたちを遠巻きに見守るフィールド外縁の人々を指差した。
「で、あっちが野次――もとい、この戦いのギャラリー」
「うむ! 自分たちのプレイ時間を放棄して、わざわざこんな戦いを見に来るとは! この物好きどもめ! 暇人か!?」
「全部俺たちへのブーメランになるからやめろ。ギャラリーの中に紛れて、奇襲を狙っているPKもいるだろうけど」
「そうなのか!?」
「拙者なら、そうするでござるなぁ」
横からマントを装着済み、限界まで視認性を下げるべく低姿勢なトビが口を挟んだ。
先述したように、PKにも様々なタイプがいる。
正面から行って相手を怯えさせるのが好きな者もいれば、不意打ちを好む者もいるだろう。
ともかく……PKと一般プレイヤーがこれだけいて、戦闘が起こっていないのには理由がある。
一般プレイヤーのほうがPKよりも数が多い、ギャラリーの中に武闘派の有名プレイヤーが多数混じっているというのもあるが、一番は主役の登場を待っているからだ。
そして当の主役たちは、自分たちだけで戦う旨を事前に宣言している。
「む……そういえば、動画でそんなことを言っていたような?」
「ああ。こんな空気の中、のこのこ加勢するなんて言い出してみろ。きっと――」
「待てい!」
その時、大音声がフィールドに響き渡った。
そいつは息を切らし、低レベルフィールド側から来たはずなのにボロボロの状態だった。
派手なマント、金の鎧、そして仮面のような頭装備の防具が特徴的、といった格好をしている。
「聞いたぞ! 多勢に無勢とは、なんと卑怯な! ここは私が……」
「うるさい」
「黙れ」
「空気読め」
「あああああ!?」
一瞬でギャラリーに飲み込まれる、大声を上げたプレイヤー。
そのままKされたのかは不明だが、彼がその後、騒いだり目立った動きをしたりすることはなかった。
あの人、期待通りの動きをしてくれたな……おかげで手間が省けた。
「――ああなるから。やめとけ」
「誰だアイツ?」
「あれ、正義マン知らない? 掲示板でも、偶に話題に上がっているんだけど」
「知らん!」
「ああ、あれが正義マン(ver.TB)でござるか。初めて見た」
「古参らしいけど、会ったことなかったよな。俺も動画で見たことあるだけだったから、初めてだ」
「む?」
うなずき合う俺とトビの姿に、ユーミルが首を傾げる。
そんな会話を聞きつけたのか、他のメンバーが次々に口を開く。
「へー、あの人が。見てどうこうなるものでもないですけど、レアですねー」
「噂通りの見事な被瞬殺でした」
「綺麗な出オチ! さすがです!」
「すごく目立っていたね……あんなに沢山の人の中で」
「前々から気になっていたのですが、あれはロールプレイなのでしょうか……?」
「本気であの行状なのだとしたら、それはそれで怖いですわね」
「なぜみんな知っている!?」
ちなみに正義マンではなく、正義マンと読むらしい。至極どうでもいいが。
サイネリアちゃんが疑問を呈していたが、あれがロールプレイなのかどうかは不明だ。
見ての通り強くはないので、どちらかといえば名物プレイヤーの類である。
彼自身は動画投稿、SNS投稿などはしていない。
それが原因なのかは不明だが、少数の熱心な追っかけやファンが付いているとかいないとか。
「私だけか!? 知らなかったの! やつの存在はTBプレイヤーの常識なのか!?」
悔しそうに全力で地面を叩くユーミル。
言うまでもないが、そこまで悔しがるような話ではない。
「だ、大丈夫ですよ、ユーミルさん。ボクも知りませんでしたから」
「ワルちゃん……」
「わ、ワルちゃん……?」
「わたくしも存じ上げませんでした」
「カームぴょん……」
「……ぴょん?」
ここまで黙っていた使用人コンビが、ユーミルを慰めるように声をかける。
ユーミルから返された言葉というか、呼び名に困惑してはいるが。
「……そうだよな! 知らないよな、あんなやつ! 知っているほうがおかしい!」
「あ、あの、ユーミルさん。できれば、ボクのことは呼び捨てで……」
「む?」
「ちゃん付けはちょっと」
「なぜだ?」
「えーと……」
ワルターが抗議するが、ユーミルに悪意がないのがわかっているからだろう。
強く言うことができず、困った顔で頬をかく。
すると今度は、カームさんがなにかを言いたげにユーミルに視線を向ける。
「失礼ながら――」
「わ、わかった、わかった! ちょっと二人とも、私の隣に来い! こっちで一緒に、話しながら見るぞ! そもそもコミュニケーションが足りていないから、呼び方なんぞで揉めるのだ!」
カームさんの言葉を遮り、二人を近くに呼び寄せるユーミル。
いつも通りヘルシャの後方に控えていた二人は、ヘルシャがうなずくのを待ってからユーミルの傍へ。
「前々から、私視点で“友だちの使用人”というのは微妙な感じがすると思っていたのだ! 友だちの友だち、みたいな! 一々距離を取られるのは面倒だ、私は客ではないのだし!」
「友だち……」
関係ないところで約一名、何気なく発された言葉に感動しているお嬢様がいるが……。
まあ、とにかく。
「ええ。では、胸襟を開いてお話いたしましょう」
「どんとこい!」
「あの、ボクは男ですからね? そこは大丈夫ですよね?」
「ははは、心配するな! 大丈夫だ! ……多分」
「多分!?」
ぐいぐいと物理的にも精神的にも距離を詰めるユーミル。
相手が動かなくても、自分から積極的に近づいていく。
そんなユーミルの姿に――
「すごいなぁ……」
――セレーネさんが、通算何度目になるかわからない感嘆の声を上げた。
しかし俺、リィズ、そしてサイネリアちゃんは、すかさずセレーネさんの周囲に集結。
「セレーネさん」
「セッちゃん」
「セレーネ先輩」
「な、なにかな?」
そして、ほとんど同時に声をかけた。
セレーネさんを除く三人の間で、視線のパス回し……任せるという目を二人からされたので、代表して言葉を続ける。
「……ペースは人それぞれですから、焦らずにいきましょう。俺たちはセレーネさんのことが大好きですよ」
「――!?」
「!?」
「!!」
セレーネさんの頬が朱に染まる……のはいいのだが。
意図を共有したはずの二人から、冷たい視線を感じるのはどうしたわけだろう。
「あ、ありがとう……」
「い、いえ。ははは……」
うーん……うん。
言葉選びって、難しい。
怖い顔になった二人を視界の端に収めつつ、俺は誤魔化すように平原のほうに視線を落とした。