地獄の番犬 後編
――『ケルベロス』の攻撃は苛烈さを増していた。
最大の特徴である三連撃は、序盤こそ大振りで攻撃後の隙が大きかったのだが。
「……段々と速くなっている?」
敵を追い込むほどに、動きが加速している。
「復活を境に」ではなく「徐々に」だったためか、気がつくのが遅れてしまった。
『ガァウッ!』
発する咆哮も心なしか短く、三つ重なって聞こえる。
クロー三連撃の間隔、噛みつきで首を伸ばす速さ、突進速度、大技である『黒炎ブレス』を撃ってくるまでの時間。
戦闘開始時に比べ、どれもスピードアップ傾向にあるように思えた。
リィズに視線を送って確認すると、少し記憶を探るような間があった後……。
同意するように、うなずきが返ってくる。やっぱりそうか。
「トビ、ワルター! ローテしっかり!」
「はい! 了解です、師匠!」
「承知! お任せあれ!」
交代で盾役をこなせば、スタミナ切れを送らせることができる。
それでも長丁場になれば、集中力が途絶えて苦しくなってくるだろう。
戦闘が長引くかどうかは――。
「ヘルシャ! 巻きで頼む!」
「巻き!? 巻きってなんですの!?」
アタッカーの出来にかかっている。
アタッカー・タンク兼任のワルターが徐々に守勢に回ってきているので、ヘルシャがどれくらい高い打点を叩きだせるかだ。
言葉のチョイスが悪かったせいで、いまひとつ意図が伝わっていないようだが。
ええと、つまりだ。
「この調子で加速を続けられたら、トビとワルターが耐えきれるかどうか、わからん! 現時点で目一杯かもしれないけど、ここはもう一声――」
遮るように、ヘルシャがさっと片手を上げる。
みなまで言うな、という漢らしい仕草だ。
怒られそうなので、決して口には出さないが。
「……要するにハインドは、今以上の火力をお望みですのね?」
そうだが、なにか秘策でもあるのだろうか?
俺たちのほうでは質のいい『MPポーション』を投げて、魔法の回転率を上げてもらう程度のことしか思いつかない。
バフ、デバフは既に万全の状態になっている。
「お嬢様!? まさか……例のものを使ってしまわれるのですか!?」
含みのあるヘルシャの発言に、ワルターが驚いたような顔で振り向いてくる。
主従で意味深なやり取りが続く。
「仕方がないでしょう!? あの犬、わたくしの顔に泥……ではなく、煤を塗ったのですわよ!? 許すわけには参りませんわ!」
「た、短気は損気ですよぅ!」
「それに、これ以上あの人……ユーミルさんの前で、醜態をさらすのは我慢なりませんから!」
ヘルシャはそう言い、エリア外で見守るユーミルに視線をやる。
それからなぜか、こちらを一瞬見てからワルターに向き直った。
え? 今の会話に、俺が介在する余地あったか? どこだ?
「……と、とにかく! 例のアレ、使いますわよ!」
なにかを誤魔化すように、俺が向けた視線から逃れるように、ヘルシャが大きめの声で宣言する。
――うおっと、ブレスの余波が。後衛のここまで届く、範囲の広い激しい攻撃だ。
トビのやつ、まだ大丈夫なのか?
「いいですわね!? ワルター!」
「大事なところまで隠しておくと仰られたのは、お嬢様だったかと……」
「それが今ですわ! ここですわ! 汚名を返上するには、皆の前で美しくフィニッシュを決める必要があるでしょう!?」
「使っちゃうんですか……あの、差し出がましいようですが。見栄を張っても、あまりいいことはないように思えるのですが……」
「ぐっ……!」
っと、『ホーリーウォール』が割れたか。
かけ直してやらないと……それにしても、トビの身のこなしにキレが出てきたな。
夢中で動いた結果、雑念が消えたか?
『ケルベロス』と遜色ない加速をしているように見える。
もちろん巨躯と四足歩行を活かした最高速度は相手が上だが、敏捷性ではトビが大きく勝っているのだろう。
敵の足元をくぐる、転がる、回る。すげえ。
「わ、ワルターあなた、ハインドに似てきたんじゃありませんの!? 口が達者になってきましたわね! 生意気な!」
「えっ……? そ、そうですか? ボクが師匠に……?」
「嬉しそうにするんじゃありませんわよ! このっ!」
なにやら切り札があるようだが、珍しくワルターが渋っている。
それだけその切り札を得るのに苦労したのだろう。
戦闘で使う「なにか」となると、それがなんなのかはある程度予想がつくが……。
ちなみにこの会話、二人ともしっかり戦闘を行いながらしている。
その間にも『ケルベロス』は加速を続けているので、どうなるにせよ結論を早く出してほし――
「ハインド!」
「は、はい!? なんだ!?」
――不意に呼びかけられ、声が上擦ってしまう。
向こうでは『ケルベロス』が二度目のダウンも、再び立ち上がっている。
三つの首で、三つの命……という感じだろうか?
もう一度倒せば、起き上がってこない気がする。
そんな中、ヘルシャがカリカリした様子で話を続けた。
「魔界のスキル、本当に期待してもいいんですのね!? ね!?」
「い、いや、なにをする気か知らんけど、無理をしなくても……なんだかんだでトビ、持ちこたえているし」
魔界行きこそ実現したが、スキルの保証はできないと、そう何度も言っている。
単にヘルシャが「例のアレ」とやらを使ってみたいだけだよな……?
そして、回避を続けるトビの様子だが。
「――ん……ま――ちゃん……」
ブツブツとなにかを呟きながら、神がかった動きで全ての攻撃を躱している。
背中に目でも付いているようだ……物凄い集中力。
ワルターと交代するタイミングになっても、気がつかないのか最前線に張り付いたままだ。
……しかし、一体なにを呟いているのだろう?
支援の手は止めないまでも、その場で耳を澄ませてみる。
すると……。
「魔王ちゃん……魔王ちゃん……はぁ、はぁ……うへへへへへ……」
「うわぁ……」
熱に浮かされたように、魔王ちゃんと小さく連呼する声が聞こえた。
その状態で敵の攻撃を回避している。
時折、形容し難い笑みも出ており……申し訳ないが、これ以上は直視できない。
なんと表現すればいいのか、やばい。やばいとしか言えない狂態である。
走り回ったことによる息切れが、またそれっぽく聞こえるのがなんともまずい。
「あ、あの……トビさんのアレって、どういう状態なんですか?」
一瞬の停止の後、アタッカーの動きに切り替えつつワルターが問う。
それに事もなげに答えたのは、ポーションを浴びて小休憩するリィズ。
「キモ覚醒ですね」
「キモ覚醒!?」
説明しよう! いや、説明したくない。
したくはないが、リィズが口にしたキモ覚醒というのは単に「気持ち悪い覚醒」の略だろう。
スポーツで使われるゾーンに入っている、などという洒落た表現は使わない。使えない。
キモ覚醒状態でハイになっているトビに、みんな引いている。
「ひひ、ひひひ……ひゃーっはっはっはっは!」
宙がえりで躱す、刀の腹を使って体格差のある『ケルベロス』のクロ―攻撃を滑らせる、三連撃を予期して己の分身にターゲットを取らせる、避けきれない攻撃は単発ヒットになるようにしつつ、空蝉による壁に吸わせる……と。
動きは半端じゃなく華麗なのだが、顔も酷いし肩を揺らして笑い出してすらいる有様。
「魔王ぢゃんが、すぐそごにぃぃぃっ! いま゛いぐよぉぉぉぉっ!」
「あんな姿で迫られたら、魔王ちゃんだって泣くわ……」
「そ、その……ハインド。早く終わらせてあげたほうが、よろしいのではなくって?」
そんな様子を見たヘルシャが、先程までと違った理由で提案してくる。
確かに今はいいが、あんなおかしな状態をいつまでも持続できるとは思えない。
どこかで緊張……集中……興奮? の糸が、ぷっつりと切れるだろう。
「う、うん、まあ……スキルの保証はできないけど、そういうことならちゃんと見返りは用意するよ。ワルターも、いいよな?」
「は、はい、えっと……いいと、思います……」
居たたまれない空気、下を向く面々。
リィズだけは呆れたように溜め息を吐く中で、ヘルシャが仕切り直すように両手を合わせる。
渇いた音が鳴り、それを契機に『ケルベロス』に向き直る俺たち。
「あー、えー……そ、それでは、介錯いたします!」
「ヘルシャ、なんかそれ違う」
そうしてヘルシャが次に取った行動は、やはりスキル……継承スキルの発動だった。
戦闘後に訊いた話によると、この時に発動したスキルは『オーバーヒート』。
終了後に一定時間スキル使用不可になるデメリットがありつつも、火属性攻撃魔法の詠唱時間・WTが大幅に短縮され、MP使用量が軽減。
「フィーバータイム! ですわ!」
バトルエリア内を炎が満たす。
ヘルシャが持ちうる全ての火属性魔法が解き放たれ、周辺一帯は炎の海に転じた。
ワルターが使用を止めた理由がよくわかる、超当たりスキルと言っていいものだった。
継承元がグラド皇帝だそうだから、どうあれ長く隠せるものではなかったと思うが。
炎に反応したグレンが鳴き声を上げている。
グレン――紅蓮の特殊なエフェクトを纏うヘルシャの姿は、装備した赤いドレスも相まって非常に美しく……。
「……!」
エリア外で見ていたユーミルが悔しさで歯噛みするほど高い高いダメージを連続で叩きだし、『ケルベロス』は一瞬で灰燼と化したのだった。
熱風と衝撃波が顔に当たり、慌てて腕でカバーするも目と鼻が熱くなる。
……だが、こんな大技を披露したことに対する見返りって、どうやって用意すればいいんだ?
あいつらが勝手に使っただけと割り切れればいいが、最終的にはトビに気を遣ってだしな……なにかしらのお礼は必要だ。
解けていく戦闘フィールドの中で、俺はリィズに肩を叩かれつつ、頭を抱えるのだった。