地獄の番犬 中編
一撃目。
前足で地面に叩きつけられ、宙を舞う。
俺は人間があんなに高くバウンドするものなのだと、ここではじめて知った。
二撃目。
『ケルベロス』の三つの頭のうちの一つから、強烈な頭突きを受ける。
叩きつけられた際の衝撃も引きずりつつ、激しく転がっていく。
惨劇目――間違えた、三撃目。
筋肉質かつ硬質な後ろ足で強く、大きく蹴り飛ばされた。
フィールド端にある不可視の壁に激突、HPが消し飛ぶ。
「きょけっ!?」
トビのHPが。
……というか、一撃目で事切れていたので、残りはただのオーバーキルだ。
『ケルベロス』は一定確率で三連撃を行うようで、一撃目に直撃をもらうと、今のように大変なことになる。
「トビさぁぁぁん!?」
心配そうな悲鳴を上げながらも、しっかりヘイトを上げて壁役をスイッチするワルター。
さすが、選んで正解だった。
しばらくは持ちそうなので、アイテム使用は中止して蘇生魔法の詠唱に入る。
「……サッカー? です?」
「いや、あれはバスケだろう!」
「バレーボールでは?」
「どれでもいいですけど、お前ボールな! をリアルにされる人って、いるんですねー」
ヒナ鳥トリオとユーミルのそんな会話が聞こえてくる。
必死に壁役をしている人間になんてことを! ……とも言い切れない。
なぜなら、トビは殴られる直前――
「へいへい、ワン公! ハインド殿のホーリーウォールが加わった、二枚壁の拙者は強靭! 無敵! 心してかかってくるでござるよぉ! へいへいへーい!」
――こんな言葉と共に、『ケルベロス』を挑発していた。上品さはどこへやった。
その結果パリンパリンと容易く壁を割られ、先程の三連撃に繋がったわけだ。
安らかに眠れ……ではなくむしろ、さっさと起きて働け。
そんな気持ちを込めつつ、完成した蘇生魔法を投射。
「はあっ!? ……あれ、町の広場じゃない!? ここどこ!?」
三連発の衝撃で混乱しているのか、それとも連敗のせいでトラウマになりかけているのか。
蘇生したてのトビは、置かれた状況がわからず右往左往している。
「落ち着け。そして戦え」
「本当に落ち着いている人間は、無益な戦いなんかしない……そう、思わないでござるか?」
「なんの話だ!?」
影のある表情と芝居がかった声色で、急に哲学じみたことを言い出すトビ。
正直うざったい。
今は、そんな問答をしている場合ではない。
「いいのか? あいつを倒さないと、魔王ちゃんのところに行けないけれども」
「魔王ちゃん?」
魔王を餌に呼びかけると、徐々に正気の色が戻る。
俺を見、戦っているパーティ三人の背を見、最後に『ケルベロス』を目にしたところでトビは叫んだ。
「……魔王ちゃん! そうでござった!」
大丈夫か、こいつ?
『ケルベロス』に何度も何度も殴られすぎて、頭が限界なんじゃ……。
「おい、平気か?」
「平気でござる!」
「戦えるのか?」
「やらいでか!」
うん、威勢はいいが足がものすごく震えている。駄目そうだ。
しかし、もう戦いは始まっている。
メンバーの入れ替えが不可能な以上、ここは信じるしかない。
すこぶる不安ではあるが、前方を指差しつつ、刀を構え直したトビの背を押す。
「そろそろワルターがきつそうだから、助けてやってくれ。向かって右から入ってスイッチすれば、戦闘フィールドを広く使えると思う」
「……あ、本当でござる!? ワルター殿がやべえ! あんのクソ犬ぅぅぅ!」
ヘルシャの攻撃による爆炎に目を細めながらも、ここでようやくトビが戦況を把握。
震える足を叱りつけ、その場で足踏みを始めるトビ。
それに対し俺は、最低限のバフと回復魔法をかけていく。
……そうやって無駄に恨みを溜めこむから、雑念が混ざって動きが鈍るのでは?
「上品にだろ? 上品に。ちゃんと自分の言ったことは守れよ」
「はっ!? そ、そうでござった……で、では……ごほん。――ぶっ潰してさしあげますわぁぁぁ! この、ク――お犬様がぁぁぁ!」
「悩んだ末に、選んだ言葉がそれかよ……」
こいつ、お嬢様言葉さえ使えば全て上品になると思っている節があるな。
前提がそもそもおかしい。
駆けだしたトビが自慢の健脚を用い、一瞬で戦線に復帰していく。
おお、速い速い。が、ワルターが回避に一杯一杯でトビの復帰に気がついていないな。
「ワルター!」
「は、はい!?」
「スイッチ! 左に!」
「はいっ!」
トビが『挑発』を発動、続けて攻撃スキルを連発してターゲットを取る。
ワルターはそのまま左から、体勢を整えつつヘイトを取りすぎないよう攻撃に転じていく。
うーん、スムーズ……ワルター側からの全幅の信頼が、多少怖くもあるが。
俺の指示に対して一瞬のタイムラグもなく、トビに視線を向けることもなく行動に移ったからな。
少しは疑ってくれてもいいんだぞ? 俺の判断が間違うことなんて、割とあるんだから。
「ハインド! MP!」
――と、この声はヘルシャ。
すかさず赤いドレスが翻った方向にポーションを投げつける。
ヘルシャからのMP回復の要請にも、もう慣れたものだ。
これはアタッカーがユーミルの場合でもそれなりに多いのだが、通常攻撃の頻度が前衛よりも下がる後衛アタッカーだと、よりMPの消費は早い。
「リィズさん! デバフは通りましたの!?」
「はい。存分にどうぞ」
ヘルシャがわざわざリィズに訊いているのは、デバフアイコンが小さくて見難いためだ。
というか、爆炎と煙のエフェクトのせいで全体的に視界が悪い。
全属性の中でも最強の攻撃力を持つと言われる火系魔法だが、ここはよくない点だと思う。
もちろん前衛の邪魔にならないよう、ヘルシャの手腕で最低限の配慮はされているが……。
「ふふ……相変わらず、気持ちのいいサポート体制ですわね!」
いざヘルシャの気分が乗ってきたら、どうなるかはわからない。
満タンになったMP、気力の充実した嗜虐性すら感じさせる表情、風で流れるドリ――じゃなかった、金色の美しい巻き髪。
……なんだろう、嫌な予感。
「さあ――踊りなさい!」
ヘルシャが手にした鞭が光る。
魔法陣で地面も光る。
そしてケルベロスも炎に照らされ光る――隙を見て、首元を斬りつけようとしたトビの目前で。
「ちょ、ちょい! ちょい! ヘルシャ殿ぉぉぉ!」
「あわわわわ」
「下がっていなさい! 押し切りますわ!」
連続で中サイズの火球を連続発射する魔法『ファイア・バレット』が敵魔獣に殺到。
この魔法ならば、前衛なしでも敵をストッピングできるという判断だろう。
それはおそらく間違っていない。
その証拠にトビへの攻撃は止まり、『ケルベロス』は魔法に押され後退していく。
「おっ?」
果たして、直前に抱いた思いは杞憂だったか。
周囲を埋め尽くすほどの火球が叩き込まれ、HPゲージが消失。
煙で見えないが、今ごろ『ケルベロス』は光の粒子に代わっていることだろう。
「ふん、呆気ない!」
胸を張り、敵が倒れたと思しき場所を見下ろすヘルシャ。
トビが歓喜の声を、ワルターがヘルシャを称える声を上げる。
「へぶっ!?」
その直後だった。
消えたはずのHPバーが復活し、ヘルシャが三条からなるブレス攻撃を受けたのは。
「ヘルシャ!?」
『ケルベロス』のブレス攻撃は魔法扱いで、闇と火の混合属性だ。
物理でなかったことと装備が持つ耐性の関係で、ヘルシャに致命的なダメージは入っていない。
「「「……」」」
みんな、顔を真っ黒にされたヘルシャに対し無言だった。
そしてなんとなくだが、それほど驚かずに事態を察していた。
TBのボスは復活・回復・変身に発狂といった状態変化を起こすボスが非常に多い。
その観点から考えれば、凄まじく高い攻撃力を持つとはいえ『ケルベロス』はおとなしすぎた。
故に今、挙げたもののどれかが起こったということは想像に難くない。
「……へ、ヘルシャ?」
「……」
呼びかけるも、返事がない。
所在なく首を巡らせると、誰かがバトルエリア外からヘルシャを指差して大笑いしている様子が確認できた。
ユーミルだな、あれは……。
ヘルシャは俯いたまま肩を震わせ、一歩前に進み出る。
ああ、またも嫌な予感。
「ぶっ……」
「えっ?」
「――ぶっっっ潰してさしあげますわぁぁぁっ!!」
「ええ……」
どこかで聞いたような叫びを上げ、鞭を振り回すお嬢様。
残念ながら、その顔を直視することはできなかった。
声だけで震えそうになるものな……もし自分にあれが向けられたらと思うと、背筋が寒くなる。大迫力の怒声だ。
「下品な人が増えてしまいましたね?」
危険を察知し、位置をヘルシャの後方から変えたのだろう。
リィズが俺の横に並んで、そっとつぶやく。
「後でカームさんがたしなめてくれるだろ……多分……」
もっと素直になってもいいと言った手前、俺がこの件でヘルシャになにかを言う資格はない。
しかし冷静さを欠いたメンバーが二名もいて、このまま無事に戦闘を終えることができるだろうか?
復活し、ギアを一段上げた『ケルベロス』が三つの口で咆哮を上げる。
俺にはそれが「ここからが本番だ」と言っているようにも聞こえるのだった。