人見知りと元・話下手
魔界の町に門番はいなかった。
立派な防壁がある割に、不用心というか……。
「ミスマッチだな! どういう管理をしているのだ? この町は」
ユーミルが周囲の様子を盛んに見回しながら、開きっぱなしの門を一番にくぐる。
観音開きの木製門か……木製だが板に厚みが合って、しっかり閉じればそれなりに堅牢そうだ。
「俺たちは一般魔族の強さを知らないからな……もしかしたら、この辺のモンスターなら子どもでも倒せるのかもしれないぞ?」
異常なのは魔王ちゃんとサマエルだけなのか、それとも違うのか。
俺たちはそれだけ魔族に関して、なにも知らないのだ。
「ふむ……では、試しに戦いを申し込んでみるか? さすがに子ども相手はアレだが、その辺の力自慢っぽいやつに――」
「やめなさい」
「何故だ!? じゃ、じゃあ、魔王と比べて、自分がどれくらいの強さなのかを訊いて回――」
「やめなさいっての!? リスキーな択ばっか取ろうとするな!」
むやみに敵対してどうする。
NPCとの決闘はシステム上存在しているが、特殊なケースを除き、基本的に勝っても負けても相手の心証は悪くなる。
魔王ちゃんに関する質問は……正直、魔族間でどれだけ魔王ちゃんが崇拝されているかによるのだが、いずれにせよ最初の町の第一町人相手にすることではない。絶対ない。
得られる情報に対して、どちらもデメリットばかりがでかい。
「しかしだ、ハインド。仮にそうだとしたら、町を囲うこの壁はなんなのだ?」
言われ、改めて防壁に目をやる。
建築技術は人間世界のものよりやや拙いか。
急に崩れることはないだろうが、比較的大雑把な造りだ。
補修跡の目立つ壁は、見たところ造ってからかなりの時が経っていそうな年代物。
ここから導き出される推論は……。
「……過去の大戦の遺物、とか?」
「おお!」
「いや、わからないけどな?」
目を輝かせているところ悪いが、これは外れていたら恥ずかしいやつだ。
訊けばいいのだ、その辺のNPC――現地人をつかまえて。
いきなりユーミルが言っていたような質問をするのはまずいが、町のことを訊いて悪いということはないだろう。
町の人間なら、よほど昔のことでない限り知らないということはないはずだから。
そう思っていたのだが、問題が一つ。
「セッちゃん。まだか?」
「ま、待って。もう少し……」
セレーネさんが魔族に対して人見知りを起こした。
だから俺たちは今、物陰に隠れて町の魔族たちを観察している。
空き家の塀から顔だけ出し……なんで一番背の高い俺が一番下なんだ? おかしくないか?
「セッちゃん」
「……あの。やっぱり、これ以上は迷惑だし、みんなだけ先に……」
「それはダメだ! 行くなら全員、一緒でなければ!」
「うぅ……」
ユーミルはなにも、セレーネさんに一人で魔族と話してこいと言っているわけではない。
せっかくの新天地……魔界を仲間の中で一人だけ満喫できない、という状況が気に食わなかったようだ。
硬い顔で逃げ腰になっていたのを見逃さなかった。
そんなわけで、俺たちはセレーネさんの心の準備ができるまで待つことに。
セレーネさんの事情に詳しくないヘルシャは最初、怪訝な顔をしていたが――
「仕方ないですわね」
――リィズから簡単に説明を受けると、やや尊大にも見える調子で腕を組んで納得した。
なんだかんだでいいやつだよ、本当。
ヘルシャが納得したため、もちろん従者二人からも異論は出ることなく……。
とりあえず、話しかけやすそうな魔族を探して周囲をチェックだ。
……この体勢、長時間だとかなりきついな。
「でも、どういうことですの……角がある、羽がある、耳が尖っている以外は人とそう変わりありませんわよ?」
「そ、そうなんだけど……」
ヘルシャの追及……というほどでもない疑問の声に、セレーネさんが口ごもる。
そうか、やっぱりヘルシャには理解できないか。
「ヘルシャ。まず、魔族に人がどう思われているかわからないだろう?」
「え? ええ」
答えているのが俺なことに疑問を抱きつつも、ヘルシャが首肯する。
あれ、背中に謎の重みが……さては寝たな、シエスタちゃん。
「そして、言葉が通じるかどうかも謎だろう?」
「魔王ちゃん、サマエルは普通に日本語でしたわよ? 独自の言語は一度も発していませんわ」
「まあな。でも、二人が特別かもしれないし……話しかけて無視されたら、傷つくじゃないか」
「……」
あ、ものすごく胡乱な目で見られた。
それも傷つくな、割と。
「……そんなもの。極論、誰が相手でも同じではありませんこと? 人だろうと魔族だろうと、天使や神だろうと」
「言うと思った」
そこで「ゲームの住人相手になにを」と言わないところはヘルシャのいいところだが。
一般論は一般論で、普通の人と比べてできないことを抱えている人間には辛いものだ。
「第一、考えすぎですわ。よほどひねくれた大外れでも引かない限り、笑顔で接すればなんとかなるものです」
「言われると思った。そうなんだけどさぁ」
「あぅ……」
「最悪、言葉が通じないとしてもジェスチャーという手が……」
「たくましいなぁ。みんながみんな、ヘルシャみたいにやれるわけじゃないから」
どうしてくれようか、このコミュ力お化けは。
悪気はないのだろうが……。
ヘルシャが俺の言葉を否定する度、セレーネさんが委縮していくのを感じる。
「と、いうよりですが」
「なんだよ」
お嬢様からまたも半眼を向けられている気配。
あ、遠くに見えるあの魔族たち、殴り合いの喧嘩をはじめたぞ……足取りが怪しいが、酒でも入っているのか?
あれには近づいちゃだめだな。
「どうしてハインドが、わたくしの疑問に答えているんですの?」
頭の上から降ってきた言葉は、当然のものだった。
シエスタちゃんを背負ったまま、ちょっと明るい路地が見えるほうに移動……って、なんでまた俺が一番下なんだよ。
のしかかってくるなよ。
「そりゃ、セレーネさんは心の準備でいっぱいいっぱいだし――」
「ハインドは小さいころ、割と話下手だったからな! セッちゃんの気持ちがわかるのだろう!」
「「「えっ?」」」
……えっ? ってなんだよ。
ほとんど全員、カームさんまで驚いていないか?
意外と思ってもらえたのなら、努力の甲斐があったと言えるのかもしれないが。
「……今だって、話すのが特別上手いってわけじゃないけどな?」
「うむ。下手ではなくなったが、無駄に長い時が多いな? 反省しろ!」
「てめえ……」
的確な論評で心を抉ってくるんじゃないよ。
思い当たる節が多すぎて痛いわ。あちこち刺さりまくりだ。
「浅いですね、ユーミルさん」
「なんだと!?」
お、体が軽くなった。
軽くなったけど、空気は重くなったな。
「ハインドさんは、複雑で難解な思考の中から言葉を抽出して話しているのですよ。脳が筋肉の一部と化しているあなたとは、根本的に構造が違うのです。それを理解しての発言ですか? 今のは」
「おまえ!」
リィズとユーミルが睨み合いながら、揉み合いながら遠ざかっていく。
人のいる方向ではないからいいけど、あまり遠くに行くなよ?
そのまま進むと門を通ってフィールドに出ちゃうぞ。
「その……ハインド君は、どうして今みたいになれたの?」
よく見るとセレーネさんの体勢は、町の明かりがあるほうへ少しだけ傾いている。
そろそろ行けそうだな……後押しの一言があれば、すぐにでも行けそうだ。
いつまでも同じ場所で停滞しているほど、彼女は弱い人間ではない。
「俺の場合は……まあ、予想はついていると思いますが」
言い争っているユーミルに目を向ける。
セレーネさんはそれだけでわかったらしく、間を置かずに苦笑を浮かべてうなずいた。
「あいつ、人に話しかけるときに自分がどう思われるかなんて考えちゃいないんですよ。とりあえず声をかけるし、なんなら声をかけてから話す内容を考えるし。変な顔をされても基本、おかまいなし。むしろこっちが変顔を見せて笑わせてやるぞ、くらいの勢いで」
身近にコミュニケーションのお手本がいた、という幸運。
あいつが近くにいて色々な人に話しかけ、仲良くなったり喧嘩したり、あるいは無視されたり……。
それを真横で見てきた俺には、他人とどう話せばどう反応されるかが蓄積されていった。
偉大な教師というか教材というか、それを見られる環境にあった俺は……うん。
ちょっとズルした気分になるな、セレーネさんと比べると。
「それは単に、あの方がイノシ――頭抜けて鈍いということではなくって?」
「ま、まあ、そういう面もあるだろうけど」
もちろんヘルシャの言うように、生来の気質というものはある。
だが……。
「幼いころの俺は、それを純粋にすごいなって思って。見習う……っていうのとは違うんですけど。あの半分くらいは積極性があってもいいのかなって」
「半分?」
「半分……いや、三分の一か?」
一々ヘルシャの指摘が的確だ。
そうだな、半分も真似したら過剰だったな。
もしかしたら三分の一でも多いかもしれないが。
「でも、私は……」
と、こんな話を聞かされてもセレーネさんは困るよな。
俺よりユーミルを参考にしろという内容では、彼女の背を押すことはできない。
「わかりますよ。成功体験が少ないから、嫌な記憶が蘇ってきて足がすくむんですよね。よくわかります」
「うん……」
「初対面の人に話しかけるのは怖い。上手くいかなかった時の、なんだこいつって目を見るとその場から消えてしまいたくなる。話しかけなければよかったと、最初からそんな気を起こさなければよかったと、何度後悔したことか」
「……っ」
セレーネさんが俺の言葉に、泣きそうな顔で何度もうなずく。
俺は幼稚園……小学生の低学年くらいで、どうにか脱出できたが。
きっとセレーネさんは今でも、そういった負のループに捉われたままなのだろう。
「そういうの、すごくわかるんですが……」
しかし、セレーネさんも最近になって少しずつ成功の記憶が積み重なっているはず。
現実で大学の友だちもできたし、サーラ国内の親しいプレイヤーとなら、俺たち抜きでも一人で自分から話せるようになってきた。
……だからもう少しなんだ、きっと。
「セレーネさん。興味ありませんか?」
「……え? な、なにがかな?」
思えば、ゲーム内で俺に向かって先に話しかけてきたのはセレーネさんだ。
あの時のように、好奇心が怖さを上回ることができれば……。
「魔界に住んでいる人たちに、ですよ。どんな生活をして、どんなことを考えているのか」
「あ、それは……あるよ、もちろん。こういうゲームをやっているんだし」
俺たちのような人種に必要なのは、根性論や感情論よりも計算だ。
つまり話しかける際に摩耗する諸々を上回る利益があればいい。
セレーネさんだったら、やはり……。
「それと、魔界の武器」
「!」
「防具、アクセサリー。魔界の金属、魔王ちゃんが言っていたその辺に落ちているっていう闇の属性石。それから……あ、魔族専用装備なんかも気になりますよね。羽、角、尻尾と人にはない要素がたくさんありますから。防具もそれに応じて形を変えないと。他には……」
「――」
眼鏡の奥にある目の色が変わってきた。
鍛冶に関することなら、彼女は決して手を抜かない。抜けない。抜く気がない。
言葉を重ねているうちに、やがて……。
「ありがとう、ハインド君。もう大丈夫」
「「「おおー」」」
セレーネさんは立ち上がった。
いつの間にか戻ったユーミル、リィズも歓声を上げる。
「やる気になってくれましたか、セレーネさん」
「うん……私、頑張る……!」
非常に珍しいことにパーティの先頭に立ち、商店通りらしき方向に歩き出すセレーネさん。
が、それは意識してのことではない。
もう頭の中は魔界の武器・防具のことで一杯なのだろう。
「……って、焚きつけておいてなんだけど。いつの間にセレーネさんが先頭に立って話しかけるって流れになっていたんだ? ユーミルだって、浮かない顔が気になっただけなんじゃ……」
「先輩。それ、今はあえて言わないほうがよくないですか? お口にチャック、チャックですよー。会話は大事、しかし時には沈黙も必要なのだー」
「そうだね。せっかく前向きに――って、シエスタちゃん?」
「……」
聞こえた声は背中から。
セレーネさんの後を追いつつ視線を巡らせると、わざとらしい寝息が聞こえてきた。
無理だろう、その誤魔化し方は。
「……起きたのなら、自分で歩こうか? シエスタちゃん。ね?」
「嫌です」
「振り落とすよ」
「いーやーでーすー!」
「ぐええっ!? 首が……っていうか、さっきまでより重いんだけど!? なんでだっ!? 子泣きジジイか、君は!」
聞くに、おんぶは背負われる側の掴まり方、体重のかけ方も大事という。
さすがシエスタちゃん、そのコツを全てマスターしているようだった。
……こんなところでそれを活用しないでほしいのだが。