菓子を山と積む
生地を混ぜる、混ぜる、混ぜる。
そして型に入れて焼く、焼く、ひたすらに焼く。
並行して作業していても、温度には気を遣う。
チョコレートのテンパリング、オーブンの温度、生地の温度に果物の温度、アイスクリームの温度まで。
それらに加え、周囲で作業するメンバーの様子にまで目を光らせなければならない。
「ユーミル、あんまり力任せに混ぜるな。飛んでる、俺のほうまで飛んでるから。って、リコリスちゃん、そっちは塩だよ!? 塩! ベタだな! ヘルシャ、なにを入れようとしている!? その真っ赤な粉末はなんだ!? シエスタちゃんは寝るな! そのまま寝たらケーキに顔が突っ込むぞ!? 寝るな! 寝るなぁぁぁ!」
「ハインドさん」
落ち着けと、リィズが背中に手を置いてくる。
ひとまず深呼吸、吸ってー……うっ、甘い香りが。
……あ、味はもちろんだが、お菓子はデコレーションからが本番というものも多い。
最後まで気を抜けないので、再度集中だ。集中、集中。
オーブン――というか、TBの世界では魔法式焼成窯という名だが。
その扉を開けると、濃縮された甘い匂いが鼻腔を刺激する。
「うぅっ……」
嗅覚は半ば麻痺しているものの、これは悪い意味で効く。
吸っても吸っても、甘ったるい空気しか肺の中に入ってこない。
我慢できなくなった俺は、宿屋内にある厨房の窓を限界まで開け放った。
貸してもらっておいてなんだが、この厨房は換気があまりよろしくない。
「……君たち。この匂いで気持ち悪くなったりせんの?」
新鮮な空気を吸ってから、振り返って女性陣に問いかける。
思い思いの作業をしていた面々は、その問いに一斉に首を傾げた。
「「「……全然?」」」
「あ、そう……」
考えてみれば、この中に甘いものが苦手な人はいなかったな。
それにしたって限度があると思うが……。
つい女性陣と表現してしまったが、そこにはワルターも含まれている。
一生懸命に生地を混ぜ、完成した菓子に目を輝かせ、味見の際には笑顔で頬張ると。
本人に言う気はないが、場に馴染みすぎているんだよな……むしろ俺だけが浮いている感じ。
「ハインド!」
「――ああ、すぐ戻る」
俺たちが現在行っているのは、トビに続いて『魔界のオーブ』を獲得するための準備だ。
先だってトビから連絡があり、魔界で最初の町に着いて情報収集したところ……。
オーブを使う以外に、魔界に行く手段はなさそうだということだった。
魔王像への貢ぎ物の中で最も上昇量が高かったのはお菓子であり、次点で服のセット。
服に比べてお菓子のほうがコストパフォーマンスもよかったので、こうして大量のお菓子をこさえている……というわけだ。
ユーミルに切羽詰まった声で呼ばれたので、なにかトラブルかと思い急いで戻る。
「どうした? なにかあったか?」
「マカロン!」
「………………ああ」
一瞬、なにを言われているのか考えてしまったが。
そういえば、マカロンを食べたいと言っていたっけ。
「リィズ、完成した菓子の数は?」
「既に目標数を超えています。真剣な顔のハインドさんが素敵でしたので、途中で止めはしませんでしたが」
「そ、そっか? ともかく、サンキュー」
無心で作り続けた結果、いつの間にか終わっていたらしい。
積み上がったお菓子の山は、カームさんが中心になって綺麗に箱詰めとラッピングをしている。
消えもの、それもゲームのものにあの丁寧さか……。
料理が苦手、あるいは練習中と自己申告のあった面々はそちらに。
他は俺の調理を手伝ってくれたり、謎の――もとい、オリジナリティ溢れるお菓子を作ったりだ。
「じゃあ、作るか。俺たち用のマカロン」
約束だったしな。
幸い、まだ材料は残っている。
みんなは休んでいいと告げつつ、下がってきていた袖をまくりなおす。
「え? いやいや、先輩も休みましょーよ。このお菓子の山……むぐ。ほとんど先輩が作ったんじゃないですかー」
口をもごもごさせながらシエスタちゃんがそう促す。
……さては、つまみぐいしているな? 別に構わないけど。
どうせ、どこから取ったのかわからないくらい巧くやっているのだろうし。
「そうですよ! ハインド先輩、シーちゃんの百倍くらい速く動いていましたし!」
「それは速いの?」
リコリスちゃんの比較はいまひとつピンとこない。
なにせ対象の元の値が低すぎる。
場合によっては秒速数ミリ未満なんて事態も平気で引き起こす子だし。
「シーはともかく、私のお母さんの三倍は手際がよかったですよ」
「それは速いかも」
「休憩しましょう、ハインド先輩」
サイネリアちゃんのお母さん……椿ちゃんのお母さんは呉服屋の女将さんなわけだが、かなりテキパキした動きをしていた記憶がある。
旅行中に得た情報からして、どうも高い家事スキルもお持ちのようで。
そういう人の三倍としたら自信を持ってもいい――気がする。
そもそも、その比較になにか意味はあるのか? というところではあるが。
……っと、休憩の提案に対する返答をしないとな。
「大丈夫大丈夫。このマカロンができたら、お茶にしようって話だから。これで最後――」
「ティータイムですの!?」
髪の一部に焦げ、頬に煤やら生地の一部が付いたヘルシャが顔を出す。
……お前はどうして、調理班を希望したんだろうなぁ。
火属性なのに、なにかする度いつも髪かドレスが燃えている気がする。
この不器用さんめ。
「出たな、紅茶女」
「なっ!? あなたに言われたくありませんわ! このコーヒー男!」
「うるせえ! コーヒー豆がまだ手元にねえんだよぉ!」
「それを今から魔界へ取りにいくのでしょう!? なにをキレていますの!?」
カフェイン切れだ……カフェイン切れね……というヒソヒソ話が主にヒナ鳥トリオを中心に聞こえてくる。
別にそんなことはなく、単に嬉しそうにカームさんに紅茶を用意させるヘルシャが羨ましかっただけである。なんて小さい男だ。
「ま、まぁまぁ、ハインド君。コーヒー豆が手に入ったら、しっかり堪能できるよう道具を準備しておくから。ミルとか、サイフォンとか」
「すみません、セレーネさん。ありがとうございます。少々取り乱しました」
「わたくしには謝らないんですの?」
最近になって知ったのだが、セレーネさんも結構なコーヒー党だ。
そんなコーヒー仲間である彼女からの嬉しい言葉に、メレンゲを混ぜる手が軽くなる。
……お、いい手応え。確かこのくらいでよかったはず。
ここまで来れば、マカロンの完成はもう間近だ。
「――私も!」
「うん?」
「私も、コーヒー豆の品種改良を手伝ってやるぞ! 必要だろう?」
「おお、そりゃ助かるな」
そんなことをユーミルと話しつつ、作業を続行。
絞り袋に生地を入れ、一定間隔で耐火性のある皿に生地を絞り出していく。
それが済んだら、焼いている間にマカロンに挟むバタークリームを作っておく。
「そういや、そうだったな。この世界で手に入る現実と共通の作物って、基本的に……よっと。焼けたか?」
入れてからすぐに焼き上がるのはゲームの利点だ。
本当は完成したマカロンを冷蔵庫で一晩寝かせたりするのだが、それも必要ないだろう。
簡略化仕様なので、なにもしなくてもクリームと生地が馴染んでくれる。
「ええ。現実世界の原種に近いものですから……原種が必ずしも現代人の口に合わないか? と問われれば、否と答えますが。こだわるなら、品種改良もありですわ。ね? ワルター」
「は、はい! お嬢様!」
途切れた俺の言葉を引き継いでくれたのは、ヘルシャである。
その流れでワルターに声をかけたのは、茶葉の改良を行ったのが主にワルターだったからだろう。
ワルターは植物の世話が好きである。
屋敷であてがわれている私室にも、いくつか可愛らしい植木鉢が置いてあった。
ついでに今回のお菓子作り、調理班で最も頼りになったのはワルターだった。
……うん。
まあ、それはともかくだ。
「確かに豆の品種改良、楽しそうだな。やってみたい。しかし、コーヒーの原種は今でも普通に飲まれているからな……」
「そうなんですの?」
その辺りは茶葉と人間との歴史の差と言ってもいいかもしれない。
古くから飲まれ、数多くの種類に進化・分派しているお茶に比べれば、コーヒーの歴史は浅いものだ。
ルーツをたどる際に、諸説出てくる茶葉とは背景が違ってくる。
「ああ。コーヒーの木の原種は大体三種類あると言われていて……魔界産がどれに近いかはわからないけど、そのまま飲んでも美味しい可能性は大いにある――よっし、マカロン完成。運んでくれ、ユーミル、リコリスちゃん」
「待っていたぞ! マカローン!」
「マッカローン!」
マカロンの載った皿を掲げ、元気に厨房を出て食堂に向かう二人。
アーモンド、バニラ、バターなどの香りで、出来立てのマカロンは一際香り高かった。
……ようやく鼻が正常に働くようになってきたな。
材料には食紅の代わりにベリー系の果汁を用い、白とピンク、紫の三色に仕上がっている。
今回は作らなかったが、緑のマカロン……抹茶味なんかもありだろう。
「あの、ハインド様」
「はい?」
右肩にノクス、左肩にマーネを乗せ、背中にグレンが張り付いたカームさんが声をかけてくる。
動きにくくないですか? それ。
「できましたら、この子たちにもお菓子を……」
動物たちに囲まれて、無表情ながらもどこか幸せそうなカームさん。
どうやら、神獣たちと一緒にお茶を楽しみたいらしい。
「はは、わかりました。薄味のマカロン……もどきでも、作るとしますよ」
「ありがとうございます。お疲れのところ、大変申し訳ございません」
「いえいえ。少し待っていてくださいね」
くどいようだが、ゲームで作る一品は現実のそれよりもずっと簡単だ。
そんなにかしこまらなくても――おっ。
メールの着信音が鳴った。
どうやら、トビから新しい連絡が来たようだな。内容は……?