魔界のゲート
「……はっ!?」
「動くな」
「えっ?」
蘇生完了。
いつものように跳ね起きたユーミルを、俺は物理的にその場に押し留める。
肩をつかみ、体の向きを変えさせ、自分の体をストッパーにして停止させた。
こうしないとこいつの場合、言葉が脳に届くよりも早く動き出しかねないからだ。
「は、ハインド……」
「あ?」
動きを止められたのはいいが、ユーミルにしては過剰におとなしい。
まるで借りてきた猫のように静かだ。
……あれ? 小声でなにか言っているな。
なんだ?
「ち、近い……顔が近い……」
「……近いとか遠いとか、お前になにか言う資格はないと思う」
いつもぐいぐい距離を詰めてくるのはそっちのほうじゃないか。
……ここまで来た際の記憶を頼りに、後ろに下がってわずかにユーミルから距離を取る。
ともかく、余計な場所に一歩でも動けば毒になる。
周囲は全て毒、毒、毒の毒地形だ。
じわじわHPが減るタイプの毒だけではなく、固定ダメージタイプ、動きを止める麻痺も完備である。
見た目は本当に美しい森なんだがなぁ。
毒のあるものは、得てしてそういうものかもしれないが。
「いいか? ユーミル。猛毒はもちろん麻痺草、食肉草も避けて戻るぞ。離れずについてきてくれ」
「う、うむ!」
どうやっても全てを避けることは不可能なので、比較的効果の弱い毒草の上を通って戻る。
俺は通ってきた時の足跡、そして動かずに待っているリィズを目印にしながら慎重に。
ユーミルは俺の様子を見つつ、安全そうなら同じ場所を踏んで進み……。
危ない時はその場に止まり、俺を回復しつつ別のルートを探ると。
連携がよければ一人の時より早く移動できるし、悪ければ倍以上は遅くなるだろう。
しかし付き合いの長い俺たちにかかれば、この程度の移動――
「ま、待て! 押すな! 服をつかむな!」
「離れるなと言ったのはお前だろうが!」
「だからって、背中に密着しろとは言ってねえ! あ、あー! 毒草踏んだ!」
「大丈夫か! ――あばばば!?」
「麻痺草を踏んだのか!? なんで横に逸れるんだよ!」
――この程度の移動……と思ったのだが、非常に苦労した。
待っているメンバーから、どかどか投げ込まれた回復薬でどうにか持ち直したが。
「いたっ、いたっ! ありがたいけど、いてえよ!」
「もうフル回復しているのだが!? 明らかに回復以外の意図を感じるのだが!?」
「二人でいちゃつくのがいけないんじゃないんですかー? 知りませんけどー」
いちゃついてなんかいない、などとシエスタちゃんに反論する気力もなく。
……あれ? そういえば、言葉の割にシエスタちゃんは物を投げていた様子がなかったな。
投げていたのはリィズと……誰だ? 一人ってことはなさそうなポーションの数に思えたが。
……と、ともかく。
ポーション類の薬液でびしょびしょになりながら、俺とユーミルは元のルートに帰還したのだった。
……以前、この場で大量発生した樹木精霊。
ここには魔王とサマエルも、多数の林檎を回収するため登場した。
その際に、魔界とのゲートが誤って開いてしまうという事件があり……。
「ヘルハウンドがわらわら出てきた、あれだな!」
「というか、収穫祭イベント自体を思い出したくないんですけどー……走らない、私は二度と走りませんよ……」
「む? どうしてそこで私を見る、シエスタ」
「どうしてでしょうねー?」
ユーミルにその手の皮肉は通じにくい。
シエスタちゃんはわかっていて言っているな、これは。
物申したくはあるけれど、諍いは面倒……と、ラインを見極めつつの発言だ。
こんなものをさすがとは言いたくないが、なんとも絶妙な。
「……で、だ。イベント時に起きたゲートの管理ミスは、単純に魔王ちゃんのドジとも考えられるけど」
「性格・キャラ的にはさもありなんでござるが。ステータス――レベルとか能力とかの面から考えると、確実に是とは言い難い感じでござるなぁ。魔王ちゃん、超がつくほど高レベルでござるし」
「うん。ま、この際そこはグレーなままでも構わない。だが、ベ……」
「……」
「じょ、情報屋から得た情報と合わせて総合的に考えるとだ。ここはゲートを開くのに適した、空間が不安定な場所なんだと推測できる。現に――」
高レベルモンスターを避け、逃げ、辿り着いた広場の中央。
そこにあったのは、ベールさんが教えてくれた空間の裂け目だ。
「なんか、うにょんうにょんしているしな?」
宙に浮いたひび割れのようなものが不安定に揺れ、形容し難い異質な空気を放っている。
裂け目からのぞく向こう側には、この場に比べてやけに暗く濁った景色が見えていた。
「不自然! 不自然ですわ!」
ヘルシャが人差し指を裂け目に向かって突き付ける。
やや後ろに控えたワルターも、主人に追従するように首を傾げた。
「え? どうしてこんな露骨なものが、他のプレイヤーの間で話題になっていないのですか……?」
二人の言葉はもっともだろう。
極彩色フィールドは現在のプレイヤーではレベルが足りず、来ること自体が困難。
とはいえ、レアな素材を求めて採取に訪れる者が皆無ということはない。
この場が常に今の状態であれば、誰かしら目撃者がいて噂になっているはず。
それがないということは、つまりだ。
「トビが持つ魔界のオーブに反応している、ってことじゃないかな。このうねりは」
「おっ!」
出番かな? という顔で一歩前に出つつ、懐を探るトビ。
取り出したオーブからは、既に怪しげな輝きが放たれている。
……というか、今にも何か起きそうな光の強さに、俺は即座に距離を取った。
大丈夫か、それ? 爆発しない?
「へ? え? みんな、なんで離れて……うおっ!?」
トビの驚く声と共に『魔界のオーブ』は一際強い光を放つと……。
持ったトビの手ごと、周囲を粒子のように分解しながら空間の裂け目に向かって流れていく。
「普通、行くかどうかの確認くらいあるでしょぉぉぉぉぉぉっ!」
ゲートに吸い込まれながらトビが叫ぶ。
叫ぶが、それもやがて遠ざかり……。
目の前からも、簡易マップからもトビの姿が消えた。
これで無事、魔界に行けた……のだろうか?
「さらば、トビ……」
「あなたのことは忘れません……」
「おい」
「っ……!」
まるで永遠の別れであるかのような雰囲気を漂わせるユーミルとリィズ。
それに対しヘルシャが顔を真っ赤にしながら、必死に噴き出すのをこらえている。
まあ、ここで笑ってしまうと普通に不謹慎だしな……常に上品さを保たなければいけないお嬢様は大変だ。
「あー、えーと……一応、試しておこうと思うんだが。パーティ状態なら、続けて入れ――」
まだトビとはパーティを組んだ状態が継続されている。
オーブ入手の経緯から考えて、半ば無理だとはわかりつつも。
距離を取っていたゲートに数歩、近づいてみたのだが。
「――ないな。残念」
パーティからメンバーが離脱する際に出る効果音が聞こえ、同時に揺らいでいた空間が閉じる。
後に残ったのは、目を凝らせば見えるかどうか……というレベルの、蜃気楼のような揺らぎだけ。
トビのやつ、いきなりだったけど大丈夫だろうか?
現状最高ランクのアイテム類を揃う限り、最大数まで持たせておいたけれど。
「なんだー、閉じちゃいましたか。ハインド先輩がゲートに挟まったりしたら、面白いなーって思ったのに」
手をわきわきさせながら、シエスタちゃんがのんびりと横に並ぶ。
なに、その手は……?
もし挟まったら、その手で俺になにをする気だったの?
「挟まるって……ないない。駆け込み乗車じゃないんだから。大人しく次の便を待とうよ」
「ですよねー。どちらかというと、そういうことをしそうなのはユーミル先輩ですしー」
「っていうか、相手がゲートだと輪切りになりそうで怖くない? 空間が閉じるときに、こう――」
「呼んだか!?」
呼んでいない。
呼んでいないのだが、自分の名前が出たことに反応してユーミルが来た。
「駆け込みとかどうとか聞こえたが……走るか!? シエスタ!」
「いや、だから走らないって言っているでしょうが!」
いつもの口調すら忘れ、全力でユーミルの提案を拒否するシエスタちゃん。
どうにも、この場所とシエスタちゃんは相性が悪いようだった。
そして……。
「ぐっ、くふっ……!」
相変わらず、笑いをこらえてうずくまるヘルシャ。
その背を、従者二人が思い思いの表情でさするのだった。