休憩スペースにて
「――と、いうことがあったんだ」
大浴場を出てすぐのところにある、休憩スペース。
そこで俺は、サウナでのぼせた経緯について司と秀平に説明していた。
「それ本当? 俺、全然気がつかなかったんだけど」
秀平は缶ジュースの蓋を開けると、首を傾げる。
それから、打たせ湯にいた時の記憶を探るように左方に視線を向けた。
「わっち、サウナの精でも見たんじゃないの?」
改めて記憶を探ってみても、思い当たるものがなかったらしい。
胡乱な目で見てくる。
「そうか。サウナの精って、白人系のおじさんだったのか……司、知ってた?」
「え? し、知りませんでした……」
サウナの発祥は一般にフィンランドとされているそうなので、おかしくないといえばおかしくないか?
俺が秀平の言葉を受けて司に話を振ったところ、素直な反応と共に会話が途切れる。
……。
「ちょっとちょっと、乗らないでよわっち。司っちにそこで鋭い切り返しを求めるのは酷だよ? わっちがツッコミ入れてくれないと」
「それもそうか。すまなかった、司」
「ボクのほうこそ、気が利かなくてすみません……」
「「いやいや」」
俺と秀平は声を揃え、手を顔の前で左右に振る。
司はそのままでいいと思う、心の底からそう思う。
「姿を見たのが俺だけってのは……あれだ。秀平、打たせ湯で体の向きを頻繁に変えてなかったか? 俺がサウナに入る時、横目で見たら、すげえ落ち着きなく動いていた気がするんだが」
打たせ湯の噴き出し口に向けてアッパーカットをひたすら繰り出していたり、修行僧のようなポーズを取ったり。
あれなら、周囲の様子が目に入っていなかった時間もそれなりに長いと思われる。
「あー、やっていたかも。って、わっち」
「なんだ?」
「つまり、マリーっちのお父さん……俺が後ろを見た瞬間を狙って、ささっと忍び足で通ったって言いたいの? そういうお茶目なことをしそうな人だったわけ?」
さて、誰に伝言を頼もうかな?
……などと考えながら、こそこそと半裸で楽しそうに動き回るマリーパパの図が脳裏に浮かぶ。
「……しそう……だと思ったな、うん」
答えつつ、手に持った天然水入りのペットボトルに視線を落とす。
そのままボトルを持ち上げ、口元で傾ける。
あー、無駄に上がった体温が下がっていくのを感じる……冷たくて美味しい。
「司はどう思う? マリーのお父さんのことは、俺たちよりもずっと知っているだろう?」
マリーパパは聞いた話を本人の様子から、かなり多忙のようだが……。
司がシュルツ家に雇われてからの年数を考えると、一度も会っていないということはないだろう。
「ええと、旦那様なら……はい。やりかねないと、ボクもそう思います」
故に、困った顔で笑いながら答えるまで、さほど時間はかからなかった。
ちなみに司は、露天風呂のほうにいたそうで……気がつかなかったのは仕方ないと言える。
「なんにせよ、マリーのお父さんが言っていたメッセージカードとやらを確認できれば済む話だ。フロントのスタッフさんに預けてあるらしいから、後で寄っていこう」
物的証拠を見れば、俺が熱さで幻を見たという疑念は払拭されるだろう。
……だというのに、しつこい男がここに約一名。
「わっちがのぼせて幻覚を見た、にコーヒー牛乳を賭けるぜ!」
「まだ言うか。そしてまだ飲む気か……腹壊すぞ」
秀平はコーヒー牛乳と言ったが、このホテルには温泉旅館などで定番の瓶牛乳は置いていない。
というか、ホテル名物である妙に高額な飲料用自販機はあり……。
正直、この水も高くて勿体ないと個人的には――
「誰ですの!? お父様と会ったのは!」
――マリーが血相を変えて廊下の角から登場した。
その手にはやけに豪華な装飾のカードが複数。
もう片方の手に、強く握られたせいで、くしゃくしゃになった手紙が一枚。
察するに、あれが例のメッセージカードで……マリーのだけは特別な置手紙、といったところだろう。
「シュウヘイ!」
「お、俺じゃないよ?」
「ツカサ!」
「お、お会いしていません……」
怒りに満ちたマリーに気圧され、秀平と司は一歩下がりながら答える。
マリーには、男性陣の中で会った人間がいると確信があるようだった。
手紙に仔細が書いてあったのか、はたまたフロントのスタッフに全て話しておいたのか。
いずれにしても、ここは……。
「ワタ――」
「あ」
「――……ワタル? どうして逃げだそうとしているんですの?」
「……」
だってお前、なんか怖いんだもん。
とは、余計に怒らせそうなので言えず……。
「む? なんだ、この状況は?」
しかも、折悪く未祐を始めとした女性陣がぞろぞろと女湯から出てきた。
た、退路が塞がれた!?
考えてみれば、別に逃げる理由はなかったわけで……。
勢いに負けた俺が悪いのだが、結果的にマリーに睨まれっぱなしでサウナでの顛末を説明することになった。
「――しかし、すごいな。このメッセージカード」
「一枚一枚、文面が違うようですね」
マリーパパが残していったメッセージカードを見ながら、理世と共に頷き合う。
素晴らしく細やかな心配りだ。
「使用人見習いのボクにまで……! 感激です!」
「僕も打たせ湯を真っ二つに割る修行を一緒にしたかったけど、また今度……って、マジでわっちの言った通りの人っぽいなぁ」
「ああ……って、秀平のは内容からして、ここを出る直前に書いたのか? マメだな……」
この場にいるのは、仕事中の静さんと保護者を除いた全員になった。
お母さま方はフロントでマリーパパと電話中。
移動中は電話に応じられるということで、大人同士で子どもたちの扱いについて話し合いをしている。
という建前で、大半の時間は互いに子育ての苦労話を披露しあう場になっているのだろうが……。
「いいお父さんではないか。何が不満なのだ? ドリル」
未祐が湯上りで上気した頬を手で扇ぎながら、マリーにそう問いかけた。
俺よりも後に未祐が買ったお茶のペットボトルは、既に中身が空になっている。
「みなさまの目にはそう映るでしょうね。ですが……」
マリーが握りっぱなしの手紙を益々強く握りしめる。
あーあー、ぐしゃぐしゃに……なにが書いてあったんだろうなぁ、あの手紙。
「あの人は……過保護! 過干渉! 過積載! なのですわ!」
深くは訊くな。
深くは訊くなと、マリーの表情が苦々しく物語る。
……ここはその通りにしておこうか。
「そうか……色々あるんだな。最後のはなにかおかしいけど」
「なにが積み上げられているんです?」
小春ちゃんの質問に、マリーは言葉を詰まらせる。
感情のままに話しているせいか、その内容を指して理路整然とは形容し難い。
それでもどうにか、マリーは帳尻を合わせるように言葉を絞り出す。
「か、過度の期待……かしらね?」
「「「あー」」」
そこまで聞いたところで、俺たちはおおよそマリーの感情を理解した。
なるほど、過保護まではともかく、それが加わってくると子どもとしては辛い。
だが未祐はあまり納得いかなかったようで、マリーの言葉に首を傾げる。
「忙しいからと放任されるよりもいいではないか。私なんて、亘が父親兼母親兼兄兼弟兼友人兼こ……幼馴染だぞ!」
「過積載!」
思わず反射的に叫んでしまった。役目が過剰に多すぎる。
そして、お前に弟扱いされた覚えはないのだが?
他はまあ、それなりに心当たりがあるが。
「未祐さん? 今、なにか有り得ない単語を言いかけませんでしたか? こ……なんですか?」
「き、気のせいだ!」
未祐が理世に詰め寄られている……のは置くとして。
言われてみれば確かに、未祐の父・章文おじさんは放任気味と言えなくもない。
無論、未祐に対して愛情がないわけでは決してなく、むしろマリーパパとどっこいな可能性すらある。
採った方針は真逆のようだが。
「うーん。忙しさはマリーのお父さんも章文おじさんもあまり変わらない気がするが……当たり前だけど、それぞれの家庭によって違うもんだな」
父親と娘の関係は難しいもののようだ。
そういえば、こういう話をする機会って今まであまりなかったな……。
我が家の事情を知る人には、どうしても気を遣われることが多い話題でもあるので。
「ウチも過保護ですけど、過度な期待とかはないですねー。おとーさん、そのままの愛衣でいいよって言ってくれます」
「駄々甘やかされているね、愛衣ちゃん……」
「私の父は寡黙で、余計なことは話してくれません」
「厳格そうだったものね、椿ちゃんのお父さん」
「私の家はお母さんとお父さんがラブラブです!」
「小春ちゃんのおかげもあると思うよ、それ」
と、なんとなく各家庭の事情を披露しあう流れに。
まあ、あちらで電話しているであろう大人組も似たような話をしているだろうし……おあいこではあるのだろう、きっと。
先程までぷりぷりしていたマリーも、今は興味深そうに各人の話を聞いている。
「和紗さんのご両親は……どちらもおっとり系でしたね、そういえば」
以前、カメラ越しだが二人と少しお話したことを思いだす。
落ち着きがあって、話し方もゆっくりで、優しい笑顔を見せてくれた。
短い時間だったが、俺は非常に好印象を持っている。
「あ、うん。我が家の両親は割と晩婚だったから……いつもあんな感じだよ?」
「なるほど。いいですよね、穏やかな家庭環境って感じで」
「そういう夫婦関係も素敵ですね」
「そ、そうかな?」
俺と理世の言葉に、和紗さんは照れたように相好を崩す。
あと話を聞いていないのは……と。
そういった流れで、何となく俺たちは秀平に視線を向けた。
「……いや、わっちたちは知っているでしょ? ウチはかかあ天下な上に、姉ちゃんたちが強すぎて、父ちゃんの肩身は超狭いよ……」
特に知らなかった中学生組も、和紗さんも、マリーや司ですらも「やっぱり」といった顔でうなずく。
どうも普段の秀平の様子から、予想通りの答えだったらしい。
「うん、知っているよ。どんまい」
「お前も将来、そうならないよう気をつけるのだな。私の知ったことではないが」
「秀平さんの性格と素行を考えるに、今更なにをしても無駄だと思いますけれど」
「慈悲がない!? ええい、こいつら! 風呂上がりでさっぱりしたところに、嫌なビジョンを見せやがってぇ! 予言になりそうだからやめて、マジでやめて!」
当の本人すらも、薄々そうなるかもという予感があるようだった。
正直、どうなるかは未来の秀平のお相手次第といったところではあるのだが。
それを抜きにしても妙な説得力がある。
しばらくの間、秀平は嫌そうな顔で俺たちに抗議していたのだが……。
「――くそう! こうなったら、部屋に戻ってゲームの続きやるよ、続き! ちくしょうめぇ! 早く魔王ちゃんに会って、荒んだ心を癒さないと気が済まねぇー! 皆の衆、拙者に続け! 続けぇぇぇ! おるぁぁぁ!」
やがて秀平は、やけ気味に出したゲーム再開の宣言と共に部屋へと向かう。
さすがに今のはちょっと弄りすぎたかもしれない……そう思った俺は、秀平が好きな銘柄のジュースを自販機で一本購入した。
と、続けて硬貨が投入され、同じボタンが二度押される。
「プッ……くくく……」
ジュースを手にした俺、未祐、理世を見てマリーが笑う。
見ると、残った他の面々も似たような顔でこちらを見ていた。
「……なんだよ? マリー」
「なにか文句があるのか? ドリル」
「偶然、三人とも同じものを飲みたくなっただけですが?」
「ふふふ……いいえ、なにも文句はありませんわ。なにも。ふふふふ……」
すっかり機嫌を直して笑いをこらえるマリー。
そして俺たちはジュースを手に、秀平の背を追いかけるのだった。




