面接inサウナ
ゲーム内で、ヘルシャに炎で炙られたから――ということもないのだが。
何となくサウナを連想した俺は、大浴場にあるドライサウナに来ていた。
ハーブが入ったミストサウナもあるのだが、喉や肺などを労るならミスト。
汗を大量に出すならドライというイメージだ。
せっかくなので、今日は毒素を全て出しきるつもりでドライサウナに挑む所存である。
「ふー……」
じりじりとした熱で、目が渇くような感覚に襲われる。
鼻が熱くなり、呼吸が少ししにくくなり……。
しばらく我慢していると、全身からべたついた汗が浮かんでくる。
更に耐えていると、汗がサラサラとした不快感の低いものに転じていく。
その間、何度かサウナから出て汗を流し、水風呂にも入る。
そしてサウナへと戻る。
「ああー……」
体力を消耗するので怠さはあるものの、同時に体中の細胞が活性化しているようにも思える。
サウナと水風呂の往復を無限に繰り返せそうな気分になってくるが……そろそろ切り上げたほうがいいだろうか?
そう考えた時のことだった。
「――!」
誰かがサウナルームの前に立つ気配。
扉にある小窓から人影が見える。
誰だ? 秀平か? それとも司か?
「……」
立ち上がろうと腰を浮かしかけていた俺は、緩み気味だった表情を整えつつ座り直した。
こういうときって、何となく出ていきにくいんだよな……高級ホテルだろうと、保温のためかサウナ室の出入口は狭いし。
ついでに腰に巻いているタオルの位置も確認。
他意はない。
ただ、男同士だろうと見苦しいものは見えないほうが――
「!?」
――驚いた。
あ、いや、その人物が丸出しで入ってきたからだとか、そういうことではない。
きちんとタオルは腰に巻いている。
だが問題は、入ってきたのが司でも秀平でもなかったからで……。
「やあ」
外国人だ。
一目で外国人とわかる風貌。
高身長、染めたものとは違う自然な茶色の髪、目鼻立ちのくっきりとした端整な顔立ちに、白い肌。
年齢は……かなり若作りに見えるが、四十前後といったところだろうか?
「隣、いいですか?」
「あ、大丈夫ですよ。どうぞどうぞ」
プレオープンに俺たち以外の人間が招かれているとは聞いていないが……。
考えられるのは、遅れてきた誰かの身内という可能性。
このホテルのセキュリティからして、部外者が入ってくるということはまずありえない。
そして、外国人という時点で択は一気に絞られる。
「あいたっ!」
あ、加熱装置が置かれた煉瓦の出っ張りに足をぶつけた……のだが、その男性はまず煉瓦のほうに異常がないか確認する。
それから、痛みと照れを誤魔化すように笑いつつ俺の隣に座った。
……すごくいい人そうだ。
ちなみに、建て付けの悪い扉に足をぶつけたあげくにその扉を怒りに任せて殴り、扉も拳も粉砕したという人を知っている。短気は損気。
「……もしかしてですけど。マリーのお父さん、ですか?」
普通に考えれば、状況的に――というか、現在進行形で充分に突飛な状況ではあるのだが。
容姿の共通点はそこまで多くないものの、綺麗な碧眼がマリーとそっくりだ。
シュルツ家で話に聞いていた特徴とも一致する。
俺の当て推量に対し、男性は穏やかな笑みを浮かべてうなずく。
「おお、よくわかったね。そういう君は――ワタル・キシガミ……岸上亘君だね? はじめまして」
「は、はい。はじめまして」
マリーよりもやや訛りが強いが、流暢な日本語だ。
俺の名を知っていることに関しては……まあ、そもそもマリーが誰と療養に来ているのか、父親なら把握しているだろうし。
握手を求められたので、手を差し出したが――俺の手、汗ばんで気持ち悪くなかっただろうか?
マリーのお父さんの表情に変化はない。
「君が来てからというもの、屋敷の空気が少し変わったみたいだ。使用人たちも、もちろんマリーも……いい刺激を受けていることがわかるよ」
「あ、ええと? マリー……さん、にはよくしていただいていますが。俺――私はただ、掃除夫として業務をこなしているだけですよ?」
「ははは、謙遜しなくていいよ。マリーの学校のお茶会にも、一緒に行ってくれたと聞いているよ? それをただの掃除夫とは、僕にはとても思えないかな」
「あ、ああー……」
ばれている。当たり前だが。
そうだった、目の前の人は雇い主の父親でもあるのだ。
……いかん、そう考えたら緊張してきた。
改めて、何なんだこの状況は。新手の面接か?
何を話せばいいんだ、どういう顔で応じればいいんだ。
人格者っぽい雰囲気ではあるが、相手は何千何万、下手をするとそれ以上に膨大な数の部下を持つ大グループの代表取締役だ。
背中から滲み出る、オーラのようなものを――
「……知っているかな? マリーは……容姿端麗頭脳明晰、少し意地っ張りだけど頑張り屋。そんな可愛い可愛い僕の娘は――」
「は、はあ?」
――感じたのは、気のせいだったかもしれない。
段々とただの親バカ、普通のおじさんに見えてきた。
「――娘は、マリーは……幼いころから友だちを作るのが苦手でね」
「……」
……うん、この人は極々普通のお父さんだ。
もちろん、悪い意味でではない。
どんなに多くの人の上に立っていようと、この場にいるのは一人の娘の父親だ。
声が、目が、表情が、それを雄弁に語っている。
「前々から心配していたんだ。我が家はああだから、それがマリーの枷になってはいないかと。君はどう思う?」
「それもあるでしょうけれど、本人の勝ち気な性格によるところも大きいような――」
「だから、ほっとしたよ。君たちのような同年代の友人ができたと聞いた時は」
「――あ、はい」
なるほど、マリーに関する都合の悪い話は聞こえないと。
っていうか、自分でも意地っ張りと言っていたじゃないか……。
他人が言うのは許せない、という感じだろうか?
「そしてその同年代の友人の一人を、屋敷で雇うと聞いてまた心配になったよ」
「まあ、それで対等な関係を維持できるかというと、微妙ですよね。どうしても、お金の話が絡んでしまいますし」
「――」
あ、初めてマリーパパから笑顔が消えた……。
心当たりがたっぷりあるといった苦い顔だ。
お金持ちだもんな……きっと、色々あるのだろう。
元気出してください、とか声をかけたいが……気安すぎるだろうか?
会ったばかりの人間が言っていいことじゃない気もする。
「ははっ。しかし、君とこうして話して、それが杞憂だということがわかったよ。ほっとした」
「そ、そうですか?」
俺の顔がどこかおかしかったのか、マリーパパは先程までより深い笑みを浮かべた。
ここまでに彼を安心させられるような話、したっけか? 記憶にないのだが。
「ええと……それにしても。何度も心配したりほっとしたり、年頃のお子さんを持つお父さんって大変ですね?」
「ふふ。子育ては基本、その二つの繰り返しだよ。それも幸せの一部ではあるけれど、ね」
「お、おおー……」
うーわ、ウインクしつつ言いきったよ、この人。
発言内容も所作も、クサイはずなんだが気にならないんだよな……容姿とか、この人が持つ雰囲気のせいだろうか?
いずれにしても、大多数の日本人男性がやると似合わないやつだ。
マリーパパの大人の男性としての余裕、そして強烈な包容力が為せる業だろう。
「……あの。ところで今日は、どうしてここに?」
話が途切れたところで、ここにいる理由を訊いてみた。
マリーのお父さんが時間を気にするような素振りを見せているし、そろそろ俺の体力が限界ということもある。
本題を話し終えれば、席を立つ――というと少し変だが。
席を立つきっかけになると思うのだが……あついな……。
「僕がここにいる理由かい? もちろん娘と、娘のお友だちの顔を見に……の、はずだったんだけど」
「ああ、なるほど。忙しい仕事の合間に来たはいいものの、マリーに嫌がられるからアポは取っていない。サプライズ気味に来たせいで、タイミング悪くみんな温泉に行っていたと」
マリーの言葉の端々からこの親バカ――もとい、過保護気味なお父さんと距離を取りたがっていることは伝わってきた。
同時に、決して嫌っている訳ではないことも。
だからこんな状況が生まれて……まさか女湯に突入するわけにもいかないので、せめて男友だちの顔だけでも見にきたというところか。
秀平も打たせ湯の辺りにいたはずだが、あえてサウナを選んだのはどうしてだろうな? そこだけは理由がわからない。
「……素晴らしい。君は本当に察しがいいんだね? 僕がマリーに嫌がられているというのは、その……素直にうなずきたくないところだけど」
「すみません。暑さでボーっとしてきたので、さっきから失礼なことを言っているかも……」
「ああ、気にしないで。ご婦人方、お嬢様方には、僕が娘をよろしくと言っていたと――君の口から伝えてくれるかな? メッセージカードは置いていくつもりだけど、生憎、次の仕事の時間が迫っていてね。頼めるかい?」
「承知しました。お任せください」
「ありがとう、亘君」
言うべきことを言い終えたのか、マリーのお父さんが立ち上がる。
俺は多数の玉の汗が浮かんだ顔を拭いつつ、息を吐いてその背を見送る。
み、水……水がほしい……。
「いやはや、マリーにゲームをやらせてみて正解だったよ。もちろん、悪い虫がつく可能性はあったけれど……ゲームは最高の文化だね、やはり。時間さえあれば、僕も娘や君たちと一緒にプレイしたいところだよ、うん」
熱でぼやける視界、息苦しさに耐えていると、そんな言葉が耳を通り抜けていく。
意味を理解できたのは、それが聞こえてから数秒後のことだった。
反応が鈍くなっている。
「……ちょっと待ってください。マリーがTBをやり始めた理由って――」
「今度は一緒にゲーム談義をしよう、亘君。実は僕、昔はゲーマーだったから結構詳しいんだ。ということで……これからも娘をよろしくね。はっはっは!」
「あ、あの!?」
「はっはっはっはっは! また会おう!」
お手本のような高笑いを上げながら、マリーのお父さんは快活にサウナルームから去っていった。
断熱性高めの、少し重い扉がゆっくり閉まる。
……帝王学だとか、最新VR技術の視察だとか、そういうのを学ばせるのが目的ではなかったのか?
マリーのやつ、多分気がついていないよな?
友だちを作らせるために、父親がゲームのプレイを勧めてきたなんて。
「言わないほうがいい、よな?」
知ったら怒りそうだし、自然体でプレイするのを妨げそうだ。
変に不器用なところがあるからな、マリーのやつ……意識させないほうが、この先も交友関係を広げやすい気がする。
……って、熱いし暑い!? 考えている場合じゃねえ! 頭が働かねえ!
もう限界だ、早く俺も出ないと!
「――ぶっはぁ!」
勢いよく扉を押し開くと、既にマリーのお父さんの姿はなかった。
代わりに、シャンプーハット付きで頭を洗っていた司がこちらの存在に気がつく。
「し、師匠!? どうしたんですか、全身真っ赤ですよ!? 体から湯気が出ていますよ!?」
「………………」
「師匠!? 師匠ーっ!」
駆けつけた司に助けられつつ、俺は水分と涼を求めてよろよろと歩き出した。
割と温かいはずの大浴場の空気ですら、今は涼しく感じられる。
もう今日のところは、サウナに入るのはやめておこう……。