手と手と手
「こここ、怖い! 怖いです、ハインド先輩!」
リコリスちゃん目がけ、大量の――。
大量の、人のものに似た手が殺到する。
「うわぁ……」
「うわぁ……じゃなくて! 何とかしてくださぁぁぁい!」
俺たちが今、冥宮で戦っているのは宙を飛ぶ手だ。
名前は『イビルハンド』で、種族は悪魔系である。
手だけが存在しており、本体といったものは存在しない……らしい。
正確に表現すると、在るのは肘あたりから上で――いや、微妙に個体差がある。
全体の大きさに個体差があって、しかも太さ・長さに色までがバラバラなので、生々しくて気持ち悪い。
観察するためにじっと見た結果、余計に気持ち悪くなった。
「なんかこういうホラー映画見たことありますぅぅぅ!」
「ごめん、待っていて! なるべく早く倒せるようにするから」
「お願いしまぁぁぁす!」
ヘイトを引いているせいで、右に追いかけられ。
左に追いかけられ。
代わってあげたい気持ちはあるが、ゲームの都合上、後衛の俺が出たところで……という感じだ。
盾役であるリコリスちゃんには、耐えてもらうしかない。
「頑張れー、リコ」
「頑張れー、でもなくて! 助けてよ、シーちゃん!?」
「え? サイがやってくれるって言ってたよ?」
「言っていないわよ!?」
迫りくる手の大群を、必死に盾で抑えこもうとするリコリスちゃん。
盾の左右をすり抜けてくる手を見て、短い悲鳴と共に顔を青ざめさせている。
おおう……急ごう。
「ちょっと、シー! 悪魔系なのだから、あなたの光魔法が一番有効でしょう!? 物理攻撃の通りが悪いのだから、私の弓じゃ対処が難しいのよ!」
「あー、そっかそっか。先輩、魔力バフ――」
「もう詠唱しているよ……よし、完成! ドンドン撃ってくれ!」
「さっすがー。リコ、ちゃんと避けてねー?」
「分かったから、早くぅぅぅ! 怖いぃぃぃ!」
シエスタちゃんの杖から敵に向かって、光線が発射される。
その照射を維持したまま、左右に薙いでいく。
「おー、効く効く。でも、見た目の割にかたいなぁ」
ボロボロと殺虫剤をかけられた虫のように、とはいかず。
根気よく照射してようやく撃破、といった感じだ。
それでも数が減ったことで、リコリスちゃんは叫びながら逃げ回るのをやめた。
少し落ち着いたらしい。
そんなわけで、今回のパーティメンバーはヒナ鳥と――
「ヘルシャも援護を……って、あれ?」
「……」
――旅行に入ってから、ずっと一緒のパーティでプレイ中のヘルシャだ。
ただ、今は反応が薄い。
見ると、先程までのリコリスちゃんと同じ表情をしている。
「おーい、ヘルシャ? ヘルシャさん?」
「……」
「……。ドリルー」
「誰がドリルですの!?」
よかった、反応があった。
まあ、敵が怖いし気持ち悪いからな……俺と同じように、じっくり見てしまったのだろう。
シエスタちゃんがからかいたそうな顔で見ているが、黙って前を向かせる。
野暮な指摘はやめておこう。
しばらくすると、階を進んだことで生じた敵の変化にも慣れてくる。
俺たちはシエスタちゃんとヘルシャ、二人の範囲魔法を主力に進んでいった。
サイネリアちゃんの弓は相性が悪いので、俺と一緒に補助中心の立ち回りだ。
リコリスちゃんは怖がりながらも、しっかりと安定した壁役を務めてくれている。
「そういえば、音楽も変わったね。格好いいけど、ちょいとダークなやつに」
「ですです! それがまた、怖いんですよ!」
リコリスちゃんと話している「音楽」というのは、ダンジョン内のBGMのことだ。
それが変わったということは、きっと何らかの節目が近い。
敵の攻撃力も油断できないレベルになってきたし。
多くのプレイヤーと同じく詰まるにしても、攻略はそこで一旦終わりになるだろう。
「ハインド先輩は平気なんですか!? ダンジョンの雰囲気的な意味でもですが!」
BGMはオフにできるのだが、どうもリコリスちゃん……。
怖い怖いと言う割には、音楽を切っていない模様。俺もだが。
平気かと訊かれたので、俺は顎に手を添えつつ答える。
「いや、怖いよ?」
「え?」
改めて周囲の状況を確認する。
城のように荘厳な内装ながら、どこか冷たさを感じさせる通路。
奥は暗く、照明は青い炎が灯された光度の低いものが点在しているのみ。
時折、悲鳴のような声や呻き声、不自然なラップ音などが鳴る。
――うん、普通に怖い。
故にこう答えよう。
「だって俺、どちらかと言えばびびりだし……」
「私もです!」
「その割に元気だね」
「はいっ! 他に取り柄がないので!」
そんなことはないと思うが。
ちなみに背景の音楽だが、没入型のVRゲームということで、当然だがこの仕様には賛否あり……。
環境音で充分、オンにしていると敵の足音や声が聞こえなくなるなど、どちらかというと否の声が大きい。
結果、BGMはオン・オフが可能だし、何なら自分で好きな曲を入れることもできる。
……しかしこのBGM、本当に迫力満点だな。不安を掻き立てられる。
今にも、暗闇の先から手が伸びてきそうな――
「ぴたっ」
「うわあっ!?」
――手が! 手が首筋に!
慌てて振り返ると、そこには眠気を帯びたいたずらっ子の顔があった。
「あはは。相変わらず、いい反応しますねー。先輩は」
「シエスタちゃん……!」
ほんの数秒でびびりであることを証明してしまった。
シエスタちゃんはそのまま、俺の手首をつかみ……。
「……何で俺の手袋を外すの?」
「そりゃあ、こうして私の手の皺と先輩の手の皺を合わせるとー」
「合わせると?」
「私が幸せになりますねー」
「どういうこと!?」
ぺたっと、つきたての餅のように柔らかな手の平が合わされる。
俺のほうは……水仕事と冬の乾燥で荒れ気味だ。
温泉で少し回復はしているが、シエスタちゃんと比べると汚い手である。
嬉しそうにしているな……こんなかさついた手の何がいいんだ?
「ほら、さっきから手がいっぱい出るじゃないですか。それを見ていたら、こういうことをしたいなーって」
「あの不気味な手の群れから、そういう発想になる……?」
「シーは昔から、どこかずれているんですよ……」
不思議な感性をしているな。
思わずサイネリアちゃんと一緒に首を捻る。
更には笑顔のリコリスちゃんが寄ってきて、シエスタちゃんと同じように俺と手を重ねてきた。
良くも悪くも、ダンジョンの暗い雰囲気が気にならなくなったな……あったかい。
そんな俺たちの様子をじっと見ていたヘルシャは、腕を組んで首を傾げる。
「それでしたら、ハインドではなく先程のモンスター相手でもよろしいんじゃなくって? 手を合わせ放題ですわよ。安全性は保証いたしかねますけれど」
「ちっちっち。分かっていないですねー、お嬢様は」
シエスタちゃんが手を離し、ヘルシャに向かって三度舌を鳴らす。
ヘルシャはそれに対し、やや不機嫌な表情で問いかけた。
「……何を、ですの?」
「あんな手とじゃあ……何をしたって、幸せになんてなれないよ! ジョニー!」
「やかましいですわ!?」
「誰だよ、ジョニーって……」
みんなで騒いでいるのは、多少怖いのを誤魔化そうとしている部分がある。
あったのだが……それがいけなかったのだろう。
気付いた時には、俺たちは浮遊する手に囲まれていた。
一早く気付いたリコリスちゃんが悲鳴を上げる。
「きゃあああ!? ははは、ハインド先輩! 千客万来ですっ!」
「いつの間に!? みんな、構え――いだだだだだだっ!?」
「ああっ!? ハインド先輩が百裂ビンタを!」
ベチベチベチベチと、二十を超える敵からの強烈な平手打ちによって身動きが取りにくくなる。
た、確かにこれは怖い! 害意を持った手が向かってくるというのは、反射的に体が強張る!
「おおー、先輩には悪いけど……なんか面白い。絵面が」
「そんなことを言っている場合ですの!? このままでは、ハインドが……ハインドが――」
って、チョップ!?
待って、ひたすらデコピンしてくる変な個体がいるのだが!?
誰だ、モンスターの動きに遊び心を入れたのは!
「――なるほど。慣れてきたら、段々とコミカルな動きに見えますわね?」
「でしょー? 前言撤回しますね、ヘルシャおじょーさまは話がわかる」
「ふふ、そうでしょうとも! ……今あなた、わたくしを扱いやすい人間だと思いませんでした?」
「いやいや、まさかー」
「笑みに邪なものが混ざっていましてよ!? ちょっと、シエスタさん!」
リコリスちゃんが駆けつけ、盾と剣を振り回してヘイトを引き……。
サイネリアちゃんが低ダメージながらも、スキルの連発で数を減らしにかかってくれる。
敵の集団攻撃から何とか抜け出したころには、俺は戦闘不能寸前になっていた。
「おい、助けてくれよ!? メイン火力たち! 君らがまったりしていると、いつまで経っても敵が片付かないんだよ!」
「「ごめんなさい」」
因果応報というか……ヘルシャとは、前回と逆の立場になったな。
それから程なくして、爆炎と光線が手の群れを焼き尽くした。