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兄妹の語らい

「兄さん」


 大浴場からの帰り道、理世に呼び止められる。

 何か話がありそうな顔だったので、俺は黙って階段のほうを指差した。

 ……あ、エレベーターのほうがいいか?


「……」


 俺の動きに、首を横に振る理世。

 うん、じゃあゆっくり歩きながら話そうか。


理世(りせ)も風呂上りか?」

「はい」

「寒くないか?」

「大丈夫です。このホテル内の空調は、万全みたいですから」


 ステップ部分が広く、一段が低いゆとりのある階段を二人で上っていく。

 スペースを贅沢に使った、大きな階段だ。

 足元は柔らかい床材で、歩いていて疲れにくい。

 もちろん窓も大きく、ほとんどガラス張りと言っていい壁面からは海が遠くまで見える。


「……いい(なが)めですね」

「ああ。海沿いの温泉っていうのも、(おつ)なもんだな」


 昔、理世のアトピー治療で行っていた温泉は山沿いだった。

 遠く水平線まで見える景色というのは、解放感が違う。

 山は山で視線を遮るものが多く、木々の緑もあって落ち着くという長所があるが。

 ……そろそろ理世が本題に入りそうだ。


「――マリーさんから、屋敷で働かないかというお話をいただいたのですが」

「そうか」


 妹の手前、冷静にそう返したものの……。

 内心は「えっ!? 早っ!」という気持ちでいっぱいだった。

 TBからログアウトして、まだ二時間も経っていないのだが……神速の勧誘である。

 やはり、仕事ができる奴は動き出しが早い。


「兄さん、どうしたらいいと思いますか?」

「理世はどうしたい?」


 理世の不安げな声音の質問に対し、質問で返す。

 普段の様子からは考えられないが、理世は生活環境の変化をあまり好まない。

 過去の経験のせいなのか、それともそれだけ今を大事にしているからか、どちらかはわからない。

 いずれにせよ、この場で兄としてやるべきことは……。


「家の経済状態なら、いつも言っている通り心配する必要はない。理世がそうしたいなら、今のまま勉強に集中するのもいいと思う。社会勉強が必要だと考えるなら、マリーの申し出を受けるといい。得たバイト代は全て自分の(ふところ)に入れてOKだ」

「……兄さん」


 まずは、経済面の心配がいらないことを伝える。

 普段から母さんと共に言っていることだが、改めて……である。

 そして再び、理世の答えを待つ。


「私は……」


 迷っている、あるいは言い出しにくいことがある。

 そんな雰囲気だな。

「自分で決めろ」と言われてどこか(さび)しそうな顔に見えるのも、きっと気のせいじゃない。


「言っておくが、突き放しているわけじゃないぞ。俺だって本当は自分の考えを押し付けたいし、あれこれ言って縛りつけたい。それだけ理世が大事だからな。でも、ほら……わかるだろう?」


 年頃の娘に、口うるさく言う目上の――特に男性の家族は嫌われると聞く。

 それは兄だろうと、父親だろうと一緒のはずだ。

 理世は賢い子なので、ある程度は自主性に任せるほうがいい。

 そう思っての発言だったのだが……。


「兄さん……!」


 理世が不思議なほど感動に打ち震えている。

 目は(うる)み、頬は赤らみ、呼吸が荒くなっている。


「私は兄さんにだったら、きつく束縛されたいです……してください」

「そこじゃなくて、照れて言えなかった部分に反応してほしかったなあ! マジで!」


 確かに縛りつけたいとは言ったが!

 赤い顔のまま両手首を差し出してくるんじゃない、誤解を招くだろうが!

 だ、誰も見ていないよな?

 (あわ)てて階段の上下を確認してしまう。


「ふふ、わかっていますよ。相手を思いやるからこそ、その意思を尊重する。それが本当の家族愛だと……そういうことを言いたいのですよね? 兄さんは」

「そうだけど、俺がぼかして言った意味は?」

「うふふふふ」


 堂々と言われると恥ずかしい。

 理世は手を引っ込めてくれたが、今度は両手を広げて飛び込んでくる。


「兄さん。にーいさん」

「危ない危ない!? 階段だぞ!」


 いくら一段の幅・奥行が広いとはいえ、こんな場所で抱きついてくるのは危険だ。

 腰に回してきていた理世の腕をほどき、慎重に降ろす。

 離れ際、温泉の湯とシャンプーの香りが混ざった匂いがした。


「……では、白状しますね? 本当は恥ずかしいのですが」

「ああ。手早く頼む」


 理世は明らかに先程までより上機嫌だった。

 普段のダウナー気味な表情は一切なく、足取りも軽い。


「私、実はマリーさんのことをそこまで信用していません」

「わーお」

「……仕事面での話ですよ? 人間性の話ではなく」

「そ、そうだよな? 大丈夫、ちゃんとわかっているから」


 理世の言葉は直球だった。

 なるほど、これは堂々と人に言っていい内容じゃない。

 言いよどむわけだ。


「兄さんが信頼を寄せている人ですから、私もそのまま信頼したかったのですが……」

「それは正しい見解だと思うぞ。あんまり盲目的なのも変だし……つまり、理世はこう言いたいんだな? マリーのもとで学ぶことがあるのかどうか、正直疑問だと」

「はい。私はマリーさんの仕事ぶりを(じか)に見たことがないので」

「そういやそうだな」


 外からだと、マリーの立場は親の七光りにしか見えないだろうし。

 実態は清掃員の立場でもわかるくらい、高い能力を求められた上で、重責を背負わされている様子が見て取れるのだが。

 どういう父親なんだろうな、マリーのお父さん……それからおじいさんって。

 まだ会ったことがないからなぁ。


「ちなみに、理世」

「何でしょう?」

「マリーの人柄が気に食わないとか、そういうことはないんだよな?」


 理世は考えるように一瞬黙り、それから口を開く。


「ありません。未祐(みゆ)さんに似ているところもありますが、マリーさんのほうが(はる)かに理知的で――いえ、これはマリーさんに失礼でしたね。比較対象のレベルが低すぎます」

「……」


 この話にあまり関係ない未祐が、意味もなく(けな)されている。

 失礼なのは未祐に対してだと思うが……黙っておこう。

 あの二人を比べたくなる気持ちは俺にも理解できるし。

 マリーが――というかヘルシャが、自らライバル宣言しているというのも大きい。


「だったら話は簡単だ。要は、マリーの仕事ぶりを見てから決めればいいんだからな」


 あちらからの勧誘な以上、きっと見学の許可は出るだろう。

 その後の判断がどうなるにせよ、理世にとってはいい経験になると思う。

 同世代で学生と社会人を兼ねている人間なんて、そうはいないだろうから。


「そうですね。温泉旅行の間は、その機会はなさそうですが……あ」

「どうした?」


 何かに気がついたのか、理世が足を止める。


「兄さん。バイト先が一緒なら、兄さんと私が一緒に過ごせる時間がそれだけ増えるのではありませんか?」

「え? そりゃ、勤務先が同じな以上はな。時間が合えば一緒に家から出ることになるし、連れ立って帰ることもあるだろ」


 配属先・仕事内容やシフトが同じとは限らないが。

 むしろ、そこは別にしてくれたほうが……さっきトビと話したが、下手に一緒だと俺が――。

 俺だけが、優秀な理世に押されて一方的に辛いことになる可能性が出てくる。


「そうですよね。どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったのでしょう? ふふ、ふふふふ」

「……」

「そうです、そうですよ。考えてみれば、兄さんの(なま)執事姿は貴重で――」

「理世?」

「仕事帰りの兄さんを出迎える、という至福の時間は減ってしまいますが……そう考えると悪くない気がしますね。執事とメイド、しかも兄妹。ああ、これはいいかもしれません。いつしか、道ならぬ恋に――」


 理世が遠く妄想の世界に旅立ってしまった。

 (つぶや)きに不穏なワードが多く混ざりはじめたので、俺は止めようと理世の肩を強めに()する。


「お、おい、理世? 俺の声、聞こえているか? おーい!」

「――! も、申し訳ございません、執事長!」

「誰が執事長!? そんなものになった覚えはねえけど!?」

「おしおき、するのですか?」

「しないよ!? 残念そうな顔をするな! もういいだろう、戻ってこい! せいっ!」

「はっ!?」


 理世の目の前で、手の平を合わせて打ち鳴らす。

 ベタだが効果はあったようで、理世の(ひとみ)に正気の色が戻る。

 ……さっきから俺たち、階段でやるべきじゃない動きばっかりしているな。

 広々とした階段でよかった。


「あっ……す、すみませんでした、兄さん」

「本当にな……もう大丈夫だよな?」

「はい。あの、マリーさんのお話……少し前向きに考えてみることにしますね?」

「そ、そうか」


 論点が明らかにズレてきているのを感じるが、あー……いいか。

 真面目な話は一通りできたことだし。何だか胸騒ぎがするが。


「前向きに考えるのはいいが、理世。働きながら成績はキープできそうなのか? 時間の管理とか、結構大変だと思うけど」

「任せてください。自信があります」

「おお。言い切ったな?」


 社会経験も大事だが、せっかくの成績が落ちては意味がない。

 無理をしないよう体調管理をしっかりさせる必要がある。

 昔より改善したとはいえ、理世の体は今でも強いとは言えない。


「言い切りますよ。兄さんという、これ以上ないお手本が身近にいますから。問題ないでしょう」

「俺の成績は理世に遠く及ばないんだけどな。買い被りだぞ、それ」

「私はそうは思いません。それに、実際にお屋敷で働くとなった場合……」

「なった場合?」

(しずか)さんが、シュルツ家の使用人に代々伝わる時間活用術を教えてくれるそうですよ」

「何それ強そう」


 理世の体の弱さを余裕で補ってくれそうだ。

 しかし、そこまで言うとはずいぶんと理世を買ってくれているんだな。

 どんな話をしたらこうなるのだろう?

 繰り返すが、ログアウトからまだ二時間である。


「マリーさんの実務能力は私にとって未知数ですが、静さんは現時点で信用に値する人だと判断しています。その時間活用術とやらも、当てにしてよいかと」

「どうしてだ?」

「あの人は、私たちの前でもずっと仕事をしているということもありますが……決定打はこれです」


 理世が服のポケットから取り出したのは、折り畳まれた一枚の紙。

 受け取って広げると、それはPCから出力されたらしい一覧表で……。


「これ、攻略メモのまとめか? しかも、ゲーム内で書いていた物よりアップデートされているし……」

「見やすいですよね」

「ついでに実行した人間がしっかり記載されていて、トビの恥が丸裸に」

「変態ですよね」


 しかし、なるほど……。

 ノートやメモの取り方には、人格やら能力やらが色々と現れると聞く。

 理世はこのメモに共感できる部分が多かったのだろう。

 階段をゆっくり上り終え、宿泊している部屋のフロアに足を踏み入れると――


(わたる)ー! 思いついた! 思いついたぞぉぉぉ!」

「私も、魔王ちゃん像にやってみたいことがー! 聞いてくださーい!」


 ――(にぎ)やかな二人の声が、通路の奥からこちらに向かって迫ってきた。

 手には静さん作のメモが握られている。

 隣の理世は小さく溜め息を吐くと、「行きましょう」という言葉と共に俺の腰辺りをそっと押すのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こういう関係好き
[良い点] 「兄妹の語らい」などという軽いタイトルから繰り出される濃すぎるやり取り [一言] 強固な理性の鎖でがんじがらめにされてるのにも関わらず、それでもなお、兄の首元にかかる荒い欲情の息遣い、とい…
[一言] 魔界への行き方。 ドシンプルにハインドお手製のお茶菓子をもって 「魔王ちゃん、遊びましょう」 って呼びかけると行けそうな気がする。
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