二日目の魔物 後編
「疲れが少ない? そんなもの、お前が普段ゲームしかしていないからだろう?」
未祐の言葉に、秀平が「あれっ?」という顔になる。
そりゃそうだ……と、朝食を自分の皿に取りながら、俺は心の中で同意した。
「えー……じゃあ、そういう未祐っちはどうなの?」
「私か? 苦労自慢をするわけではないが、私だって普段は生徒会で忙しいからな!」
横目で見ると、未祐は肉をおかずにもりもりとライスをかきこんでいた。
俺の視線に気づくと、早く隣に座れと急かすように手招きするが――まだパンしか取っていねえよ。
他は何にしようかなぁ……朝から種類が多くて目移りするな。
「忙しいとか言う割に、めっちゃ元気そうに見えるけど?」
「そうでもない。実は、肩の凝りが酷くてな。大人たちに混ざって、一緒にマッサージを受けに行こうかと計画中だ! 愛衣も一緒に!」
「腕がいい女性のマッサージ師がいるそうでー。先輩も一緒にどうですか?」
「え? あ、いや、俺は……」
いつの間に隣に来た、愛衣ちゃん。
人の皿に肉料理ばっかり盛らないでくれる? あ、でも、全部美味しそうだな。
俺好みの味付けばかりだ。
こっちのは……理世にも持っていこう、あいつはもっと肉を食べないと駄目だ。
鬱陶しいと思われるかもしれないが、これも健康のため。
「へー……肩こりが……へー……」
秀平が呟きながら見ているのは、多分理世のほうだ。
振り向かなくても分かる。
本来なら、最も机に向かっている時間が長い理世の肩が、一番凝っていそうだから……ということだろう。
余計なお世話だと思うが。
「……何ですか。二度とゲームをできない体にされたいのですか?」
「何でもないであります! 理世軍曹!」
「大佐と呼びなさい。このウジ虫が」
「イエス! マム!」
案の定、言葉を封じられる秀平二等兵。
しかし全く懲りていないのか、今度は小春ちゃんたちに絡んでいく。
「中学生諸君は? まだ疲れとか、あんまり出ていない?」
「私は大丈夫ですよ! 今日も朝から元気いっぱいです!」
「おうおう、さすが小春ちゃん。じゃ、椿ちゃんは?」
「私は少し」
「なるほどぉ」
そのまま全員――二日酔い気味の大人組も余さず、全員に同じ質問をする秀平。
大して内容のある話ではないが、場が温まるのは感じる。
例えば宴会とか、そういうところでは有用な人材なんだろうなぁ、秀平って。
……今は朝なので、静かな空気にそぐわず騒々しくなっている気もするが。
それと、和紗さんがまた大人組に捉まっている。
残念ながら救出はもう無理そうなので、お昼のときは俺が率先して話を聞きに行こう……すみません、和紗さん。
「――ちぇー、どう聞いても俺が怠けものって結論になるじゃん。みんな働きすぎ!」
「そうだそうだー」
愛衣ちゃんが秀平の援護に回る。
耳聡いな、怠けるって単語に対して。
「何も、人より多く頑張れと言われているわけでもあるまい。そういう結論になるということは、自分でも頑張りが足りていないという自覚があるのだろう?」
「うっ」
未祐の指摘に言葉を詰まらせる秀平。
……去年の春先に比べれば、大分マシになったと思うけれど。
でも、冬休みの宿題の進みが遅かったのを考えると、緩んではきているのか?
――あ、このレタス瑞々しい。しかも有機栽培? おー。
その割に色も形もいい。美味しそうだ。
こっちは未祐にも持っていこう。
こんな時くらい好きに選ばせろ、とか言われるかもしれないが……どう思われようと、健康は大事だ。
嫌われてでも食べさせる。
「珍しくいいことを言いますね、未祐さん。秀平さんも学生なのですから、もっと勉学に励めば――」
「いやいや、理世ちゃん。人より勉強したり働いているほうが偉いとか、日本だけの悪い風潮だと思う! いかんですよ、そういう考え方も世界水準にしていかないと!」
「そうだそうだー。私は成績そこそこいいけど、そうだー」
「愛衣ちゃん!? 味方と思わせておいて、背中から刺すのやめてくれる!?」
ドレッシングも種類が多いぞ。
イタリアン、シーザー、ごま、青じそ、サウザン……。
……でも、混ぜるのはどうかと思うよ? 小春ちゃん。
「くそう! マリーっちは!? マリーっちはどう思う!?」
よし、とりあえずこんなもんでいいか。
座って――秀平にはオレンジジュースだな、座る前に取ってこよう。
ビタミンがまるで足りていねえよ、あいつの朝食。
……しかし、海外では日本よりも休みを大事にしている、なんて聞きかじった知識があるからだろうか?
秀平のやつ、今度はマリーに質問の矛先を向けているみたいだ。
「わたくしですか? わたくしは……」
「絶……好調! ですわ!」
マリー……じゃないな、今はヘルシャか。
ヘルシャの真っ赤なドレスが翻る度に、冥宮内に炎が上がる。
「うわー……ド派手でござるな……」
「俺らの同盟内に、ヘルシャクラスの炎魔導士はいないからな。対面ならともかく、こうやって後ろからじっくり見るのは……」
「新鮮でござる!」
炎魔法は効果範囲の大きさが素晴らしい。
階を進んで急激に増え始めたモンスターを、逆巻く炎で一網打尽にできている。
……だからこそ、敵に回すと迫力がとんでもないんだよな。
決闘などでも、炎魔法は避けにくいので正直苦手だ。
「っていうか拙者、まだ朝の質問の答えをもらっていないのでござるが?」
「効率が落ちるときは休む! 落ちないときは一切休まない! 休む必要はない! それが……わたくしのルール、ですわっ!」
「なんかやばい答えきたー!? でござる!」
「ただのワーカホリックじゃねえか……」
冥宮のモンスターが景気よく燃える、燃える。
鞭で地面をぴしゃりと叩き、ヘルシャが戦闘態勢を解く。
あーあ、一人で全滅させちゃったよ……。
「ふう……今は、きちんと仕事のことは忘れていましてよ? 病気ではありませんわ」
「そうかい。で、どうして今日はそんなに調子がいいんだ?」
不思議といえば不思議だ。
そもそも他人と比べるようなものではないが、疲労に関して言えばヘルシャのそれは特大級のはず。
ヘルシャは伸縮式の鞭をしまうと、わずかに黙考。
「……さあ? どうしてでしょうね?」
しかし答えに至らなかったのか、首を傾げつつ俺たちを見返してくる。
からかっている様子はないので、本当にわからないようだ。
「自分のことなのにか?」
「ええ。体はみなさんと同じように、不調なところもございますわよ? 効きますわね、日本の温泉は」
「拙者とリコリス殿だけ、見事に仲間外れ!」
トビとリコリスちゃんを一緒にするのは……どうだろう?
何か違う気がする。
「ですが、今朝は不思議と気分がいいんですの。昨夜はよく眠れましたし。屋敷で過ごす静かな時間も捨てがたいですが……賑やかなのも、そう悪くありませんわね」
「はっはっは、そうでござろう! 拙者も賑やかなの、大好きでござるよ!」
つまり、疲れを忘れるくらいに気分がいいと。
その証拠に、昨日に比べてヘルシャの表情は明るく、よく笑う。
「トビ……あなたは、その……賑やかと言うには、少々度を過ぎ――いえ。何でもありませんわ」
「ヘルシャ殿!? それ、もう言い終えているも同然だからね!? 余計に傷付くからね!?」
「気のせいですわ」
「気のせい!? 現に傷付いているのに!? どういうこと!? おかしいでござるよ、拙者の扱い!」
大変適切な扱いだと思うが。
騒がしいのと賑やかなのは別ではないだろうか。
……それはそうと。
「……よかったですね、しず――カームさん」
やや後方で、ノクスを抱いて歩くカームさんに声をかける。
この旅行の主目的――カームさんによる、ヘルシャを休ませたいという試みは成功しつつある。
心の緊張が解けたなら、体もそれに追随するだろう。
後はホテルに温泉という環境が、時間をかけて解決してくれるはず。
「……カームさん?」
おかしい、呼びかけに反応がない。
というか、ボーっとしているのか、目も合わない……どうしたのだろうか?
ノクスが痛くない程度にくちばしでつついたところ、カームさんは瞬時に我に返る。
「あ……大変失礼いたしました。そうですね、ハインド様をはじめ、みなさまのおかげです」
話の内容自体は、しっかり耳に入っていたようだ。
言葉と共に、いつも通りの惚れ惚れするような美しいお辞儀をしてくれる。
「……大丈夫ですか?」
「ええ。あのご様子なら、もう大丈夫でしょう。本当にありがとうございます」
ううむ、話が噛み合っていないようだが。
問いを重ねるべきかと口を開きかける俺だったが、ヘルシャの凛とした声が通路に響く。
「さあ、そんなことより先に進みますわよ!」
「そんなこと!?」
「我々にかかれば、次のチェックポイント……100階なんてすぐですわ! わたくしについていらっしゃい!」
「ちょっ、ヘルシャ殿! 一人で進まないで! ――ハインド殿、カーム殿!」
「はい、ただいま」
「ああ、今行くよ」
カームさんはトビの追及をするするとかわすヘルシャの姿を見て、元気になったのを再確認したように小さく息を吐くと……。
先程の様子が嘘だったかのように、隙のない動きで後に続いていった。
「……」
遠ざかるメイド服の背を見つつ、俺は思考を巡らせる。
これは……放置しておくと、後々大変なことになりそうだ。
シュルツ家の勤務体系からして、すぐに――というわけにはいかないだろうが。
あのままでいいはずがないので、何か作戦を考えておこう。