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二日目の魔物 前編

「うっ……」


 翌朝。

 目が覚めると、体が動かなかった。


「な、何だ?」


 首すら動かせないまま、視線だけを左右に動かす。

 金縛り……などでは、なさそうだな。

 ――あ、指が動いた。妙に(きし)んではいるが。

 続いて、手がゆっくりと持ち上がる。


「……地球の重力、急に増えたかな? 十倍くらいに」


 修行大好き人間が大喜びしそうだ。

 ……などと、何のキレも面白みもない戯言(たわごと)は置くとして。

 ようやく体が動き始めるが、腕が重い。

 (まぶた)が重い、足が重い、腰が重い首も肩も重い。


「ふんっ!」


 気合の声を発してみるも、体は全くついてこない。

 静かな朝の部屋に、あまり意味をなさない音だけが虚しく響く。

 もう全身が重い、重いったら重い。

 まさか、増えたのは重力ではなく俺の体重……とか?


「……」


 異常に動きの鈍い腕で、お腹付近に触れてみるも……普通だ。いつも通り。

 寝間着と、その下にある腹巻の感触が返ってくるのみである。

 触ったことで自覚したが、かなりお腹も空いている。


「うぐぐ……」


 いや、わかっている、わかっているんだ。

 事態を直視したくなかっただけで。

 だって、旅行二日目だぞ?

 飽きたり倦怠感(けんたいかん)が出たりとは程遠い、何もかもが新鮮に映る二日目だぞ?

 長期旅行で最も楽しく遊べるだろう期間に、こんな……。


「はぁ……」


 結論。

 単純な話、早くも温泉で疲れが出たのだな。

 体が重いのは、全身の筋肉がバキバキになっているだけだ。


「くっ……!」


 掛け布団を剥がし、半ば無理矢理に体を起こしていく。

 大人たちの疲れが出るのは、二、三日後かな? などと、頭の中だけでも思った罰が当たったのだろうか……。

 いくら何でも、翌日はしんどい。

 秀平と司は――。


「あれ?」


 秀平の姿が見えない。朝風呂だろうか?

 司はまだ寝ているようだが。ベッド上の布団に膨らみがある。

 時計を確認すると、もう午前八時を回るところだった。

 朝食を()れるのって、確か九時までじゃなかったかな……?


「う、うぅぅぅ……」

「司?」


 隣のベッドの中から、司の声がする。やけに苦しそうだ。

 もしかしたらだが……悪夢でも見て、うなされているのだろうか?


「ああっ、お嬢様! ダメです、それはダメですよ!」

「あー……」


 これは間違いなさそうだ。

 しっかし夢の中までお嬢様、お嬢様か……。

 見習いという身分だが、心は立派に執事をしていると思う。

 尊敬しちゃうぜ、司のこういうところ。


「ダメですってば、お嬢様! そんなことをしたら師匠の髪が!」

「へ?」


 司の心意気に感じ入っていたところ、唐突に出た自分の名前に面食らう。

 正確には名前ではないが。

 布団をかぶっていて顔は見えないが、司は苦し気に何度も寝返りを打つ。


「師匠に、お嬢様とお揃いの髪型は無理ですよ! 長さが足りませんから!」

「ちょっと待て!? 夢の中で何されてんの、俺!」

「引っ張らないで! 引っ張らないでー!」

「痛い痛い!?」


 これは起こしたほうがいいな、絶対に!

 他人の脳内とはいえ、己の身――というか、沽券(こけん)は守らねばならない。


「司……おい、司」

「うぅ……」

「起きられるか? 司?」

「あう……」


 呼びかけに薄い反応がある。

 そのまま軽く揺すってみると、弱々しいうめき声が返ってきた。

 続いて、寝返りと共に布団がめくれ、中から整った顔をのぞかせる。


「うぅん……」


 乱れ髪が張り付き、頬は上気している。

 暖房が効きすぎていただろうか? 俺はこの室温でも寒いくらいなのだが。

 寝返りが激しかったのを差し引いても、代謝がいいな……。

 そして、妙に色っぽいのは何故なのか。


「……? ししょー?」


 司がゆっくりと目を開ける。

 やはり夢見がよくなかったのか、どこか悲し気な表情だったが……。

 俺の姿を認めると次第に表情を緩め、笑みを浮かべる。


「おはようございます、ししょー……えへへ」

「おう。その呼び名に物申したいところがないでもないが、俺だ」

「あ、はは……ししょうは、あさからししょうですねー……」

「え? あ、ああ。寝起きはいいほうだからな」


 今朝は異常に体が重いが。

 司が起きたのを確認したので、リモコンを操作してカーテンを開く。

 おお、(まぶ)しい……外はもう、すっかり明るくなっている。

 司はベッドに肘をつき、体を起こ――


「あ、あれ?」


 ――そうとして、できなかった。

 腕から力が抜け、ベッドの上に倒れ込む。


「師匠……」

「どうした?」

「力が入らないです……」

「司もか……」


 どうやら、日ごろの疲れが出たのは俺だけじゃなかったらしい。

 よく働くからなぁ、司は……。

 こうなると、他にも誰か同じ状態になっている人がいるのでは? と思う。

 効きがいいみたいだな、ここの温泉は。


「ほら、司。手を出して」

「え?」


 とりあえず、司に水でも飲ませて……話はそれからだ。

 食事に行くにしても、起き上がらなくては話にならない。

 部屋に戻ってきて再び横になる場合でも、栄養摂取は必要だ。

 司に向けて手を差しだすと、おずおずと小さな手を重ねてくる。


「よし、引っ張るぞ」

「あ、お、お願いします……」

「何故頬を赤らめる。まあいいや、せー……のっ!?」


 想像以上に軽い感触に、俺は後ろに向かって空足を踏んだ。

 転びこそしなかったが、それでも体は言うことをきかない。たっぷりと重い。

 踏ん張りが利かず、勢いよく起こされた司の体は――


「……!?」

「あ」


 ――気が付けば、俺の腕の中にあった。

 抱きとめる形に……って、昨日からなんなんだ!?

 昨夜の件はともかく、今のは完全に俺のせいだけど!

 もっとゆっくり引っ張れよ! 馬鹿か!


「ししし、師匠!?」

「すまん! ワザとじゃない、決して!」

「わ、わかっています! 大丈夫です! 師匠、ボクら男同士ですよ!?」

「あ、いや、そうなんだが……」

「スポーツ選手だって抱擁(ほうよう)しますし!? ゴールが決まったときとか! 格好いいですよね!?」

「……。俺の倍は動揺しているな、司」

「そんなことはありませぬ!」


 ありませぬって。

 だが、司が慌てている反動で俺のほうは落ち着いてきた。

 今一つ思い通りに動かない腕を動かし、司をベッドに座らせる。


「悪かった。強く引っ張っちゃったけど、腕とか肩とか……痛くないか?」

「だ、大丈夫です! 平気です!」

「そうか。今、水でも取ってくるから……司はそこで待っていてくれ」


 言われてみれば、何も動揺する必要などなかったのだ。

 ただの事故なのだから――


「……くふっ」

「……」


 ――ふと、目が合う秀平の姿に血の気が引いた。

 秀平は自分が寝ていたベッドの縁に手をかけ、顔の上半分だけ出してこちらを見ている。

 どうやら、姿が見えなかったのはどこかに行っていたからではない。

 寝相が悪いせいで、ベッドから落ちていただけのようだ。


「……何だよ?」


 努めて冷静を装い、こちらを見続ける秀平に問いかける。

 口元は見えないが、ヤツが笑っているのは明確だ。

 目が弓型になっている。


「いや、別に? 別にだよぉ、わっち」

「……」


 秀平の口調は……考えるまでもない。

 からかう気が満々のものだった。

 立ち上がって見せた笑みは、先程よりも一層深くなっているのがわかる。


「別に、なんだけど。たださぁ、俺……もしかして、邪魔かな? とか思っちゃってさ。別の部屋に泊まったほうがいい? わっちと司っち、二人きりにしたほうがいいかな? かな?」

「やめてくれ……」

「師匠……」


 悲し気な声に慌てて振り向くと、司が顔を伏せていた。

 もしかして、何か誤解しているのか?


「あ、ち、違うからな!? 司と二人きりが嫌って意味じゃないからな!? 涙目になるなよ! むしろ積極的に一緒にいろよ! 弟子を名乗るなら!」

「師匠……! はいっ!」

「あっはっは、超珍しい! 話せば話すほど墓穴掘ってるじゃん、わっち! もっとやれ!」


 そりゃ、俺が会話の主導権を取れる要素が一切ないからな。

 そうだよ、全部俺が悪いよ。畜生が。


「あの、秀平さん……あまり師匠を困らせないであげてください」

「あっはっは、冗談冗談! ごめんね、司っち。朝から面白いもんが見えたもんで、つい」

「秀平、お前ね……俺にも謝れ、なんて言わないけどさぁ。さすがに酷くないか? なあ?」

「朝から元気だね、わっち!」

「元気じゃねえんだよ。節穴か? この動きを見てわからないか?」


 よたよたと歩き、俺はグラスが伏せてあるテーブルへと向かう。

 それから普段の三割増しは遅い動きで水差しを手に取ると、グラスに注いで司に持っていく。

 ――危ない危ない、手が震えるせいで水がこぼれそうだ。

 半分ちょっとしか入っていないのに、すっげえ中身が揺れたぞ。


「あれ? わっち、ウチのじいちゃんみたいになっているよ? 急に老化した?」

「冗談でもやめてくれ。逆、逆だよ。これは回復の途中っていうか……温泉の効果だ。芯の疲れが出たのか、体中が痛い」

「ああ、もう疲れが出てんの? 早くね?」

「俺だけじゃなくて、司もだぞ……ほら、水。飲むなり歯磨きに使うなり、好きにしてくれ」

「ありがとうございます、師匠。えっと、秀平さんは平気なんですか? 体、痛かったりしませんか?」


 問われた秀平は、己の体をあちこち触って確認する。

 俺たちと違い、顔をしかめる様子も、動きが重そうな様子も見受けられない。


「――何ともないけど? 俺ってば、もしかしてすごい? アイアンボディ?」

「あ、はは……どうなんでしょうね?」

「……」


 一言、むかつく顔をしている秀平に何か言ってやりたい気もしたが……。

 先程のことを蒸し返されても面倒だ。

 俺はとりあえず沈黙を選択し、朝食を摂りにいこうとだけ言い残して朝支度を始めた。

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