地下大冥宮 その2
「――だあっ!」
自分の体重に加え落下分、それとプラスアルファの荷重が両足にのしかかる。
現実なら骨折しているであろう衝撃だが、そこはゲームだ。
痛みの代わりに盛大に足がしびれ、それが頭の天辺付近まで伝播していく。
うおお……。
「やっと来たか! ……む?」
壁にもたれかかり、待っていたユーミルが体を浮かせる。
直後、その表情はすぐに怪訝なものへと転じた。
「……何故、そんな体勢で落ちてくるのだ?」
ユーミルがまず視線を送ったのは、グレンを抱きかかえるヘルシャ。
そこから上に目を向け、苦悶の表情でヘルシャを抱えた俺の顔を捉え……。
全体を見ると、すぐに眉根を寄せる。
「お姫様抱っこ、だと……!? 私でもしてもらったことないのに!?」
「え? あ、ああ……」
お姫様抱っこ……「横抱き」の一種で、俗語に当たるものだ。
言われてみれば、この状態はお姫様抱っこと言えなくもない。
足が痺れて泣きそうなので、指摘されるまで気が付かなかった。
「説明! 説明しろ! どうしてそうなった!」
「説明するのは簡単なんだが……」
落ちる途中で怖がるヘルシャに掴まれた、それだけである。
しかし、そのままユーミルに言っていいものだろうか?
ヘルシャはユーミルを何かとライバル視しているし、嫌がるかもしれない。
伺いを立てようかと、腕の中のヘルシャを見ると――
「……?」
ギュッと瞑っていた目が開き、長い睫毛に縁取られた碧い目がこちらを見返してくる。
そこから数秒後。
事態を把握したのか、その目が大きく開かれ……。
「きゃああ!」
悲鳴と共に暴れはじめたので、慌てて地面に降ろす。
直後、俺は両手で突き飛ばされた。
気持ちはわかるが、そこまで拒絶反応を示されると少し怒りと悲しみが湧いてくるな……せっかく庇ったのに。
突き飛ばされる際にグレンを押し付けられたので、そちらも地面に降ろしてやる。
こちらは相変わらずの無反応。
「……」
ちらちらと、耳まで赤くしたヘルシャが顔色を窺ってくる。
ああ、何だ……触られて気持ち悪かったとかじゃなくて、恥ずかしかっただけか。
その様子を見た俺は、一連の行動を全て許すことにした。
「……大丈夫だったか? ヘルシャ」
「も、問題ありませんわ! またご迷惑をおかけしましたわね!」
「ああ、まあ、気にするな」
我ながら単純である……嫌われていないのなら、それでよしとしよう。
むしろ、気安く触れて悪かったとすら思える。自分から触れたわけでもないが。
「私を無視するな! だから、どうしてそうなった!」
「あー、えーと……」
しかし、まだこちらの問題は解決していない。
益々表情を険しくしたユーミルが、事の成り行きを厳しく追及してくる。
「わ、わたくしが飛び降りる際に体勢を崩したんですの!」
助け船を出したのは、未だ呼吸の整わないヘルシャだ。
かなり息が上がっているけど、大丈夫か?
「ハインドはそれを庇っただけですわ……あなたが勘繰るようなことは何もありません」
「本当か?」
怖かったから、というのはあくまで隠す気なんだな。
お嬢様らしいプライドからだろう。
体勢を崩していたというのもあながち嘘ではないので、ここは黙っておくか。
「……本当か?」
だが、ユーミルは納得しない。
根拠はないのだろうが、何か不自然さを感じ取っている。
勘の鋭いやつだ……重ねての追及に、ヘルシャの表情が強張る。
「本当に本当か?」
「く、くどいですわね!? 本当ですわ!」
「グレンに誓ってか?」
「グレンに誓って、ですの! ……え?」
グレンの両脇を持ち、ヘルシャの前に近付けるユーミル。
爬虫類らしい温度のない瞳が、大いにうろたえる主の姿を映し出す。
『………………』
「ううっ」
どうしてそんなに動揺しているんだよ。お前の神獣だぞ?
もしグレンが言葉を話せるなら、今のヘルシャの姿を何と言ったかは分からないが。
微妙な間合いで牽制し合う二人と一匹。
それは俺が使った回復魔法を受けて、二人が緊張を解くまで続くのだった。
「――間違っても、次の落とし穴にハインドを引きずり込んだりしないでくださいましね?」
冥宮上層のモンスターは弱い。
神官である俺の物理攻撃でも倒せるほどなので、目下の敵は洞窟そのものの地形となっている。
「嫌だ! 私もお姫様抱っこされる!」
「やる気なんですの!? 冗談で言いましたのに!」
「実行しやがったら、絶対に受け止めないからな……」
「何故だ!?」
「故意と過失じゃ全然違うだろうが! むしろお前をクッションに使ってやるわ!」
こうやって大声を出したことで、もしモンスターが集まってきても……。
さして問題にならない程度の弱さだ。
むしろ今話しているような、落とし穴などの罠によるダメージのほうが被害が大きい。
「……とは言いつつも、いざとなれば受け止めてしまうハインドなのだった」
「変な語りを入れんな。やるなよ、絶対。やるならお前が俺をお姫様抱っこしろ」
「任せろ!」
「任せろ、じゃねえ! 冗談に決まってんだろ! 断れよ!」
大体、される側になって俺に何の得があると言うのか。
さっきのも得をしたかというと微妙なところだし……。
落下の衝撃しか記憶に残っていないぞ。
というか、ユーミルはそれでいいのか? 謎すぎる。
「……それで。今夜はどこまで進む予定ですの? ハインド」
話題を変えたかったのか、ヘルシャが疑問を口にする。
現在の階層は地下45階……じゃないな、階段発見。
すぐに下って、これで46階になった。
「上層の終わりまでになるかな。常設ダンジョンなんで、イベントみたいに10階ごと――なんてわけにはいかないけど、このダンジョンも途中から再開できる仕様だから」
そのチェックポイントがちょうど、上層の終わりである50階に存在している。
推測だが、この辺りまではサービス開始初期でも辿りつける想定になっていると思われる。
今の俺たちのレベルからすれば、小手調べの範疇だ。
「まだ罠以外は問題にならないし、平気だろう?」
「うむ! ほとんど素通りに近い状態だから、余裕だな!」
「戦闘の楽しみという点では物足りませんが……」
「それは明日以降のお楽しみってことで。下層はそんなこと言えないくらいキツイだろうから、期待しておいてくれよ」
何なら、覚悟と言い換えてもいいが。
魔界に到達した人がいないという噂からして、相当モンスターが強いのだろう。
深部の難易度は鬼のように高いはず。
「お!」
運よくどの階も階段が近くにあり、あっという間に50階まで到達した。
先頭のユーミルが広いフロアを前に、声を上げる。
視線の先には――ああ、『レッサードラゴン』だな。
地下以外でも、大陸各地……レベル20以降のフィールドで見かける、非常に体の小さな竜種だ。
魔法属性持ちになると体も大きくなって強くなるが、あいつは無属性。
特段、警戒が必要な相手ではない。
「あれがボス扱いか……私一人でも余裕だな! ここは任せろ!」
「お待ちになって」
「むっ!?」
ヘルシャの声に勢いよく振り返るユーミル。
――って、剣を抜いたままターンするな! 真後ろの俺が怖いわ!
「何だ、ドリル!?」
「ど、どうした? ヘルシャ。こいつを倒せば今日は終わりだぞ?」
「なればこそ、ですわ。ここは、グレンの力をお披露目する場とさせていただきます!」
「え?」
「ほう!」
そういえば、ここまでグレンはまともに戦闘に参加していない。
敵モンスターのHPが低いので、鈍重なグレンの攻撃を待つ暇なく戦闘が終わってしまうのだ。
どんな戦い方をするのか興味があったので、ここは黙ってヘルシャとグレンを見守ることにする。
「グレン! 前に!」
満を持してのヘルシャの下知により、グレンが動き――出さない。
「ぐ、グレン?」
『……』
声が聞こえているのかいないのか。
神獣は言語をおおまかに理解しているはずなのだが、グレンは虚空を見つめたままだ。
かといって『レッサードラゴン』に対して怯えている様子などはなく、あくまで泰然自若としている。
「グレン、お願いですから前に! これ以上、わたくしに恥をかかせないで!?」
『……』
再度の指示――というより、もはや懇願に近い声を受け、ようやくグレンが動き出す。
「ちっ、しょうがねえなぁ……」などと声が聞こえてきそうな鈍い反応だ。
あからさまにホッと息を吐くヘルシャに、ツッコミを入れたい気持ちを抑えつつ……。
俺とユーミルは、ボスモンスターと向き合うグレンの動きを注視した。