地下大冥宮 その1
『地下大冥宮』に向けて、馬をゆっくりめに走らせる。
必要ならフィールドボスを倒し、また移動。
目的の場所はどの都市からも遠く、途中からはグラド住まいのヘルシャたちですら未踏破のフィールドが含まれる。
それは言い換えると、実装時期が古いダンジョンでありながら、誰も大冥宮に挑戦した人がいないということでもある。
「ドリルたちも初見か。それだけ大冥宮は戦略的に、攻略する価値が低かった……ということになるのか? ハインド」
「ああ。イベントを優先していれば、自然と足が遠のく……そんな位置にあるダンジョンだ、大冥宮は」
低かった、と過去形にしているところも含めて素晴らしい回答である。
もし実際に大冥宮から魔界へ行けるとなれば、その評価は逆転することだろう。
それにしても……。
「……お前、今日はどうしたんだ? 本当にユーミルか?」
「どういう意味だ!」
「妙に頭が回るから。偽者かと思って……」
「本物だ! 触って確かめてみるか!? ほら!」
「あ、おい! 強引に馬を寄せるな! 危ないって!」
大体、直に触れればわかるという発想が謎だ。
やっぱり、いつものユーミルだったか……などと考えていると、サイネリアちゃんがユーミルの死角から接近。
呼吸を計って馬を間にするりと割り込ませると、二頭のグラドタークが自然と離れる。
――おお、上手い。
「む……サイネリア?」
意外な人物が止めに入ったとあって、ユーミルの顔が驚きを含んだものになる。
こういうときは大概、リィズが来るのだが……。
リィズは「出遅れた」といった感情を含む険しい表情で、こちらを見ている。
「あっ……あの、危ないですから!」
こちらはこちらで、思わず体が動いたというような顔だ。
俺としても意外な行動だ……馬が心配だった、というのもあると思うが。
何故だか、それだけが理由ではないような気がする。
「え、ええと……は、ハインド先輩!」
「あ、はい?」
「ち、地下大冥宮の概要を教えてください! 今のうちに復習しておきたいので!」
「りょ、了解……地下大冥宮は、その名の通り地下にある。入口は大陸各地に点在していて――」
俺が話を始めると、一つ息を吐いてサイネリアちゃんはやや後ろに下がった。
ちゃんと聞いているので、そのまま続けてください――ということらしい。
ユーミルはその様子を不思議そうに見ていたが……。
やがて、グラドタークの手綱を繰って位置を調整した。
今度はサイネリアちゃんに注意されないように、適度な距離が開いている。
「――ちょうど、各国に一つずつ入口があるという状態だ。天空の塔とは逆に、ひたすら下に向かって降りていく形式のダンジョンになっている」
「訊いてもいいか? ハインド」
一応、サイネリアちゃんに向けての説明ということだったので、後ろにいる彼女に確認を取る。
サイネリアちゃんから頷きが返ってきたところで、上に向けた手をユーミルのほうに差し出す。
「どうぞ」
「うむ。その、ひたすら下った先……冥宮の一番下に、魔界があるという認識でいいのだな?」
「おそらく、としか言えないけどな」
神々は天空に、そして魔に連なるものは地の底に。
陳腐ではあるが、これらは多くの人に共有されているイメージだ。
「だが、まだ魔界に到達した者がいるという話は聞かないが?」
「そりゃ、あれだ。到達したプレイヤー、パーティが秘匿している可能性」
「おお。いるなら、相当のやり手だな!」
レベルキャップ、一部ダンジョンの踏破記録などのように、ゲーム内アナウンスがない前提だが。
TBのゲーム性からして、少しでも情報を隠すという行為は有用だ。
その後のイベントで優位に立てる材料が増える。
「もしくは、本当に誰も魔界に到達したことがないかだ。神界の塔もだけど、階層がどこまであるのか分からないし」
「む……では、私たちが一番乗りの可能性も?」
「なくはない。高い可能性ではないけどな」
これだけ人口の多いゲームにおいて、あまり考えられないことではあるが。
何でも俺たちが一番乗りというのは無理がある。
「それから、冥宮踏破以外に気になっていることもあるんだけど……」
「?」
「まあ、これは後でいい。攻略に行き詰まってから、だな」
「そうか! では、必要になったら言え!」
ひとまずは、冥宮の攻略に注力で間違っていない。
仮に魔界行きが空ぶったとしても、『地下大冥宮』の戦利品は悪くないそうだ。
拾えるアイテムや素材は汎用品ばかりなものの、量が多く金も貯めやすいと聞く。
「……ハインド様」
楚々とした声に振り返ると、何やらカームさんから熱い視線が。
一瞬、ドキリとするが……そういう類のものじゃないな、これは。
カームさんの視線は――
「……ああ」
――俺ではなく、俺の肩に乗るノクスに注がれている。
どうやら、触りたいのをここまで我慢していたようだ。
話が切れるのを待っていたらしい。
「どうぞ」
カームさんの動物好きは知っている。
皆まで言わずとも、ということで……。
ノクスを放ると、羽ばたいて彼女が出した片腕へと柔らかく着地。
カームさんは無表情でノクスを抱きしめつつ、頭を下げてくる。
「ありがとうございます」
そのまま馬上で、器用にノクスを撫でるカームさん。
幸せそうだなぁ……。
撫でられているノクスではなく、撫でているカームさんのほうが、だが。
「……何だか、ハインド先輩の肩にノクスがいないの、物足りない感じがします!」
右肩が軽くなった俺を見て、リコリスちゃんが元気にそんなことを言う。
そんな、急に眼鏡を外した人みたいに言われても……。
「サイちゃんはどう思う?」
「……そうね。代わりにマーネを乗せてもらおうか? シー」
「おー、やってみっかー……先輩、どーぞ」
「え? う、うん……」
シエスタちゃんによって、マーネが俺の肩にちょこんと乗せられる。
マーネはノクスに比べると、ほとんど重さを感じない。
どうやら減量は成功したよう……いたたた!? 何故つつく!?
「おー。サイズ感が違うせいか、中々の違和感」
「そりゃそうだ。やっぱり、女の子のほうが似合うでしょ……」
男が肩に乗せるには、カナリアのマーネは可愛らし過ぎる。
肩、というか……。
お気に入りの場所なのか、既に頭の上に移動しているし。
髪で滑って危ないと思うのだが。
「では、代わりにグレンをお貸ししますわ!」
「いや、別に――」
「ワルター!」
「はい!」
今度はヘルシャが妙な気を回し、ワルターにグレンを連れてこさせる。
この場に三匹いる神獣の中で最も大きなグレンは、ワルターの馬に同乗していた。
ヘルシャの目論見通り火竜として順調に育っているのか、時折吐く息に炎が混じる。
『……』
のしっ、のしっと移動したグレンが俺の背に張り付く。
おっ、おお、新触感……。
「な、何だろう……この子どもを背負っているような、また違うような感触は……」
爬虫類のグレンは、命じられたとき以外はあまり大きな動きを見せない。
赤い鱗に覆われた手を俺の肩に乗せ、姿勢を安定させると不動になる。
「あの……ヘルシャたちを疑うわけじゃないんだけどさ」
「なんですの?」
「後ろに回られると、若干の怖さがあるんだが。俺、燃やされない?」
「そんな粗相はいたしませんわ。パーティ分けによってはあなたたちもグレンと組む可能性があるのですから、今のうちに慣れておいてくださいまし」
「……それもそうか」
俺たちの人数を合計すると、十一人だ。
パーティの最大人数は五人で、神獣を編成に加える際は一人分としてカウントされる。
だからパーティを三つに分けた上で、連れてきた三匹の神獣で穴埋めをする形になる。
「よろしくな、グレン」
『……』
体に触れつつ挨拶をしてみるが、目立った反応はない。
しかし、本当に動かないな……。
それでもじっと瞳を見ていると、不思議と心が通い合うような――
「あっつい!?」
『……』
「火ぃ吹いたんだけど!? 顔に火ぃ吹いたんだけど!?」
「ふふ。気に入られましたわね」
「気に入られたのか!? これで!?」
――と思ったが、そんなことはなかった。
よく見たらヘルシャ自慢のドリ……髪が煤けて見えるのも、きっと気のせいだろう。
グレンが最も懐いているカームさんに、燃やされた形跡が一切ないのも、きっと気のせいだ。
「ハインド殿、拙者も拙者も! グレンに触る!」
「あ、ああ……なんかすげえ大口開けているんだけど、大丈夫か? 威嚇?」
「あくびですわ」
「わかりづれえ!?」
と、神獣たちと触れ合いながらフィールドを進み……。
やがて、何の変哲もない平原フィールドにある洞穴の前まで辿り着いた。
地図上で見る位置的には、ここが大陸のちょうど中心付近らしい。
「む……普通の洞窟型ダンジョンに見えるが?」
入口の前で足を止め、ユーミルが首を傾げる。
こちらを向いているが、疑問に答えてくれたのはセレーネさんだ。
「階層を進むにつれて、雰囲気が変わってくるそうだよ」
だから、上層はほぼ自然物だ。
出てくるモンスターもそれに準ずる、とのこと。
「……何でもハインドさんに訊かないで、少しは自分で調べませんか? 初期からあるダンジョンですから、どのサイトを見ても情報は豊富なはずですが」
リィズが無駄と知りつつも、ユーミルにそう提言する。
それに対し、ユーミルは腕組みしつつ堂々と言い放った。
「面倒くさい!」
「お? いいですねー、ユーミル先輩。異議なーし」
全く同じポーズをした子が一人増えた。
こうなることが分かっていたリィズは、何も言わずに溜め息を吐く。
言って直るなら、とうの昔に直っているよな……。
冥宮の入口に到着してから、数分後。
「そうそう。まず最初に、一つだけ憶えてほしいことがあってさ」
パーティ編成を済ませた俺たちは、早速ダンジョン内へと足を踏み入れた。
今日は軽く下見・偵察程度が目的なので、編成のバランスは適当だ。
ユーミルの背を追いつつ、声をかけながら松明に火を点ける。
「何だ? ハインド。もう説明は充分だろう? それよりも、さっさと進んで――」
ガコッ、という何かが作動する音に、ユーミルの言葉が途切れる。
次の瞬間――松明が照らす足元に、底の見えない闇が出現した。
「……このダンジョン、落とし穴があるから」
「もっと早く言えぇぇぇ!! あああああぁぁぁぁぁぁ……」
叫びを上げながら、ユーミルは勢いよく下へと落ちていった。