温泉モニター その4
ホテルの夕食は食べ放題のビュッフェ形式で、一部の高級料理は別料金――とのことだ。
特殊な事情で客が十人程度しかいないものの、従業員も後からここを利用するらしい。
大量の食品ロスを想像すると胸が痛むので、その知らせは素直にありがたい。
「お母さん、参上!」
そして、そんな声が聞こえてきたのは、俺たちがダイニングルームで席に着いた直後のことだった。
奇妙なポーズで静止する女性から、そっと視線を逸らす。
「おー! 明乃さん!」
お母さん? 誰の? という微妙な空気が流れる中、未祐が真っ先に立って出迎える。
そのままその女性は、未祐を伴ってこちらに向かってくる。
お前は行かないのかと、秀平が背中を突っついてくるが……。
「あっはっは。来るなり参上! とか恥ずかしいなぁ……一体、誰の親だよ?」
「わっちのだよ。素直に認めなよ」
「あっはっは……はぁ」
どうしてウチの母さんは、あんなにもマイペースなのだろう?
初対面の人も多いから、弁えてほしいと言っておいたのだが。
特に中学生組のお母さん方には、失礼がないようにしてほしいと言っておいたのだが。
それに対して超元気な返事もしていたのだが。
……おかしいね?
「気持ちは理解できないでもないけどさ、わっち。みんなに紹介しないと……もう明乃さん、自己紹介始めちゃっているし。ほらほら、コントロール不能になっちゃうぜ? 暴走しちゃうぜ?」
「わかっているよ……」
仕事上がりなことに加え、大好きな温泉ということもあって母さんは非常に上機嫌だ。
あのままでは、糸の切れた凧のようにどこまでも舞い上がってしまうだろう。
俺は配膳途中だった皿を置くと、埃を立てない程度に母さんの傍へと急ぐ。
「あー、先輩、先輩……あのお姉さん――にしか見えない人、未祐先輩のお母さんですか?」
いかん、愛衣ちゃんに捉まった。
無視するわけにもいかないので、やや早口で質問に答える。
「いや……言動が似通っているのは認めるけど。未祐のじゃなくて、あの人……俺と理世の母さんだよ」
「え……先輩と妹さんの? マジですかー……ドッキリとかじゃなくて?」
「びっくりしました! ウチのお母さんたちよりも、一回り若――もご!?」
「ストップ、ストップよ小春。お母さんたちに聞こえる……」
愛衣ちゃん、小春ちゃん、椿ちゃんが小声でそんなことを言ってくる。
正直、実年齢で言うと三人のお母さん方と大差はないはずだが……身内の贔屓目なしに見ても、確かに母さんは年齢比で容姿が非常に若い。
そのせいか、余計に母さんの乱入で荒れた場の空気が沈静化しない。
「ふっふっふー……」
あ、嫌な予感。
母さんは明らかに、愛衣ちゃんたちの反応に気をよくしている。
「そうです! お母さんと見せかけて、実は……」
「だあっ!? 乗っからないで! これ以上みんなを混乱させないでくれ!」
過去、母さんに対して愛衣ちゃんとほぼ同じ反応をしたせいだろう。
和紗さんが、こちらを見てやや気まずそうに苦笑している。
こうならないために事前に釘を刺しておいたんだけどな! 意味なかったな!
「ええと……我が家の母の、岸上明乃です……今日は仕事があったので、遅れて来ました……」
「はーい。亘と、それから理世ちゃんのお母さんでーす」
「みなさん、よろしくお願いします……見ての通りの人なので……はい……」
二人で頭を下げる。
それから俺は、どうぞ気にせず食事に戻ってくださいと手振りで促した。
あぁ、疲れる……。
「おー……先輩が見る見るうちに消耗していく。新鮮ー」
「パワフルだからな! 明乃さんは!」
「同意しますが、そこであなたが胸を張る意味がわかりません」
ともかく、温泉旅行に参加するのは母さんで最後だ。
これ以上暴れられないよう、せっせと母さん用に配膳を始める。
仕事で疲れているだろうし、お腹が満ちれば多少は大人しくなるはず。
幸い、母さんの好みは完全に把握している。
この形式なら自分で選ぶ楽しみというのも必要だろうが、それは後に回してもらおう。
あ、ついでにみんなのところにおしぼりも持ってきたほうがいいな。
数が不足している。
「おー……先輩が周囲に気を遣いまくってる。いつも通り」
「できる男だからな! 亘は!」
「心の底から同意しますが、そこであなたが胸を張る意味は、全くもってわかりません」
母さんの席は……お母さんズの隣でいいはずだ。
保護者同士、俺たちには立ち入れない話もあるだろう。
第一、既に――
「看護師さん? へええー」
「正月でもお休みなしなんですか?」
「私の勤めている病院は、お休み短いですねえ。私は担当外ですけれど、救急外来もやっていますし」
「大変ですねぇ」
――もう馴染んでいる。
というか、いつの間にか座っている。
結果、俺が多少、恥ずかしい思いをしただけで……。
あれだけ破天荒な登場をしたにもかかわらず、母さんは一瞬でみんなに受け入れられるのだった。
……釈然としねえ。
夕食後。
折角同じホテルにいるのだから、一つの部屋に集まろうということで……。
広さがある上、保護者の目が行き届くということで、中学生ズとお母さんズが泊まる大部屋へと来ている。
男三人で部屋を訪れると、既に女性陣は寛ぎムードだった。
俺たちの姿を見た椿ちゃんがお茶を淹れ、理世と和紗さんが座るスペースを確保してくれる。
にしてもベッドの上の愛衣ちゃんだけ、周囲がこれだけ動いているのにまるで反応がないのだが……寝ていないか? あれ。
「来たか、亘。明乃さんは?」
「私たちのお母さんの姿も見えないんですけど……亘先輩、どこに行ったか知りませんか?」
ドアを開けて出迎えてくれたのは、未祐と小春ちゃんだ。
靴を脱ぎ、揃えてから部屋に入る。
このホテルは土足のままでも部屋に入れるのだが、やはり俺たちは日本人。
どうしても靴は脱がないと落ち着かない。
「母さんたち、大人四人で麻雀をやるってさ」
「ほほう! 麻雀!」
未祐たちが先に部屋に戻った後も、食堂での大人たちの話は盛り上がり……。
もう一度温泉に入った後は、私たちも何かゲームをしない? という流れになっていた。
そして最後までその場にいた男性陣に伝言を頼み、お喋りをしながら食堂を出ていった。
軽くホテル内を散歩して、お腹が落ち着いたらそのまま温泉に――といった感じらしい。
……お酒も入るんだろうなぁ、きっと。
「だから、結構ゆっくり……って言うと語弊があるけど」
「監視緩めということだな! 下手をすると深夜まで!」
「おい。表現を悪化させんな」
「暴れるぞー!」
「暴れるな!」
大人たちの目があると気が引ける……というのは未祐だけでなく、みんな同じだと思うが。
節度を持って遊ぶように、とは言われている。
そしておそらくだが、一度はこの部屋にタオルなどを取りに戻ってくると思う。はしゃぐのはまだ早い。
ちなみに、ウチの母さんも泊まるのはこの部屋らしい。
「亘先輩。このホテル、麻雀卓なんてあるんですか?」
「――ありませんわね。ビリヤード台やダーツボードなどはありますけれど」
小春ちゃんの俺への質問に対し、割り込んだ声に振り返ると……。
入口の近くにある別の扉から、マリーが出てきた。
本当、耳がいいよな。防音が悪いということはないだろうし。
「マリーっち、いたの?」
「失礼ですわね! いましたわよ!」
「え? ああ、そっか。トイ――」
失言の気配を察し、俺が秀平の口を塞ぐと同時。
未祐が素早い動きで回り込んで隣に来ると、一緒に背を押しやっていく。
そして理世が掛け布団を持ち上げた空きベッドの中に、秀平をそのままシュート!
布団を閉じ、三人で上に乗ると封印が完了する。
学習しないやつだ……。
「――悪かったな、マリー。話の続きだけど、麻雀牌は俺が持ってきたから。その点は問題ない」
「そ、そうでしたの……重くありませんでした?」
『重い! 重いよ! 俺が!』
「大丈夫、象牙の高くて重い牌とかじゃないから。アクリル牌だし」
適当なテーブルさえあれば、手で並べてできるだろう。
傷がつかないよう、マットも麻雀セットの中に入っていることだし。
――あ、そうそう。
「実は麻雀牌以外にも、いくつか持ってきていてだな」
「はい?」
柔らかそうな生地の部屋着を着た……部屋着か? それ?
部屋着までドレスっぽいな、マリーの服。似合うけど。
そんな恰好のマリーが、椅子に腰かけつつ首を傾げる。
「テーブルゲーム、お好きでしたよね? 兄さんと一緒に、色々と用意してきました」
「あ、私たちも持ってきましたよ! すごろくとか!」
理世と小春ちゃんが、置いてあったそれぞれの荷物から次々とアナログゲームグッズを取り出す。
未祐もそれに続くように、デニムのポケットから小さな箱を取り出した。
「私もトランプを持ってきたぞ! 勝負だ、ドリル! 負かせてやろう!」
ドリル……ドリルか。
その呼び方もいい加減に聞き慣れてきたけど、改めてマリーの姿を見るに……。
「マリー、今はドリっていないけどな。温泉に入った後だし。髪、下ろしているし」
「ドリっていないって何ですの!?」
「むぅ、確かに!」
「納得しないでいただけます!?」
「お、お嬢様、落ち着いてください! ドリっていなくても、お嬢様はお嬢様です!」
「ツカサ……」
何というか、こう……司も大概、間が悪いよな。
フォローのつもりだったのかもしれないが、完全に裏目に出ている。
司に向かって怒りの形相を向けるマリーを制し、俺は意識を逸らすように手を振った。
「まぁまぁ、その辺にしておけって。空き時間にVRゲームの繰り返しだけじゃ、さすがに味気ないと思ってさ」
「そ、それはそうかもしれませんが!」
「だから、TBの合間にやろうぜ。もちろん、TBも一緒にだけど」
「やりましょう! マリーさん!」
高級ホテルといっても、自分に合う娯楽が揃っているとは限らない。
もちろん、モニターとして来ているからにはホテル内の施設も最大限利用するが……。
別の目的としてマリーを休ませたい、リフレッシュさせたいという静さんの思惑もある。
一緒に騒ぐための手段は、多いに越したことはない。
「あなたたち……」
マリーの碧い瞳が驚きに染まり、次いで……ぷいっと顔を背ける。
背けた側にいる和紗さんの微笑みを見る限り、マリーは緩んだ表情を見せまいとしているようだ。
「し、仕方ありませんわね……付き合って差し上げますわ!」
「偉そうに……顔を背けたまま指をさすな! 指を!」
「マリーさん、微妙に誰のほうもさせていないです!」
「素直に嬉しいと言ってもいいのですよ?」
「おー、顔こっち向けろー。向けてみろー」
「うるさいですわね!?」
『何で人の上に乗ったまま、ちょっといい話をしている風なの!? おかしくない!? ねえ!? おかしくない!?』