温泉モニター その3
「ふぃー、顎がツルツルになったぜぃ……あれ?」
「……」
秀平が来た……間が悪い。
もう少し遅く来てくれたら、平静を装えたのだが。
湯に入ってから一分も経っておらず、まだ動揺が収まらない。
「わっち、どったの?」
「な、何がだ?」
せめて気付かないでほしかったのだが……変なところで目敏いやつめ。
水風呂にでも入ればよかったのだろうが、サウナ横にしかなかった気がする。
「何か赤いよ? 全体的に。血行良すぎない? お湯熱いの? のぼせた?」
「……ま、まぁ、気にするな。お前も早く入れよ。いいお湯だぞ」
「うん? うん。そりゃ、言われなくても入るけど」
このホテルの露天風呂は加工された石で造られており、どれもかっちり四角い形だ。
湯は澄んでおり、底まではっきり視認でき――隠れる場所はどこにもない。
……司が尻込みしていた理由、こういうところにもありそうだな。
「いざ、温泉! おるぁぁぁ!」
「静かに入れ」
「ぐへぇー……あぁー……」
「……」
秀平は派手な水飛沫を立てて湯に入ったかと思えば、今度はオッサンみたいな声と共に弛緩した顔をする。
目元の辺りを解すようにしているが、ゲームのやり過ぎじゃないか?
「……わっち」
「何だー?」
秀平の声に応えつつ、噴き出し口からこんこんと湧くお湯をぼんやりと眺める。
ようやく気分が落ち着いてきた……今度はちゃんと温泉の効果で体が温まってくる。
壁を隔てた隣の露天風呂から女性陣の明るい声が聞こえてくるが、それに対して秀平からは特に何もなし。
まあ、妄想が現実になっても実際の反応はそんなもんだよな。
「さっきテスト接続の時に言ってた、魔界に行くって話だけどさぁ」
「ああ……」
やはり、出してくるのはゲームの話題らしい。
既定路線のように言っているけど、みんなに相談してからだからな?
「俺は魔王ちゃんに一目会えれば満足だけど、わっちは――」
「嘘つけ」
「最後まで言わせてよ!? ま、まぁ見るだけってのは嘘だけど……ちょっとスクショを撮ったりするくらいだよ! ペロペロしたりしないよ!」
「嘘つけ」
この前、気持ち悪い迫り方をして怯えさせていたじゃないか。
ペロペロって何だよ。
「ご、ごほん! 俺のことはいいんだよ! それよりも、わっちの目当て……」
「嘘つけ」
「今のどこに嘘の要素が!? 言わせろぉ! 言わせろよぉ!」
「わかったわかった。で、俺の目当てが何だって?」
「もしかして、わっちの目的って……魔界にあるっていう、コーヒー豆だったりする?」
「何故わかった」
そもそも、よく憶えていたな。
魔界といえば、魔王ちゃんの発言から主に高ランクの闇属性石が数多く存在するとされている場所だ。
通常、そちらに目が行きがちである。
「も、もちろん、コーヒー豆はスキルのついでだぞ? あくまで、ついでだからな?」
「嘘つけぇ! わっちだって、人のこと言えねえじゃん!」
「嘘じゃねえ! お湯をかけてくんな! 子どもか!」
男同士で湯のかけ合いなんて、誰が得するというんだ。
意地でも反撃しないからな!
「あ、何だか賑やかですね……」
「!」
「!?」
一瞬、女子が間違えて入ってきた――と、そんな勘違いをするような姿だった。
もう辺りは暗くなってきたというのに、白い肌が眩しい。
普通、どんなに中性的でも脱いで骨格が露になれば、はっきりと性別がわかるものだ。
しかし、大きめのタオルを胸元まで巻いた司の体は、どこまで行っても細身で曖昧で……。
「わっち。これ、どういうこと? どういうことなの?」
「どうもこうも、見たままだと思うが……」
「えっと、こういうときは確か骨盤周りで……あれれぇ? タオルのせいで判然としないよぉ? おっかしいなぁ……」
「もうよせ、秀平。諦めろ。諦めたら、あんまり見てやるな。きっとそういう生き物なんだ、司は……」
そうして俺たちは、深く考えることをやめた。
司から視線を外し、温泉の縁に背を預けて体を投げ出す。
ああ、いい湯だなぁ……。
「ど、どうしたんですか? お二人とも……急に黙ってしまって」
「「何でもないです」」
「えっ? あ、あの、口調が」
「「気にしないでください」」
「は、はあ……?」
生命の神秘を垣間見たところで、ようやく三人揃っての入浴となる。
俺を挟んで秀平の反対側、付かず離れずの位置に司が静かに足を入れ……。
しばらくの間、女性陣の声を聞きつつ、黙って海沿いの景色を眺める。
陽が沈んで暗くなってきたな……あ、あそこの家。たった今、電気が点いた。
「……わっち」
「何だ?」
「水遁の術やっていい?」
「潜る気か!? 駄目に決まってんだろ!」
「えー……じゃあ、忍法水鉄砲で我慢する」
手持ち無沙汰だからか、秀平は手で水鉄砲を作ってお湯を飛ばし始めた。
さっきから、やっていることが子どもっぽいな……。
まぁ、俺も釣られてやってしまうんだけど。
「お二人とも、お上手ですね。ボク、それできないんですよね……」
「そうなの? ……わっちの、妙に威力高くね?」
「父さん直伝だからな」
手の形は色々あると思うが、要は水漏れさせずに圧力をかけ、発射する一点に向け――うん。
真面目に解説するようなものじゃないな、これ。
「よーし。じゃあ、できない司っちには秀平パパが教えてしんぜよう」
「よ、よろしくお願い……します?」
「うむ。息子が綺麗に育ってくれて、パパ嬉しい」
「え、ええと?」
ツッコミどころ満載だな、おい。
面倒だからやらないけど。
「司。秀平が話すことに、一々意味を求めなくていいぞ」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。深く考えずに、その場のノリだけで話していることも多いからさ」
「へい、わっち! そりゃないぜ、わっち! へいへい!」
「な? うざいだろ」
「は、はは……」
否定も肯定もできず、司が苦笑する。
その後は秀平の真似をしながら、手で水を飛ばす練習をしていた司だったが――。
「あ、そうでした。先程、お嬢様と温泉の入口近くでお会いしたのですが」
「マリーと?」
不意に手を止め、伝言があると切り出す。
温泉に来るのがやけに遅いと思っていたら、マリーと話をしていたらしい。
「はい。今回の旅行は宿泊期間も長いですし、初日は疲れも出やすいので……」
「うん」
確かに。
移動疲れに環境の変化も手伝ってか、旅行初日は疲れやすい。
もしかしたら、お母さん方は二、三日後のほうが疲れが出るかもしれないが……。
そんなことを口にしようものなら、俺の株は一瞬にしてストップ安である。
そうなった場合に備え、気遣いはしつつも、決して言うまい。
「ですから、ええと……ホテル内の施設で遊ぶのは明日以降にして、今夜はあまり出歩かないことをお勧めしますわ! ――だ、そうです」
おお……。
湯から立ち上がった司の背に、マリーの姿が見えるようだ。雰囲気が出ている。
声の高い司だからこそ、余計に違和感がない。
秀平も同じ感想を持ったようで、けらけらと笑う。
「あっはっは! 司っちの声真似、絶妙に似てる! おもしれー!」
「あ、す、すみません。思い出しながら話していたら、つい……」
指摘された司は、恥ずかしそうに湯に入り直す。
本人は一生懸命話していただけで、物真似をした自覚はなかったらしい。
もちろん、主であるマリーを馬鹿にするつもりも。
「それはいいんだけど、司。もし本人に聞かれていたら、怒られるんじゃないか?」
「えっ? えっ? お、お嬢様、まさか露天風呂にはいらっしゃいませんよね……?」
さっき、女子露天風呂に誰かが後から入ってくるような音が聞こえた気がした。
マリー以外なら問題ないし、そもそも俺の気のせいならいいのだが。
「……ツカサ。後で覚えておくように」
「!?」
ああ、悲しきかな地獄耳。
壁越しにもかかわらず、はっきり聞こえた無情な宣告に、司の顔が青くなる。
こんなに温かい温泉に入っているのになぁ……可哀想に。
悪意がなかったのは、マリーもわかっているはずだ。多分。
弁護が必要なときは、引き受けてやるからな……。
「司っち、不憫な……でもさ、わっち。そういうことなら……」
「だな。ゲームをやるのに都合がいいかも」
何せ、VRゲームは寝ながらできるのだし。
神経の疲れには気を付けなければならないが、他の遊びよりは状況に向いているだろう。