温泉モニター その1
「意見は専用タブレットに書き込みかぁ……リッチだねぇ」
「部屋の広さも大概だし、どこを見ても清潔だよな。これで四人用かよ……今のところ、何が問題なのかは見えてこないな。相応に料金も高いみたいだし」
「確かに。部屋の清潔度、5と……あれ? わっち、高評価が5だよね?」
「ああ。1が最低評価だ」
「了解」
今回はモニターということで、ただ漫然と施設を利用して過ごせばいいわけではない。
各チェック項目に評価点を付けていくのは言うに及ばず、俺たちが何気なく口にした言葉を拾い上げるため……お、呼び鈴が鳴ったな。
「こ、こんにちは!」
女性側の意見吸い上げには、マリーが。
そして、男性側――といっても、たった二人だが。
男性側の意見吸い上げのため、執事見習いである司が付き添うことになる。
ドアを開けると、男にしては妙に艶のある綺麗な髪が目に飛び込んできた。
中々背が伸びないな、司は……この距離だと目線が合わない。
一歩下がり、入りやすいようオートロック式の扉を手で押さえる。
「ありがとうございます、師匠。遅くなりまして、申し訳ないです……」
「気にするなよ。ほら、入った入った」
「おー、司っち。おひさー」
「お久しぶりです、秀平さん」
この人選なのは、俺たちがリラックスするのを妨げないためだろう。
別荘に続いての長期休暇なので、他の使用人の目が気になるところだが。
司のくたびれた様子を見るに――
「休暇前に仕事を押し付けられ――いや、志願か? 一人で大量の仕事でも引き受けたのか?」
申し訳なさから、仕事を引き受けに行く司の姿が見える見える。
俺の推測に、司は疲れの残る顔でうなずいた。
「……はい。みんなは気にせず楽しんできてって言ってくれたんですけど。その、どうしても……」
「みんな仕事熱心だもんなぁ……気持ちは分かる」
損な性分だと感じるものの、俺はそんな司を好ましく思う。
ただ、職場が職場なので、シュルツ家は元からバカンスに寛容だ。
仕えるべき主人も同じ場所にいることだし、気にしすぎという意見もまた、理解できる。
司にとっては半分仕事で、半分休暇という複雑な状態だからなぁ。
「わっちだって、喫茶店の掃除とか在庫チェックとか、いつもより念入りにしてたじゃん。仲間じゃん」
「どうしてお前は、そういうことをばらすかな……別にいいけど」
「そ、そうなんですか? 師匠とお揃い……」
そこで頬を赤らめられると、とても微妙な気持ちになるのだが。
慕ってくれるのは嬉しいのだが、こう……いや、俺の心が曇っているのが悪いな。
みなまで言うまい。
「でも、やっぱり師匠にはお見通しなんですね。ボク、なるべく疲れを顔に出さないよう頑張ったつもりだったんですけど」
「まあ、バイトとはいえ同じ職場に通っているし。それに、俺らの前なら別に……なぁ? 秀平」
「そうそう。んで、疲れているなら早速温泉に行こうよ。三人で」
モニターやら意見の吸い上げやら、色々あるが。
施設を大いに利用し、寛ぐことは前提だ。
しかもホテル自体が改装・新体制を控えてのプレオープン状態なため、贅沢にも貸し切りである。
俺たち以外の客はいないので、各施設が混んでいるかどうかの心配は必要ない。
「あ、ぼ、ボクは部屋に備え付けのお風呂で……」
「あー、すごいよな。個室ごとに露天風呂があるの。ちゃんとかけ流しだし」
部屋の奥、窓の向こうにはベランダがあり……。
湯量が豊富なのか、木製の湯船に湯気を立てる源泉が注がれ続けている。
大浴場まで行くのは億劫だけど、寝る前にひとっぷろ――というときには最高だろう。
今回は大浴場も貸し切りだが、人目が気になるという人にもいいはず。
「って、司っち。どうしてさ? せっかくなんだから、まずは大浴場に行こうよ」
しかし、そんなことを気にしない秀平がストレートに質問をぶつける。
すっかり慣れて司を男扱いするようになったのはいいが、その無神経さは発揮せんでいい。
「そ、そのぅ……」
「ボク、本当は女の子でした! とか、まさかそういう展開じゃないよね? ね?」
「ち、違いますよ!? 何ですか、それ!?」
「秀平、お前ちょっと黙れ」
「えー」
「司、こっちに」
このままでは、いつまで経っても温泉に入れない。
俺は司を連れ、秀平に背を向けて少し遠ざか――本当に広いな、この部屋。
部屋の隅まで行かなくても、充分に距離があるぞ。
「どうした、司? もしかして、何か肌を晒したくない理由でもあるのか……?」
言いたくないことであれば、もちろん言わなくてもいい。
ただ、そう隠されると、体に傷や痣などがあるのでは……などという、嫌な想像も起きてしまうわけで。
そんな心配が伝わったのか、司は慌てた様子で両手を左右に振る。
「ち、違うんです! そんな深刻なものではなくて……」
「あ、そ、そうか?」
的外れだと、それはそれで少し恥ずかしい。
間が持たずに頭をかいていると、司が小さく頭を下げる。
「嬉しいです、師匠……ボクなんかのこと、そんなに心配してくれて」
「まぁ、その、何だ……理由、訊いてもいいか?」
早くいこうよー、などと急かす秀平の声が後ろから聞こえる。
やがて、意を決したような表情で司が口を開く。
「えっと……ボク、同年代の男の子に比べて、背が低いじゃないですか」
「背? ……ああ、うん」
司の身長は男子としてはかなり低いほうで、屈まないと目線が合わない。
さっき部屋の入り口で見た時にも、それは感じた。
理世や小春ちゃんほどではないが、学校などで身長順に並べば、かなり前のほうになるだろうな。
「それに、肩幅もないですし、撫で肩だし、筋肉なくて胸板は薄いし、足も小さいから将来性も……」
「待った、待った、司。つまり、アレか?」
自分のコンプレックスを次々と挙げては、暗い顔になっていく司を制止する。
思い起こせば、別荘に行った時もなるべく隠れるようにして着替えをしていたなぁ。
――要は、こういうことか?
「貧相な体を……って、これは言葉が悪いか。すまん」
「い、いえ。事実ですから……」
「本当にすまん、言い直すな。えーと……華奢な体つきを見せるのが嫌だから、一緒に温泉に入りたくない……ってことで、合っているか?」
「……」
俺の言葉に、司は無言で首肯した。
ああ、何だ……だったら――
「早くいこうってばー。ねえー」
「うるせえ、秀平! そんなこと言ってお前、シャンプーとか洗顔料とか用意したのか!? いくら高級ホテルとはいえ、アメニティグッズが合うとは限らねえんだぞ! 肌が荒れても知らねえからな! ほら、ちゃんとタオルも持って!」
「あ、忘れてた。ナイスー、わっち。ついでに髭も剃ろっと」
「お、怒ってもお世話はするんですね……さすが師匠です……」
お世話というよりはお節介に近いが。
とりあえず、肌――じゃない、体か。
体を見せたくないという司の希望を叶えつつ、一緒に入浴するための案はいくつかある。
後は本人の同意を得られるかどうかだが、できれば同行してもらいたい。
何せ、今回も男性メンバーは三人しかいないのだから。
「このホテルって、温水――じゃねえや。男女共用の温泉のプールもあるんだったよな?」
「はい。そう聞いています」
とにもかくにも、俺たちは部屋を出た。
今はホテル内を見て回りながら話をしている。
「どうしても嫌なら、そのプールに行くってのもいいだろうし。ほら、トップのある水着とか……男用のは変なデザインのが多いけど、存在しないわけじゃないんだし。他には、短パンとかの上に濡れてもOKなシャツ――」
「わっちは濡れ透けがお好みなんだね」
「……」
こいつ……司の容姿で痛い目を見た割には、さっきからフルスロットルで踏み込んできやがる。
その勘違いを最初に助長した俺も悪いけど、今のはひどい。
俺はひとしきり渋い顔をすると、苦笑する司に向き直る。
「……濡れても透けないようなシャツを着たまま入れば、上半身も見えないはず。どうだろう?」
「な、なるほど……」
「普通のほうの温泉でも、大きめのタオルを体に巻いて入ればいい。俺らは気にしないから」
案内を見た感じ、ここの温泉はタオル着用のまま入れるらしい。
これはこのホテルが、海外のお客さんも意識しているからだろう。
日本の入浴スタイルは、世界的に見るとあまり一般的ではないそうだし。
湯船の中にタオルを入れていけない、というのが日本の温泉の基本的な入浴マナーだ。
「……と、こんな感じなんだけど。それでも駄目か?」
「い、いえ! その、できればボクも、一緒に楽しく温泉に入りたいと思っていますし……い、色々やってみようと思います! ありがとうございます!」
「そっか。じゃ、このままホテル内をぐるっと回ってから温泉に行くとしよう」
「はい!」
「――あ、話は済んだ? っていうか、まさに目の前が温泉の入り口なんだけど」
いや、その通りだけど。
今すぐだと、司の心の準備が済まないじゃないか。案の定、怯んだ顔をしているし。
というか司、学校のプールの授業とかはどうしているのだろう?
体操着への着替えなどもそうだが、不便じゃないだろうか?
俺が二人の背を押し、言った予定に変更がないことを示していると――
「あら? 亘君たちもお風呂?」
「!」
お母さんズが準備万端、お風呂グッズを持った状態でこちらに向かってくるのが見える。
最初に声をかけてきたのは小春ちゃんのお母さんだ。
俺は軽く返事をしてから、一旦この場を去ろうと考えていたのだが……。
「あらあら? 新しい子が増えているわね。かわいいー」
「女の子じゃない……駄目よ。そっちは男湯なのだから、あなたはこっちよ」
「ウチの子たち、まだ来ないのかしらね? 愛衣ちゃん、眠っていないといいけど……さあさあ、あなたも行きましょ。廊下に立っていると、体が冷えちゃうわ」
「し、師匠!? 助けてください! 師匠! ししょうー!」
主婦三人が放つ勢いに巻き込まれ、司があっという間に連れ去られていく。
数秒、それを唖然と見ていた俺たちだったが……。
「――はっ!? やべえ! さすがにこれはやべえよ、わっち! シャレにならねえ!」
「た、確かに! と、止めろ! あの入り口をくぐる前に、何としても止めろぉ!」
女性用の脱衣所の扉を越えたら、もうこちらに止める術は存在しない。
俺と秀平は同時に駆けだすと、お母さんズに向かって必死に声を張るのだった。