海と静とマリーと親鳥
静さんに案内され、緩い傾斜の道をゆっくりと進んでいく。
歩くことが苦にならない程、建物に続く道は美しく造られている。
冬でも綺麗に咲く花がバランス良く植えられ、管理者の能力が高いことを窺わせる。
ちなみにリゾートホテルというと、海沿いに多いイメージだが……。
「あ、やっぱり」
硫黄の匂いはしなかったが、車を降りた時から潮の匂いはしていた。
さっきの花壇も塩気に強い植物ばかりだったし。
寒い季節なので歓声こそ上がらなかったが、景色の美しさに変わりはない。
ついでに今日は天気もいい。
「おー、海! 海が見える! ホテルといえば海のイメージだな! 実際の割合は知らんが!」
収入的に上流階級家庭の子どもである未祐だが、旅行の経験は少ない。
忙しい父親である章文さんの頼みもあり、俺たちの旅行に同行する程度である。
だから、知識としてはそんなものだろう。
……海には行かないからな? 先に言っておくけど。
「そういや、どうしてだろうね? 老舗の温泉旅館だと、海よりも山とか川沿いに多い気がするけど。わっち、リゾートホテルが海沿いに多い理由、知ってる?」
こちらはこちらで、同じくらい少ない旅行経験から集めた知識で疑問を述べる秀平。
そもそもゲーム好きが集まっているので、グループの傾向がインドア寄りなのだ。
もちろん俺もそうなので、訊かれても即答できかねる質問である。
「うーん、土地の問題じゃないか? 新規事業者だと、歴史ある場所はどうしてもな。海沿いだと、埋立地を使うって線もあるし。山とかよりも、ここみたいに大きく敷地を確保できる……とか?」
言い終わりに静さんを見ると、こちらは俺と違って即座に答えてくれた。
「概ねその通りです」
「えっ? 合っているんですか?」
「当てたわっちが驚いてどうすんのさ」
適当に撃った弾が当たるとびっくりするじゃないか。
多分、マリーと話しているうちにうっすら知識がついたからだと思うが。
そんなやり取りに、話のきっかけを作った未祐が軽く首を捻る。
「む? これはもしや、当てずっぽうが当たる流れか?」
「どんな流れだよ。乗っからなくていいんだよ」
「では……亘は後で、私と海に行く! どうだ!? 合っているだろう!」
「合っているだろう、じゃねえよ! ただの願望だろうが! それに、海には行かねえってさっき言っただろ!」
「馬鹿な!? 外しただと!?」
「当たるか、そんなもん! むしろ、少しでも当たると思っていたことが驚きだよ!」
どうしてそこまで海に行きたいのか。
温泉に来たのだから温泉に入れ、温泉に。
「大体だな。今の季節の海って、荒れているイメージしかないんだが……」
「そうとばかりは限りません」
未祐の援護についたのは、意外にも静さんだった。
海にしばらく視線をやってから、こちらへと向き直る。
「冬でも朝陽、夕陽が見える海は非常に美しいものです。この辺りの海は比較的凪いでいることが多いですから、落ち着いた景色をご覧になっての散策に適しているかと」
「あ、そ、そうなんですか?」
「……」
「……おい、未祐。ドヤ顔やめろ」
冬の海に対して無知だったことは認めるが、お前は絶対にそこまで考えていなかっただろう。
静さんの言葉は続く。
「ホテルをご利用のお客様の中には、波止場で釣りを楽しむ方もいらっしゃいます」
「金持ちっていったら、自家用ボートで沖釣りとかじゃないの? ……ないんです?」
「秀平……さすがに偏見だろ。波止場で静かに釣りをしたいお金持ちだっているって、多分」
確かに、妙にボートとかクルーザーを買うイメージはあるけれども。
あれって年間、どれくらい使うものなのだろうな?
そう頻繁に使用するものではないように思えるが。
「マリンスポーツ――サーフィンなどは禁止されていますが、イルカのウォッチングなどは年間通してご利用いただけますね。この辺りのイルカは、人懐っこいですよ」
「イルカウォッチング!? 金持ちっぽいの来たー!」
「秀平……」
俗っぽさも、ここまで来ると清々し――くはないな、うん。
恥ずかしいので、少しでいいから自重してほしい。
「何よりも、冬の海は人の少なさがプラスに働きます。一人で思索に耽る、あるいは誰かと語らないながら歩く……夏の賑やかな海にはない魅力がありますから」
平坦な口調ながら、静さんの言葉には熱がある。
さては静さん……海、好きですね?
しれっと秀平の言葉をスルーしているのもナイスなところ。
「いいことを聞いたな、亘! とりあえず、散歩に行くのは決定だな!」
「わかったわかった」
この件については全面的に俺の負けだ。
冬の海の魅力を何も分かっていなかった……散歩でも何でも、付き合ってやるとも。
「そういえば、静さん。マリーはどこにいるんですか?」
「お嬢様は……」
先に到着していると聞いたのだが、姿がない。
ロビーに……おお、暖かい。
ホテル内のロビーにいるかとも考えたのだが、入って見回してもマリーはいない。
「お待ちしておりましたわー!」
「あ、いた」
「ドリル!」
と思っていたら、フロントの奥から勢いよく飛び出してきた。
自慢のドリルヘアー……間違えた。
金の巻き髪も、動きに合わせて元気に踊っている。
「外までお迎えに出られず、申し訳ございませんわ」
ホテルの従業員らしき人々も、こちら側にいる中学生トリオの親御さんたちも驚いている。
前者は妙に陽気なマリーの態度に、後者はマリーの存在そのものに、といった違いがあるが。
マリーは俺たちと軽く挨拶を交わすと、初対面となる親御さんたちのほうへと足を運ぶ。
「……っていうか、先輩。何で私たちは保護者同伴なんです?」
マリーと親御さんたちの会話を横目に、愛衣ちゃんがさり気なくこちらに寄ってくる。
移動の車両が別だったので、まともに話すのは朝に集合した時以来か。
「しかも、部屋も親と一緒とか。これじゃ、伸び伸び遊べないじゃないですかー」
「部屋はともかく、長期の旅行に保護者同伴なのは当たり前でしょ。君たち、中学生なんだから」
「つーまーらーなーいー。つまんないですよー、せんぱーい」
そうごねる当人のお父さんが、一番そういうのを許さないタイプなのだが。
見た目も一番怖かったし。関係ないって? いやいや。
ちなみに愛衣ちゃん、移動中に寝たのか普段よりすっきりした顔をしている。
「あなたは特に、何をしでかすかわからないのですから。お母さんと一緒に大人しくしていてください」
「ちぇー」
部屋に遊びに来るのは問題ないだろうから、それでいいと思うのだが。
会話に割って入った理世が愛衣ちゃんと話し始めたのを見て、俺は成り行きを見守る静さんに声をかける。
「あの、静さん。マリーのやつ、様子が変ですけど。もしかして……」
「はしゃいでおられますね……この上なく」
日本語お上手ね、だのとお母さんズに褒めそやされている。
ヒナ鳥三人の親だから、親鳥とでも呼べばいいか? 俺の心の中限定だが。
並んでいるのを見ると、親鳥三人とも娘さんがよく似ているなぁ。
残念ながらお父さんが誰も捉まらなかったので、両親どちらにより似ているか――などということは、この場で比べられないのだが。
急遽決まった旅行な上、世間的にはもう仕事始めの時期に重なるので仕方ない。
「お嬢様」
はしゃぐマリーの背に回り、静さんがそっと名を呼ぶ。
そのまま、お母さま方と話し込んでいたマリーの背を押し――
「お嬢様は、そちらです」
「へ?」
――フロントを背にしていた位置から俺たちの側、未祐の隣へと移動させる。
呆気に取られるマリーだったが、目を瞬かせると静さんに向き直った。
「ちょっと、シズカ!? どういうつもりですの!?」
「どうもこうもありません。今回、お嬢様はモニター側です。もてなす側ではありません」
「はい!?」
「このホテルにある未解決の課題を洗い直すなら、それが一番です。どうぞ、静養も兼ねて存分にお過ごしになってください。お客様として」
「そ、それでは……先程、主催者然として皆様をお出迎えしたわたくしの立場は……?」
「知りません」
固まるマリーを見て、その場の面々が気の毒そうな顔になる。
愛衣ちゃん? 頼むから、面白がるのはやめてあげてね。秀平は口を開くな。
……やがて震え出したマリーは、両手で顔を覆った。
「は……」
「は?」
「恥ずかしいですわ!」
ロビーにマリーの声が響き渡り、その場が静まり返る。
やがて、未祐の大きな笑い声がそれに取って代わった。
嫌味のないカラッとした笑いに、周囲も釣られて笑顔になる。
「それじゃあ、一緒に温泉入りましょうね? マリーちゃん」
「うう……は、はい、ですわ……」
小春ちゃんのお母さんの一言を皮切りに、マリーはより親近感を持って迎えられた。
どこまでが静さんの計算によるものかは不明だが……。
「では、皆様。部屋にご案内いたします」
事態を仕掛けた張本人は、涼しい顔で先頭に立つのだった。