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温泉旅行初日

 温泉、それは癒しの象徴。

 温泉施設と聞いて、想像するのはどんなものだろうか?

 温泉街の中の一軒? 秘境の宿? リゾートホテル?

 家に温泉を引いている! などという羨ましい人も、世の中には存在するのだろう。

 どんな形であれ、疲れた人々は温泉を心の底から求め……というのは言い過ぎか。

 ともかく、そんな温泉を所有する地権者は様々な形で金のなる――もとい。

 癒しの場である温泉を、疲れた人々に提供してきた。

 そして今、俺たちの目の前にあるのは……。


「おお……」


 金のなるというよりは、金に物を言わせたというか。

 分類的には、事前情報通りリゾートホテルなのだろう。

 ただ、外観からしておかしい点が一つ。


「広っ! 亘、見ろ!」

「見ているよ。本当、でっかいホテルだなぁ……」


 建物、そして敷地の大きさが規格外だった。

 隣でそれを眺める未祐の声もでかいが。


「ドリルの屋敷の仲間だな!」

「そうか? 何か、系統が違うというか……どっちも金がかかっていることは間違いないんだけど。屋敷はもっとこう、落ち着いた――」

「温泉だーっ! うおーっ!」

「はいはい。話が長かったな」


 今の気分が上がり切った未祐に、頭を使った会話は不可能だ。

 元気に建物に走り寄っていく。

 見えない範囲まで行く気はなさそうなので、放っておいても大丈夫だろう。

 ……リィズが継承スキルを習得し損ねた翌日、俺たちは温泉旅行初日を迎えていた。

 改めて眼前に広がる保養施設を眺める。


「今日からここに泊まるのかぁ……」


 ホテルは本体である十階を超える建物の他に、テニスコートなどのスポーツ施設が充実している。

 今の時期は使えない、屋外プールなどもあり……あれ?

 確か、屋内にもプールがあるとパンフレットに載っていたような。


「うーん、硫黄(いおう)の匂いはしないね。わっち、この辺って火山とかないんだっけ?」


 長距離移動の疲れからか、問いかけてくる秀平は眠そうだ。

 深呼吸のあとに大きく伸びをしている。


「なかったと思う。確かここは、分類的には単純温泉だってさ」

「ほほう」


 俺は荷物を持ち直しつつ、周囲を見回した。

 山手のほうには違いないが、そこまで起伏のある地形ではない。

 ただ、台地の上といった周囲より高さのある好立地にホテルは建っている。


「助かります。私、硫黄の匂いが少し苦手なので」


 少し遅れて、やや重い足取りで理世が追い付いてくる。

 俺が持っていた自分の分の荷物を受け取ろうとしたが、手を振ってそのままでいいと断る。

 すみませんと謝ってくるが、このくらいなら軽いものだ。

 無理をすると、温泉に入る体力すらなくなるぞ。

 そんな理世に、秀平は一瞬気遣うような目を向けたのだが……。


「え? でも、理世ちゃん。わっち、硫黄の匂いが好きだって――」

「今すぐ硫黄まみれになってきます! どこですか、ここから一番近い硫黄の温泉は!?」

「おい」


 ありもしない情報を吹き込み、俺に向かって笑いかけてくる。

 お前、どうして後から酷い目に遭うって分っていながら人をからかうんだ?


「ないからな、俺にそんな嗜好。俺は硫黄泉、そんなに苦手じゃないけど」

「え?」

「もう謝っておけよ、秀平。先延ばしにするほど傷が広がるぞ」


 疲れて判断力が鈍っているところを狙っているのが悪質だ。

 もっとも、理世相手にそれをやる時点で、秀平本人の判断力は最初から0に近いと言えるが。

 せめて相手を選べ。


「……ごめん、理世ちゃん」

「……は?」

「さっきの嘘」

「……は?」

「嘘だよ。大体、硫黄臭い女子が好きな男なんていないでしょ? いるなら俺が見てみたいって話だぜ! わはははは!」

「………………」

「はは、は……ご、ごめんってば! 本当にごめん! だから、底なし沼みたいな目で見るのやめて!? いつものゴミとか虫けらを見るような目のほうがマシに思えてくるから!」


 いつもの秀平による失言が出たところで、理世を追うようにゆっくり来た和紗さんが合流。

 これで同じ車両に乗っていた人は全員だな。

 後続はまだみたいだが、そこまで離れてはいないだろう。そちらもすぐに来るはず。


「和紗さんは、荷物大丈夫ですか? 重くありません?」

「ありがとう、大丈夫だよ。泉質の話をしていたみたいだけど、私は赤っぽいお湯の――」

含鉄泉(がんてつせん)ですか? 湯に含まれる鉄が空気に触れて酸化して、赤くなるんですよね。さっき色々と調べました」


 もう雑談のために事前に調べていることは隠さなくていいので、そう言うと……。

 頷きと共に、和紗さんが優しく微笑んでくれる。

 くそっ、こそばゆい!


「そうそう。人によって、小さいころに連れていってもらった温泉がそれぞれ違うから、馴染みのお湯って差が出るよね」

「出ますねー。ウチは硫黄泉によく行っていたんですよ……理世がアトピーだったもので」

「そっかぁ」


 硫黄泉ならどこでも、アトピーなら誰でも効くというわけではないらしいが。

 刺激が強いせいで、悪化してしまう人もいるので注意が必要だ。

 その家族でよく行っていた温泉は理世の体に合ったらしく、今では症状も出ずに綺麗な肌を保てている。

 女の子だしな、小さいうちに治ってよかった。


「みなさま、ようこそいらっしゃいました」


 施設の入り口付近で雑談しながら待っていると、通りのいい澄んだ声が耳に届く。

 私服の俺たちに対し、相手はしっかりと仕事服だ。


「長時間の移動、お疲れさまでした」


 今回の温泉旅行の発案者、メイド服の静さんが深々と腰を折った。




 事の発端は、静さんの「マリーに休養を取らせたい」という話からだった。

 どこかで聞いたような話だが、今回は企画側である。

 屋敷の清掃バイトの休憩時間中、静さんに呼び出された俺はノリノリで――


「いいですね、それ。場所は決まっているんですか?」

「宿はこちらで手配いたします」

「あ、はい」

「それから……前回の別荘逗留の際は、費用負担の面で心苦しいとのお話でしたので」

「そうですね。友人として、借りばかりが増えて行くのは少々」


 ――相談に乗り始めたのだが。

 予想と違い、話がトントン拍子で進んでいってしまう。

 これは……。


「そういうことでしたら、皆様には私たちのグループの……」

「はい」

「改装オープン予定の宿の、モニターをしていただくというのはいかがでしょう?」


 思った以上に、俺がやることはなさそうだ。

 土台、マリーが利用するような宿は高級なところばかりである。

 俺たちの生活レベルで費用を準備しようとすれば大変なことになるだろうし、代わりに労力を提供してくれという静さんの提案は素晴らしいと思う。

 ただ、気になる点があるとすれば……。


「それって、形ばかりのモニターじゃありませんよね?」


 こちらに気を遣ってそうなっているのであれば、話は違ってくる。

 理世、和紗さん、それから椿ちゃん辺りは気付いた時点で気が引けてしまうだろう。

 分かっていてもどこ吹く風のままなのは、愛衣ちゃんくらいか。

 俺の言葉を聞いた静さんは、首を横に振る。


「いえ、本当にモニターが必要な案件なのです。色々と問題があるホテルでして……」

「も、問題?」


 心配の種が一つ減ったと思った直後、静さんが不穏な言葉をこぼす。

 もしかして、よほど実のある意見を期待されている?


「不安を煽るようなことを言って申し訳ありません。(くつろ)げるか否か――という部分に関しては問題ないはずですので、その点はご安心ください」

「そ、そうですか」


 色々と質問を重ねたくなるが……どうも、静さん相手にそれは躊躇(ためら)われるんだよな。

 有無を言わせないというわけではないのだが。

 言葉が明瞭で端的だからか、こちらの理解が足りないのだろうという気にさせられる。


「……」


 聡明で一歩引いて主を立てる、メイドの中のメイドといった感じの静さん。

 仕事の能力は屋敷の若手使用人の中で随一だ。

 しかしその一方で、必ずしも完璧・万能ではないということも知っている。

 別荘地で自転車の練習をした際の記憶が頭をよぎる。


「……どうしました?」


 ついじっと見てしまった。

 ……まあ、いいか。

 言葉の意味は、現地に行けばきっと分かるのだろう。


「ところで、その宿って洋風ですよね?」

「そうですね。リゾートホテルに、温泉が引かれている……と、ご理解いただければよろしいかと」


 なるほど、マリーのグループ企業らしいというか。

 やはり長所を活かすというか、商品や建築物に洋風のものが多いんだよな。

 純国産の企業と同じ土俵で勝負すること自体が間違いなので、正しいとは思う。

 しかし、せっかくマリーは日本にいるのだしなぁ。


「だったら、一つ提案があるのですが」

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