旅行に向けて 中編
部屋を出て、二人で階段を下りる。
持っていく物があるので、まずは秀平を連れてリビングへ。
「ところで、わっち。昨日、未祐っちと探しに行った継承スキルはどうなったの? 何かいいのゲットできた?」
「あー、まあ。いずれ、見せる機会があると思うけど……」
TBのプレイ状況だが、空いた時間にそれぞれ継承スキルを探すという形になっている。
サーラ国内はそれで充分だと思うが、国外での探索に関してはまとまった時間がほしいところ。
せっかくなので、温泉旅行を上手く利用……いや、他のみんなの動き次第かなぁ。
温泉に来てまでゲームをやりたくない、と誰か一人に言われればそれまでだ。
「……とりあえず、今は課題に集中してくれ。課題を残したままやるゲームはつまらないだろう? しわ寄せは、後から全部自分に返ってくるんだし」
「そ、そうだね……」
俺の言葉を受けて、秀平が震え出す。
急に寒くなった……というのも、間違いではないか。
突然、冷水をかけられたような顔をしている。
「だ、大丈夫か? 酷い顔色をしているけれど」
「だ、大丈夫! 小学生のころの古傷が疼くだけだから! ……いくらゲームをやりたくても、親や姉ちゃんに“宿題? もう終わったよ!”なんて、嘘を吐くのはよくないよね。うん、よくない」
「……そうだな」
何があったかは訊くまい。夏休みにも似たような会話をしたことだし。
準備が完了したので靴を履き、外に出て玄関ドアを施錠。
一度足を止め、雲の多い空を見上げる。
干してある洗濯物が少し心配だが、家には未祐と理世がいるので大丈夫だろう。
……むしろ、二人で喧嘩しないかどうかが心配だ。
未祐は居間、理世は自室にいるので、こちらも問題ないと思いたい。
「外に出たってことは、助っ人は未祐っちや理世ちゃんじゃないんだね?」
「ああ」
「っていうか、未祐っちは最初からないか! 俺と同じくらいアホだもんね!」
まだ家からそれほど離れていない場所で、秀平が大声で笑う。
俺は今にも未祐が家から飛び出してくるのではと不安になったが……振り返ってしばらく待っても、特にこれといった動きはなかった。
さすがに窓を閉め切っているので、聞こえなかったようだ。よかった。
「……そうか? あいつのほうが普段から真面目だし、得意な教科、苦手な教科が秀平と違うじゃないか。成績も全体的に上だぞ。文系なら特に――」
「課題終わらせるの、めっちゃ早いのは凄いけどね! そこだけは認めてる! 去年のうちに終わっているとか、何なの!? 爆速!」
「……」
いつも以上によく喋るなぁ、こいつ。
じっと座って一つ所で勉強していた反動か?
俺は白い息を吐き出し、デコボコした手袋で綺麗に編まれたマフラー巻き直す。
コートの中も含めてフル装備にしてきたけれど、今日の気候だと丁度いいな。温かい。
「で、わっち。結局誰のところに行くの? 俺の知っている人? 胸大きい? 腰細い? ヒップは?」
「いきなり下世話だな、おい」
身体情報から入るか? 普通。
最近になって、そういう傾向のゲームでもやったのだろうか……キャラクターの3サイズやら身長体重がやけに詳細に設定されているゲームって、あるもんな。
大概、現実にはあり得ない夢に溢れた数値をしているやつが。特に女性キャラの体重。
……仕方ない、ここは乗ってやるとするか。
「胸囲は……まあ、大きいほうなんじゃねえの?」
「おお!」
「ウェストは引き締まっているな。水泳の授業で見た記憶だと」
「ナイス!」
「足腰もしっかりしているはず。スポーツやっているし」
「いいね!」
俄然、秀平の表情が緩んだものになる。
何てだらしない顔していやがる。
こういうところが女子に――いや、もう直らんか。諦めよう。
この辺の性格も含めて、受け入れてくれる懐が深い女子を探す方が早そうだよなぁ。
「おっす。来たか」
目的の人物の家の近くまで行くと、手を上げて出迎えてくれる。
寒いのに、連絡を受けて外で待っていてくれたらしい。
「って、健治じゃねーか!」
一瞬「あれ?」という顔をした秀平だったが、同じように手を上げて応える俺を見て目が点に。
そのまましばし固まった後、ようやく事態が飲み込めたらしい。
こちらを非難するような表情をしてくるが、そんな顔をされてもな。
「厚い胸板、引き締まったウェスト、登山で鍛えたヒップ。何も間違っていないだろ?」
「間違っていないけど! 間違っていないけどぉ! どうしてくれんの、この俺の行き場のない怒り!?」
「知らん」
「しかもさっきのやり取りのせいで、頭の中に健治の半裸がイメージされるんだけど!? 気持ちわりぃよぉ!」
「知らん」
「わざとだ! 絶対にわざとだ! わっちのあんぽんたん!」
何故か男キャラまで、詳細に身体情報が設定・公表されているゲームってあるだろう?
作り手目線に立てば……キャラクターをモデリングするときに、あると便利なのではと予想しているが。
お前もゲーマーなら、男女で差別するんじゃない。
「……いきなり何だよ。どういうことだ? 亘」
「無視していいよ、無視して。脳内がピンク色だったこいつが悪い」
「そうか。亘がそう言うなら」
「おい、そこ! 何で簡単に納得してんの!? 誰が脳内ピンクだよ! ちょっと! 聞いてんの!? 二人して無視しないで!」
誰も女友だちのところに行くとは言っていない。
秀平が残している教科は英語と地理なので、それらが得意な健治は助っ人として適任だ。
「出迎えサンキュー、健治。寒くなかったか?」
「いや、お前ら時間ぴったりに来たからな。出てすぐだったから、大丈夫だ」
「くそう! 結局、野郎ばっかりの空間じゃないか! 女の子は!? 女の子はどこ!」
話しながら歩いている間に玄関前まで来たので、「お邪魔します」と一言告げて家に上がらせてもらう。
健治は見た目アウトドア派のスポーツマンに見えて、実態はオールラウンダーだ。
多趣味でゲームの話も合うし、勉強の成績もいい。
時折、妙に不器用になることを除けば、総じてハイスペックな男である。
「にーちゃーん!」
「お?」
パタパタという騒がしくも軽い足音を鳴らし、小さな影が廊下の奥から飛び出してくる。
どうやら姿の見えない健治を捜していたらしく、こちらを見ると笑顔に。
そのまま物怖じするような様子もなく、今度は俺たちに目を向けた。
「わたるにーちゃ!」
「こんにちは、菜緒ちゃん」
この子は健治の妹、菜緒ちゃんだ。
年の離れた妹さんで、今年で……えーと、四歳だったかな?
ハイタッチを要求されたので、屈んで勢いのある小さな手を受け止める。
「よかったな、秀平。待望の女の子だぞ」
「女の子っていうか、幼女じゃん……少女ですらないじゃん……」
「しゅーへ!」
「あー、はいはい。いつもながら、何で俺だけ呼び捨て……?」
同じように秀平ともハイタッチ。
人懐っこくて可愛い子だが、心配な点が一つ。
「健治。俺ら、外から来たばっかりだから……」
「あ、そうだな。菜緒、こっちで手を洗おうな?」
「?」
菜緒ちゃんが健治の言葉に、不思議そうな顔をしている。
健治、困っているな……まさか、俺たちがばっちいからなんて言う訳にもいかないし。
しかし、この年頃の子の風邪は一大事だ。
もし何か伝染したら菜緒ちゃんに悪いし、健治にもご両親にも顔向けできない。
……ふむ。
ここは、俺が普段から未祐によく使う手を流用するとしようか。
「菜緒ちゃん。俺、お土産にお菓子を持ってきたんだ。最中なんだけど」
「もなか!」
お、最中を知っていたか。
だったら話は早い。
俺は持ってきた袋を掲げるようにして見せてから、菜緒ちゃんと視線を合わせた。
「最中、好き?」
「すき! あまいのすき!」
「うんうん。なら、一緒に食べようね」
「たべるー!」
「でも、何かを食べる前には、どうするんだったかな?」
菜緒ちゃんが首を傾げる。
その、考えながら彷徨わせている手が顔に触れないかと気が気ではないが……。
頬に触れる直前で、菜緒ちゃんは開いていた手を握って振り回す。
セーフ! セーフだ!
「てをあらう!」
「そ、そうだね。じゃあ、健治兄ちゃんと一緒に洗ってこようか? 洗ってから最中を食べようね。待っているから」
「うん!」
健治が苦笑を浮かべ、「悪いな」と小さく呟いて菜緒ちゃんを連れていく。
俺らも、菜緒ちゃんの手洗いが終わったら洗面所を貸してもらったほうがいいか。
一応、除菌のティッシュも持ってきてはいるが……できれば、うがいもしておいたほうがいいだろう。
健治の家に来るまでに、商店街を通ってきているからなぁ。
人混み経由なので、念には念を。
「……わっち。小さい子に優しいのは結構だけど、やっぱ普段と口調が違いすぎて怖いよ? っていうか、若干キモいよ? 自覚ある? 止まり木の子たちに接する時と一緒だよ? 今度録画して見せようか?」
「よーし、お前の分の最中はナシな。菜緒ちゃんか健治に二個あげよう、そうしよう」
「待って!?」
勉強後の糖分抜きは堪えるだろう。
……というのは冗談で、きちんと課題を終わらせたら渡すつもりではあるが。
ひとまず、俺と秀平は靴を揃えて上がらせてもらうことにした。