新春パーティ巡りと大掃除
「新参ランカーに負けたそうですわね!」
「……」
お前もか……そして何で情報が行き渡ってんの?
掃除中の部屋に入室するなりそう言ったのは、ドレスを着たマリーである。
今日はシュルツ家でバイト――年が明けてから初めての、清掃作業のバイトをする日なのだ。
当然、はたきを持った執事服の俺は作業を中断せざるを得ない。
おいおい、そんなに高そうなドレスで……あまり掃除中の場に入ってこないほうがいいと思うのだが。
「……そうだけど。どうして知っているんだ? どこで聞いた?」
周囲に司以外の執事さんやメイドさんはいないので、言葉遣いは普段通りのものを選んだ。
こういう場面まで敬語だと、お嬢様は不機嫌になるからな……。
「ツカサが掲示板で、噂になっていると教えてくれましたわ!」
「――えっ?」
資料の束を運んでいた司が、急に自分の名が出たことで素っ頓狂な声を上げた。
この部屋はマリーが普段執務に使っている場所なので、部外秘の資料や本が沢山ある。
もちろんそういった物に俺が触れる訳にもいかず……だったら、そもそも部屋に入れるなと思うが。
パオルさんが憎々し気に、お嬢様直々のご指名だと吐き捨てるように――の割に、非常に丁寧に作業内容を説明してくれたので、断るに断れなかった。
そして、話は戻るが。
「いや、司。そんなに必死に目を逸らさんでも……大丈夫。怒ってねえよ」
「で、でも師匠」
「ゲームの負けが原因で怒り狂ったりしないって。それよりも、資料。落とすなよ。まだ床掃除はしていないんだから、落とすと紙に汚れが付くぞ」
「は、はい!」
司はホッとした様子で自分の作業に戻っていく。
本人にその気がなかったのは明白だが、結果的に告げ口したみたいになったのが怖かったんだろうな。
どちらかというと、今のはマリーの話の運び方が悪いといえば悪い。
そんな意図を込めて視線を返すと、マリーは小さく言葉が詰まったような声を出す。
「う……わ、分かっていますわ! 今のはわたくしが悪いです!」
「まぁ、マリーが疲れているのは理解しているけれども。らしくないっちゃらしくないわな」
普段のマリーの言動は、豪快ながらも言葉の端まで神経が行き届いたものである。
あえて司を会話に加えたいときならまだしも、ここまで配慮がないのは珍しい。
「気を付けますわ……いかに疲れていようとも、それを表に出さないことが淑女たるものの振る舞いですから」
「うん。愚痴とかあるなら、ここでしっかり吐き出していけよ。さっきみたいなゲームの話で気が紛れるなら、もちろんそっちでもいいけど」
「や、やめてくださいまし! そこまで優しくされると、勢い余って緊張の糸が切れてしまいそうですわ!」
休憩! あくまでこれは休憩! と、マリーが声を大にして自分に言い聞かせる。
そしてそのままの流れで司に謝罪しに行き、見ているこちらが気の毒になるほど司が恐縮している声が聞こえてくる。
ちなみにマリーが何故ドレス着用なのか? どうして疲労が溜まっているのか? というと――答えは簡単。
「お嬢様。いらっしゃいますか?」
ノックと呼びかける声に返事をすると、扉を開けてメイド姿の静さんが入室してくる。
どうやら休憩時間は終わりのようだ。
「……すぐに行くわ。ワタル、この話の続きは後ほど」
「はいはい。行ってらっしゃいませ、お嬢様ー」
「い、行ってらっしゃいませ!」
またお色直しをして、別のドレスを着て出かけていくのだろう。
どうも、年明け早々お金持ちの間では新春パーティが多数開催されるらしく……。
マリーはそのパーティのいくつかへゲストとして顔出し、となっているようだった。
俺のような人間には縁遠い話だが、コネクションの維持には大切なことらしい。
「お父様の名代を務めるからには、手を抜く訳には参りませんわ!」
というのが、マリーの弁。
だからこそ、本日は主が不在となるここ、執務室の大掃除と相成ったわけだ。
昨年中にこの部屋だけが大掃除を済ませられなかった理由は、それだけマリーが多忙だったからというのもある。
……マリーが去り、それに付き従う静さんも軽く頭を下げて出ていくと、司と二人での清掃作業が再開。
「司、そっちはどうだ? こっちはもう終わりそうなんだけど」
「す、すみません師匠! もうちょっとかかりそうです!」
司に声をかけるも、作業の進捗状況は芳しくないようだ。
この部屋の資料はそれだけ膨大なので、仕方ないといえば仕方ない。
……今時、こんなに紙の資料ばかりというのも珍しいが。
デジタル化できない理由も、俺が知らないだけであるんだろうなぁ。
ハッキング・クラッキング対策とか?
「大変そうだな。何か手伝い……は、駄目だったんだな」
「重ねてすみません……いえ、僕は師匠にだったらいいと思うんですけどね?」
「おいおい、それはいかんだろう。友だちではあるけど、バイトだからな? 俺。非正規労働者だぞ? 問題ありありだ」
「そ、そうですよね。わかってはいるんですけど……」
かなり我慢強い性格の司ではあるが、片付けても片付けても減らない資料の山に涙目である。
普段の片付けは静さんが極短時間で完璧に済ませるらしい……やっぱりあの人、只者じゃないな。
今日は大掃除とあって片付けの性質が違うとはいえ、マリーの執務室は金持ちらしく異常に広い。
しかし、机や周囲に散らばった資料の整理が終わらないことには、次のステップに進めない。
マリーは考えながら歩く癖があるのか、あちこちの棚やら小テーブルにファイルが置き去りにされていることもざらだし。
大事な資料なのかそうじゃないのか、分からん扱いだな。
「……資料の片付けってーと、元の保管場所を把握しているかどうかだと思うんだけど。司、その辺はどうなんだ?」
「お嬢様ご自身が使いやすい配置が一番ですから、その通りに戻したいとは思っているのですけど……すみません。静さんならいざ知らず、僕では瞬間的に把握するのはとてもとても……ですが、時間をかければ何とか!」
「そっか」
「師匠はそこでゆっくりしていてください! なるべく急ぎますから!」
やはり静さんがいれば、といったところなのだろうが。
しかし、静さんは屋敷のというよりはマリー専属のメイドさんなので、今日は付きっ切りだろう。
第一、あの手回しのいい静さんがこうなることを予想していなかった――というのはどこか引っかからないだろうか?
資料の片付け方に関して、彼女からは細かいことを聞かされていない。
……何か、また試されているような気がしてきたぞ。
「司」
「はい?」
「やっぱり俺も手伝うわ」
「え? でも……」
「中身は見ない。代わりに大雑把なジャンルとか言える範囲の内容でいいから、普段マリーがしている配置と一緒に教えてくれるか?」
わざわざ部外秘の資料がある部屋の掃除を言いつけられているしな……。
生徒会活動で得た知識も、少しは役立ちそうなことだし。
怒られない範囲で、上手いことやってみるとしよう。
「ってことで、まずは簡単に剥がせるテープをファイルに貼って色分け。それから、マリーの資料の置き方は年代別なんじゃないかと思ってその通りに。バラだった資料の束もファイリングしておいた。この辺のは司が推測した、グループ企業の中でも中枢に近いやつのをまとめて保管しているんじゃないか? ってのを踏まえて、こっちの棚に」
「……」
「な、並べてみたんだけど……やっぱり、まずかったか? 駄目だったら、すぐに元の状態に戻せるはずだけど」
頑張ってはみたものの、やはりマリーの頭の中まで完全に理解できるはずもなく。
もちろん部屋の掃除は完璧に終わらせたし、ファイルの色分けによって目的の物を探しやすくなったはずだ。
腕を組んで黙って聞いていたマリーは、やがて資料棚のほうへ。
それから入り口横に控えた静さんのほうを見ると、ぱっと表情を輝かせた。
「見なさい、シズカ! やはりわたくしの言った通りになったでしょう!?」
「そうですね」
「やはりワタルは我が家に必要な人材ですわ! 我が家にというか、私が必要としています!」
「そうですね」
マリーのドヤ顔に、静さんはただ頷くのみだ。
……多分、静さんは自分以外の使用人が片付けに難儀しているのを知って、どうにかしてほしいとマリーに言ったのだろうなぁ。
で、色々あってこうなったと。
……どうしてこうなった?
「少し微調整は必要ですが、概ね満足ですわ!」
「左様か」
そりゃ、あとはマリーの思う通りに並べ替えてもらうしかない。
俺は資料の並びを簡単にメモした紙をマリーに渡した。
ただ、全て題名なしだったファイルを色分けした上で適当に数字を振ったので、これで次回から片付けを行う際の手間は大幅に緩和されるはず。
「二人の執務室の掃除を任せて正解でしたわ! ツカサ、青の、ええと……二十三番を右の棚に」
「は、はい!」
「あとは、赤の――」
早速使いこなしているな……ああ、そうそう。
機密がどうこうの話なら、期間ごとに色分けを変えたりすればいい。
もっとも、本当に人目に触れさせたくない資料は別の場所に厳重に保管してあるのだろうけれど。
そもそもこの屋敷のセキュリティと使用人の採用基準の高さからして、窃盗目的で入り込める人間はいないと思うが。
……どうして俺、そんな場所で執事服を着て清掃員をしているんだろうな?
「亘様」
「あ、静さん。お疲れさまです」
マリーと司が資料の微調整を続けているのを見て、静さんが小さな足音と共に近付いてくる。
本当、歩き方一つ取っても本職の人は洗練されているよなぁ。
ついつい、失礼を承知でぼんやりと眺めてしまうことがある。
「亘様も、お疲れさまです。このような、人を黙って試すような真似……私は反対したのですが」
違いますわ、ツカサ! それはこっち! などと元気に指示を出すマリーに、悲鳴を上げる司。
資料のちょっとした整理と並べ替え程度で、ここまではしゃいでくれるなら、俺としてはあまり気にならないところだが。
「まあ、マリーが喜んでくれたならそれでいいです。何だか、パーティ疲れも緩和されたみたいだし」
「……そうだと、いいのですが」
「?」
何か気になることでもあるのだろうか?
そう訊こうとしたのだが、マリーの呼ぶ声と司の助けを求める声に遮られてしまう。
……これは後でもう一度、静さんと話をしておいたほうがいいのかもしれない。