プレゼントをあなたに
部屋にある押入れを開くと、古いゲーム機がずらりと並ぶ。
中身は使いこんでくたびれたものが多いが、外箱は綺麗なままで揃っている。
その中のやや目に付き難い奥まった場所に、他とは雰囲気が違うゲーム機が一台。
破損に気を付けつつ、俺はそれを静かに手に取った。
「……」
ひしゃげた箱に、何かのパーツが外れているのかカラカラという音。
この箱がひしゃげたゲーム機が届いたのは、父さんが十年以上前の12月24日に亡くなってしばらく経ってからだ。
当時の細かいことは……時間が経った今でも、あまり思い出したくない。
ゲーム機はこんな状態だが、接続すると奇跡的にきちんと稼働した。
「母さんも、結構スパルタだったよな……」
当然、このゲーム機を見ると父さんのことを思い出す。
だから、幼かった俺は遺品であるこいつを押し入れの奥深く、先程の場所よりもずっと手が届きにくい場所にしまいこんでいたのだが……。
母さんは、俺の肩を掴んでこう言ったのだ。
「父さんの最後のプレゼントなんだから……動くなら、遊んであげて。それに、自分が原因でゲームを嫌いになったなんて知ったら、父さんきっと悲しむわよ?」
そうして、泣きながら本体と一緒に買ってあったゲームをやったっけな。
エンディングに到達したときは、それがゲームのせいで感動して泣いているのか、それともそれ以外の理由からなのか、ぐちゃぐちゃでよく分からなかった。
ただ、あのとき母さんが言ったことは間違いじゃなかったと、今では思うのだ。
「……そろそろ行くか」
ゲーム機の入った箱を静かに机の上に置き、コートを羽織る。
部屋を出る際、もう一度だけそいつに目を向ける。
浮かぶ感情は――時の流れで幾分か掠れた喪失感と、不思議と柔らかな想い。
不意に、父さんが選んだ名作とは程遠い、バカゲーと呼ばれるジャンルの一場面が頭の中で再生される。
「……ふふ」
泣きながらクリアした大作ゲームの後にやった、低価格ゲーム。
そいつが笑え笑えと、固まっていた俺の表情を無理矢理にほぐしていくのだった。
パーティの前に、墓参りを済ませなければならない。
行くのは俺と仕事帰りの母さんだけで、未祐と理世は自宅で待機だ。
「じゃ、行ってくるな」
「お留守番お願いね」
料理は大体でき上がっており、仕上げや温めだけで済むようになっている。
秀平への手土産を持ち、靴を履いて玄関のドアノブに手をかけた。
「あ、待て! 亘!」
「兄さん。これを持っていってください」
「?」
二人に呼び止められ、後ろを振り返る。
すると理世が大きめの袋を差し出しており……。
「……何だ? 父さんへの供え物なら、ちゃんと持ったぞ?」
「いや、これはお前のだ。亘」
「俺の?」
「墓参りが終わったら開けろ! そして使え!」
「終わったらって、墓の前でか? ……理世?」
「そうですね。私もそれを望みます」
疑問ばかりが浮かんでくるが、最後に隣で待つ母さんに目を向けると――。
何かを察したように、微笑みと共に頷くだけだった。
中身がなんなのか、というのは訊ける雰囲気ではない。
俺は全ての疑問を押し込めると、理世から袋を受け取った。
「……じゃあ、今度こそ行ってくるな」
荷物が少し多くなってしまったが、軽いものは母さんが持ってくれている。
未祐と理世の見送りの声を聞きながら、俺は玄関の扉を開けるのだった。
父さんのお墓は、自宅から少し離れた集団墓地の中にある。
色々あって親族との縁が薄いため、先祖代々という類のものではない。
墓石は比較的新しめだ。
黙々と墓周りの掃除を終え、供花を整えていると――
「瑞人さん。亘が作ったケーキは、後からお家でお供えするわね。好きだったでしょう? 甘い物」
「……」
母さんが墓前で語りかける声が耳に入ってくる。
俺はそれに余計な口を挟まず、バッグの中から線香を取り出した。
「今年はまた、一段と上手にできたのよぉ。もう、いつお嫁に行っても大丈夫ね」
「……あの、母さん?」
俺は婿に行くことはあっても、嫁になる可能性はないと思うのだが。
寒風が吹く中、手で風を遮りながら、何本か束ねた線香に火を点ける。
「それから、瑞人さんにお供えしたケーキは、私が後で美味しくいただきますからね?」
「か、母さん?」
「別に、食い意地が張っているとかそういうことじゃないのよ? でも、瑞人さんプロポーズの時に言ってくれたわよね。喜びも悲しみも、一緒に分かち合っていこうって。だから私――」
「それ、そういう意味ではないんじゃないかな!?」
静かな墓地にツッコミの声が虚しく響く。
その言葉は、そんな「お前のものは俺のもの」理論を前面に押し出した内容ではないはずだ。
「え? 何言っているのよ、亘。私が食べなかったら、きっと未祐ちゃんが全部食べちゃうわよ?」
「そういう次元の話でもなかったと思うんだけど……はぁ」
何だか、さっきまであったしんみりとした空気が一瞬でどこか遠くへ飛んでいってしまった。
息子の幼馴染とケーキを取り合う母親がどこにいるというのか。
――思えば、母さんはいつだってパワフルなのだ。
もちろん裏で泣いていることはあっただろうが、俺の前でそうした姿を極力見せないようにしていたことは知っている。感じている。
……俺は母さんから見えない角度で少し笑うと、煙の立つ線香を墓前に供えた。
「お菓子もだけど、父さんに本当に供えるべきはゲームなんだろうなぁ」
ふと、そんな思い付きが口を突いて出る。
あまり聞かない話だが、大事なのは故人の趣味嗜好にあった品ではないだろうか?
俺の言葉を聞いた母さんは、それに鋭く反応する。
「いいわね、それ! というか、今夜のパーティの時に何か一緒にやりましょうか! みんなで!」
「……母さんが? ゲームを?」
意外な言葉に、俺は不意を突かれ固まってしまう。
申し訳ないのだが、母さんがゲームをやっているイメージは全くない。
そもそも機械にあまり強くないし、具体的に訊いたことはないのだが、父さんとの出会いも趣味関係が切っ掛けでないことは想像に難くなかった。
つまり、こんなことを言うのは非常に珍しい。
「あ、馬鹿にしているわね? お母さんだって、ボードゲームくらいならできるんですからね! 双六とか!」
「いや、それアナログゲームでもいいやつだから……やろうか? デジタルもアナログも、どっちもあるよ? 家には」
「ピコピコは平面で、横に動くやつまでならできるわ!」
「母さん、いつの時代の人なの?」
「でも、縦よりは横のほうが新しいんでしょう?」
「変なところは詳しいんだね……」
そこまで行くと、もう何世代か前のお母さんレベルな気がする。
まぁ、半分は冗談だと思うが……。
母さんはこうだが、父さんはよく俺のことをゲームに誘ってくれた。
「亘、暇か? 暇なら父さんとゲームしよう!」……なんて、今でも耳に声が残っている。
「……」
「……」
会話が途切れると、冷たい風が殊更身に染みる。
母さんのおかげで楽しい会話ができたが、少しずつ……どうしても、ここにいると心も冷えてくるようだった。
俺は供えるのに使った道具や掃除用具などを片付けると、母さんに声をかける。
「……帰ろうか」
共同墓地で貸し出してくれている水桶などは、きちんと返さなければならない。
母さんにはこの場で待ってもらい、俺は一度返却に向かおうと――
「待ちなさい、亘」
――したところで、呼び止められた。
母さんは有無を言わさず、俺が持った桶を奪うように取ると……。
代わりに、理世と未祐が持たせてくれた紙袋を胸に押し付けてきた。
「開けなさい」
「え? でも、桶を返してからで――」
「いいから。今、ここで開けなさいな」
「……」
強い口調から一転、優しい……ただただ優しい口調で、包み込むように諭してくる母。
中が見えないよう、テープで閉じられていた袋の口を開くと――
「……馬鹿野郎が。ここで着たら、線香の匂いが全部ついちゃうだろうが……」
見た感じ、ほとんどが手編みの防寒具だった。道理で、重さの割に袋が大きいわけだ。
……中でも一番上にあるのは、編み目が不揃いなデコボコの手袋。
手を入れると、不格好だが厚手で非常に温かい。粗いが時間はかけたのだろう、丈夫な感じもする。
これを作ったのはきっと、不器用だけど心が温かい太陽のようなやつだ。
「あら、亘が最初に作った手袋そっくりね。あれは……未祐ちゃんにあげたんだっけ?」
「え? ……いや、俺のはもうちょっとマシじゃなかった?」
「いいえ、そっくりよ。ふふふ……」
「……」
次に目に付いたのは――対照的に、綺麗に目が揃ったマフラーだ。
まるで既製品……いや、それ以上の職人が作ったような美しさがある。
量産品には絶対にない、独特のオーラのようなものを感じる。
ちょっと段差のある手袋で引っ張ってみると、端っこに慎ましく、金槌のマークが存在していた。
こ、このゲームで見たままのマフラーは!
「まあ、可愛らしい。でも、どうしてハンマーなの? 亘」
「え、ええと……うん」
そういやさっき、パーティ用の料理を作っている最中。
宅急便が来て未祐と理世がドタバタとしていたな?
……ああ、そっか。
察してくれってそういう……本当にありがとうございます、和紗さん。
あなたの真心、しっかり受け取らせていただきました。
肌触りのいいマフラーを首に巻き、俺は最後の手編みの品を手に取る。
「……?」
広げてみるも、それが何なのか分からない。
その手編みの品はシンプルな形をしていて、左右対称。
筒のような形をしていて、ネックウォーマーかとも思ったのだが……それにしては、少しサイズが大きい。
そうして裏返したりしていると、中から何かがふわりと落ちてくるのが視界の端に入る。
「よっと。ファインプレー、私!」
「お、おお? 母さん、ナイスキャッチ。年齢を感じさせない動きだね」
「うっ」
「え?」
「……亘がそんなこと言うから、ちょっと腰が痛い気がしてきたわ」
「……ぎっくり腰だけは、気を付けてね?」
ともかく、母さんが掴んだそれはメッセージカードだった。
それによると、被らないようプレゼントとしては変わり種の「腹巻」にしたとあった。
「ああ、腹巻かぁ! なるほど……なるほど!」
「亘のことをよーくわかっているチョイスねぇ……」
「確かに」
名前は書いていないが、おそらく理世だろう。
そうか、これは毛糸の腹巻か……今は使えないが、腹巻を常用している身としてはとても嬉しい。
早速今夜から、寝間着の下に身に着けようと思う。
「こら、亘。どうして腹巻をしまおうとするの? 仲間外れは駄目よ」
「は? え? 母さん、まさかここで着けろとでも?」
「当たり前でしょう? 誰もいないんだから、照れないで。ほら」
「照れとかそういうのじゃないんだけど……」
しかし母の反対に遭ったため、この場で身に着けることに。
コートを着ているので、装着は少し難しかったが……どうにか、汚したりせずにお腹に巻くことに成功。
服の下にあるので、見た目からは分からないだろうけれど。
「よし……にしても、毛糸のパンツとかじゃなくてよかったよ。さすがに、それをこの場で履けと言われたら――」
「追伸。毛糸のパンツが第一候補でしたが、腹巻で妥協しました。湧き上がる欲望を抑え込んだ私を褒めてください……だってさ、亘」
「……」
「……」
「……さて、まだ何か残っているな」
「聞かなかったことにしたわね?」
編み物は三つで全てだったが、袋の中には他にも贈り物があった。
まず、沢山の可愛い絵がついた「使い捨てカイロ」が。
よく見るとこの動物とかの絵、手書きだろうか……?
使い捨ててしまうのは勿体ないような気もしてくるな。
どうにか使い終わった後に保存できないだろうか。
そして、そのカイロたちの横にあったことで、最後に残った謎の小さな金属の箱についてもすぐにピンと来た。
「うお、これ灰式懐炉か……? すごいな。実物は初めて見た」
「なになに?」
「昔の繰り返し使える懐炉だよ。これにもメッセージカードが……あー。この懐炉セットは、愛衣ちゃんたち三人からのプレゼントか。嬉しいなぁ」
「ゲームで知り合った子たちよね?」
「そうそう。中学生三人組ね」
話を聞きながらも、母さんが腹巻の中に使い捨てカイロを勝手にセットしていく。
うん、まあ、確かに寒いんだけどね……勝手に息子の服を捲らないでくれるかな?
一応、俺も思春期の男子ですよ?
そんな都合を無視する母さんは、カイロをセットし終えるとしみじみと呟いた。
「いい子たちよねぇ……本当。あのさ、亘」
「なに?」
「……充分、温まったかしら?」
「!」
不意の質問に、寒風で渇いていた目頭の辺りが殴られたように急激に熱を帯びる。
体は温まったか、と母さんが訊かなかったのは……きっとそういうことなのだろう。
今度こそ桶の返却口に体を向けると、俺は母さんの顔を見ずにこう答えた。
「……温まりすぎて、熱いくらいだよ。そのせいで、ちょっと視界が滲んできたもの」
「そっか」
「……帰ろうか、母さん。俺はもう、大丈夫だから」
「そうね……ふふっ」
桶を奪い返して先に歩き出すと、軽い荷物を持った母さんがぶつかるように俺の腕を取ってくる。
ちょっと、さすがにこれは恥ずかしいのだが。
近くに誰もいないよな?
「そういえば、秀平君からも温かい飲み物をもらったわよ。ケーキのお礼だって」
「え? ……うわ、保温バッグ。いつの間に。あいつらしくない気の利かせ方だな……」
「こーら、そんなふうに言わないの。ところで……」
「?」
腕を組んだ母さんが、こちらの首元に少し顔を寄せてくる。
次に手を引き寄せ、同じようにしてから頷きを一つ。
……何だ? 鼻を近づけていたようだったけど。
「うん。ちゃんと線香以外に、一生懸命編んだ女の子の匂いが残っているわよ? マフラーも手袋も。さっきカイロを入れた時に確認したけど、腹巻も。よかったわね!」
「はあ!?」
「亘、そういうところあるものねー。だから、心配しなくても――」
「違うから! ただ、毛糸のものは洗濯にコツが要るから……」
「またまたぁ。いいのよ、素直になっても」
「だから、違うって言っているでしょ!?」
どこまでも明るく、騒がしく。
身にまとった沢山の温かな気持ちと共に、俺と母さんは墓地を後にしたのだった。