嫉妬ゲージ
放課後。
階段付近の掃除から教室に戻ると、自分の席が占領されていた。
「おう、岸上。今日はホームルームなしだってよ」
「あ、うん。教えてくれてありがとう、加地君。それはいいんだけど……」
もう周囲に隠すことなく、大きな体でちまちまと編み物に勤しむ加地君。
俺の席を塞いでいるのは彼ではない。
その手元を、後ろから虚ろな表情で見つめる――
「秀平……何してんだ?」
「……」
呼びかけても反応はない。
代わりに、加地君が再び振り返って答えてくれる。
「津金のやつ、さっきからこうなんだよ……岸上、原因知らねえ?」
「いや……昼間は普通だったし。第一、昨晩だって楽しそうに一緒にゲームしていたけど?」
つまり、今の掃除の時間に何かあったということになるが。
秀平の担当は確か……ああ。
「そっか……こいつ昇降口担当だから……」
「あ? 昇降口を掃除していると、何でこうなるんだ?」
一人で納得していると、加地君から鋭い視線を向けられてしまう。
おおう……大男だから迫力あるんだよな、加地君は。
きっと本人的には、それほど怖い顔をしているつもりはないのだろうけれど。
ええと、昇降口にいると秀平の元気がなくなる理由だったな。
「……昇降口って、掃除がなくて帰っていく生徒とか、早く帰る三年生とかが目に入るじゃん?」
「ちゃんと集中して掃除していれば、気にならんけどな」
「そうなんだけどさ。そこは、ほら……秀平だし」
「……ああ」
「――」
……?
一瞬、虚ろな目の秀平がびくりと反応したような。
まあ、いいや。話を続けよう。
「そして今年は俺たちの学校、妙にカップルが多いでしょ?」
「……そういうことか」
加地君の目に理解の色が浮かぶ。
下校していく生徒たち、それを横目に見る秀平。
クリスマスのイルミネーションを見ただけでイライラするような男だ。
それを見て、どんな心情になるのかは……お察しである。
「そういうこと。要は、いつもの発作――」
「一人で何が悪いんじゃああああああ!!」
「おわぁ!?」
急に叫び出した秀平に、加地君が驚いて編み物を落とす。
予想できていた俺は動じなかったが……って、昨夜のシエスタちゃんに対するサイネリアちゃんやリィズの反応を思い出すな。
慣れていたり、思考が似通っていたりすると反応が薄くなるということか。
今のこの状況の場合、後者だとはあまり思いたくないが。
「……別に悪くねえよ。悪くないから過剰反応するな。叫ぶな」
「でもよぉ、わっち! 俺は寂しい! 寂しいいいいいい!! 嫉妬ゲージまぁぁぁっくす!」
「岸上、何なんだこいつ……? 強がりたいんだか、弱音を吐きたいんだか、はたまた恨み言を言いたいのか……」
「全部じゃない?」
面倒くせえ、と呟く加地君。
概ね同意だが、ここのところ秀平はずっと不安定だ。
いい加減、怨念を抱くにしても程々にしてほしいところ。
「大体、わっちたちが悪いんだぞ!」
「え? 何で? っていうか、たちって……」
「生徒会コンビの仲がいいから、みんな中てられて学内でカップルが増えたんじゃん! ふざけんなよ!?」
「はぁ? 知らんよ」
というか、そんなの初耳なのだが。
仲がいいのは否定しないが、男女のそれとは違うはずだ。
いくら未祐が目立つといっても――
「岸上。津金の言っていることは、あながち間違いじゃないぞ」
「え? か、加地君?」
「珍しいことに、一理ある」
「おーい! 珍しいは余計じゃないかな! 加地熊くんよ!」
「誰が熊だ!」
加地君が低い声で吠え、柔道部らしく両手を開いたポーズで秀平を威嚇する。
うーん、大変申し訳ないが確かに熊っぽい。
例のゲームの診断を受けたら、間違いなくそうなるであろうくらいに熊っぽい。
「ふん……生徒会ってのは生徒の代表だからな。ついでに、この学校ではそれが投票で決まるってのもある。代表である会長・副会長が男女で仲良くしていれば、何となく周囲も染まっていくもんだ」
「……俺たち、別に付き合ったりしていないんだけど」
「実態が友人だろうと何だろうと、だ。仲睦まじさに感化されるわけだから、そこはあまり関係ねえな」
「な、なるほど……」
「わっち顔負けの分析である。負けてない? ねぇねぇ? 負けてない?」
加地君がそこまで人の感情の機微に敏いとは意外だったが……。
そうやって真逆の行動を取る男に言われるのは、酷く心外である。
「お前ね……っていうか、もう落ち着いたのか? 嫉妬ゲージとやらは下がったか?」
「下がってねえよ! 見れば分かるじゃん!」
「いや、見ても分かんねえよ……」
「いい加減うるせえな……」
加地君が背を向け、自分の手元を注視しつつその背を丸める。
趣味を隠さなくなったとはいえ、さすがに人前で編みぐるみは恥ずかしいのか、作っているのはかぎ針編みのコースターのようだ。
集中できないと言わんばかりの加地君の態度に、秀平が机を叩いて憤慨する。
「ってか加地君、柔道部は!? 何でこんなとこで編み物してんのさ!」
「今は空手部が使ってんだよ。終わったら自主練しに行くから、ここで時間を潰してんだ」
「くっ、うぅ……!」
ということは、柔道部そのものは休みなのか。
その上での自主練ということがわかり、秀平はもはやぐうの音も出ない。
「大体、津金。他人に嫉妬する暇があったら、女子にアタックしたらいいじゃねえか。ここで愚痴るな、鬱陶しい」
「はあ!? 偉そうに――って、あ!? そうだ! よく考えたら、加地君も彼女持ちじゃないか!? 忘れてたああああああああ!!」
そして加地君、彼女あり。交際歴はおよそ二年だとか。
以前は隠していた可愛いもの好きという趣味も受け入れてもらえ、最近はかなり幸せな状態だと聞いている。
秀平的には、もっとも許せない種類の男子なはずだが……今ごろかよ。
「趣味に部活に打ち込んで、その上彼女持ち!? はぁぁぁぁぁ!? 馬鹿なの!? 馬鹿なの!? っていうか、俺が馬鹿なの!?」
「マジでうるせえな!? 岸上、何とかしろ!」
「趣味の充実っぷりだけは勝っていると思うぞ、秀平」
「傷口に塩ぉぉぉぉ!!」
教室内のクラスメイトが減っていたのは幸いだった。
文系女子の渡辺さんが少々嫌そうな顔で出ていったのが見えたが……まぁ、うん。
うるさいよね、ごめんなさい。
全く会話がない仲でもないので、明日にでもフォローしておこう。
「くぅぅぅ……彼女、彼女が……ほしい……」
そして遂に、秀平の嫉妬エネルギーが尽きた。
残ったのは、ただただ儚い願望だけである。
「……」
「……」
悲し気な声に少しだけ気の毒になり、俺と加地君は顔を見合わせた。
どう声をかけるべきか視線を彷徨わせ……ふと、人の机に顔を突っ伏す秀平の手元が目に入る。
「あれ、秀平? 手の甲、ちょっと怪我していないか?」
「へ? ……あー。さっき、下駄箱を掃除してるときに尖った小石を引っかけたかも」
「怪我した後、手は洗ったか?」
「洗ってきたよ」
俺は机の脇にあったバッグを漁ると、目的の小さな箱を掴んで取り出す。
それから箱の中身を取り出すと、テープを剥がして秀平の手の甲に……貼付。
「わっち、何して……絆創膏?」
「ああ。一応、普段から常備しているぞ。基本だろ?」
「「女子か!?」」
「え?」
秀平だけでなく、加地君にも同時にそう言われてしまった。
絆創膏が女子っぽいというのはよく分からないが……。
「すげえありがたいんだけど、わっち……気のせいか、絆創膏に可愛いにゃんこが見えるよ……?」
「何!? 見せろ、津金!」
「うわっ!?」
加地君が秀平の腕を掴み上げる。
抵抗すると痛い思いをすると分かっているからか、秀平は為されるがままだ。
……勢いにやや引いているが。
「男に手を取られても嬉しくねー……しかしさ、わっち。絆創膏はまだしも、キャラものってのは……完全に女子じゃん……」
「あ、あー……それ、ドラッグストアの福引で当たったやつだから……」
「「オカンか!?」」
ああ、その理屈なら少し分かる。
世のお母さん方、消費物の見た目はあまり気にしないものな。
だって、それを気にして使わないのは勿体ないから。
そしてこの件に関しては、俺も全くもって同意見である。
「津金、あんた手を怪我して……って、あれ?」
――不意に、教室のドアが開かれる。
声の主は佐藤さんで、手には絆創膏を持っているようだった。
どうやら、秀平の怪我を見て保健室に絆創膏を取りに行っていてくれたらしい。
……そういや佐藤さんは、秀平と一緒の班分けだったかな。
「おー、いいんちょ。遅かったじゃん、何してたの?」
「べ、別に何も――」
「それより見てよ。可愛いっしょ? この絆創膏」
「……そ、そうね」
あ、佐藤さん、自分が持ってきた絆創膏を隠してしまった。
そして何やら不穏な気配……秀平を見る佐藤さんの目付きが怖い。
「よ、よかったわね! 大体、その程度の怪我、大袈裟にするようなもんじゃないと思うけど!」
「まー、そうだけどさ……わっちが貼ってくれたんで、折角だしそのままにしとくよ」
「………………へっ?」
秀平が手の甲を見せながら言った内容に、佐藤さんは呆気に取られる。
そして確認するように俺の顔に視線をやり、頷くのを見てから秀平へと向き直った。
「きしがみ、くんが?」
「そうだけど? ……何? どしたの委員長?」
これは……誰か、女の子が秀平の手に絆創膏を貼ったと勘違いしていたパターンだな?
秀平がそれに気付く様子は一切ないが。
「もしかして、委員長。わっちの少女趣味に引いた?」
「やめろ、津金! 岸上に失礼だし、俺にまで飛び火するような言い方をすんじゃねえ!」
「あー、えっと……加地君もいる? 絆創膏。ミニ絆創膏だから、裁縫針で怪我したときとかにも使えるし」
「本当か!? ありがとう岸上!」
ちょうどいい? ので、熊さんの絆創膏を数枚、加地君には差し上げることにしよう。
佐藤さんはしばらく唖然としていたが、やがて帰り支度を始める。
そして去り際、秀平の頬にココアらしき缶ジュースを押し付け――
「ぶへっ!? な、何じゃあ!?」
「あげる! ……冷めてるけど」
「え? え?」
「な、何かさっき、元気なかったでしょう!? 今日だけ特別よ、特別!」
捲し立てるようにそう言うと、足早に教室を出ていった。
勢いよく閉めた引き戸のドアが、跳ね返って半開きの状態で止まる。
あーあー、この心拍の高まりと同調するような早い足音……聞いていると、何だか自然と顔がにやけてしまうな。
「……どう思う? 岸上」
足音が階段を下りはじめたところで、加地君がぽつりと問いかける。
俺は半開きのドアを閉めると、自分の席の傍に戻りながら答えた。
「青春ですなぁ。でも、佐藤さんはあれで精一杯なんじゃないかな? 以前からそうだけど」
「しかし、佐藤が行動を起こさん限り、こいつはいつまで経っても気付かんぞ? 馬鹿だしよ」
「まぁ、そうなんだけどね……」
何だかんだで、加地君を含めた三人で結構長くお喋りに興じてしまったな。
というか、いつまで俺はこの位置で立っていればいいんだ?
そろそろどいてくれよ、秀平。
「委員長が俺に差し入れを……!? 何で!? 何か怖い! 後で俺、一体何をされんの!?」
「……はぁ。全く、お前ってやつは」
「佐藤も可哀想に……」
「え? ど、どういうこと?」
どうやら、秀平の嫉妬ゲージが消滅する日はまだまだ先のことになりそうだ。