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雲のように

 スポンジケーキの焼き上がりを待つ間にも、やっておくことはある。

 それは今回の「ホイップクリームケーキ」に使うクリーム作りだ。

 例のゲームのケーキは、それはもう沢山のクリームがたっぷりと塗られていた。

 佐野先輩が完成を目指している料理の肝と言ってもいい。


「亘。そういえば生クリームとホイップクリームって、どう違うのだ? 同じものではないのか?」


 使った調理器具をちゃっちゃと洗い、手を振りながら近付いてくる未祐。

 水飛沫を顔にかけられ、俺はしかめ面になりつつ手ぬぐいを差し出す。

 ……間違っても粉物には入らないようにしてくれ。


「すまん! で、どうなのだ?」

「生クリームとホイップクリームの違いか……」


 変なところを気にするやつだな。

 しかし、訊かれたからには答えよう。


「商品上の分類と、一般的な分類の二つがあるが。どっちから聞く?」

「む?」

「というか、ちゃんと理解できるのか? 少し長くなるぞ」

「ふざけるな! 私を馬鹿にするのもいい加減にしろ! 易しく分かりやすくお願いしますっ!」

「……」


 拳を振るわせてからお辞儀へ、滑らかな移行に思わず閉口する。

 消えかけの線香花火だってもうちょっと粘るぞ……。


「分かりやすくって、どれくらいだ?」

「猿でも……秀平でも分かるレベル! ――よりも、ちょい上までなら大丈夫だ!」

「言い直してやるなよ……」


 その上、自分の理解力のほうがほんの少しマシだと主張しているのが何とも。

 一応フォローするなら、秀平のアレはお調子者な性格を採り上げられた結果だと思う。


「じゃ、いくぞ。なるべく分かりやすく話すつもりだけど、過度な期待はするな」

「どんとこい!」

「「「よろしくお願いしまーす」」」

「増えた!?」

「増えたな……」


 同じテーブルで作業中の三年生、それと井山先輩が便乗するように顔を出す。

 他の人はともかく、料理部である井山先輩には知っていてほしかったのだが。

 未祐以外は悪ノリ半分で、見た感じ本気で聞きたそうにしている人はそう多くない。

 各自の作業に戻るよう促すと、井山先輩はスポンジケーキを見守る佐野先輩のところへ声をかけに向かった。

 ……未祐と話していると自分の声も大きくなりがちなので、聞きたければ自然と耳に入るだろう。


「はぁ……では、改めて。まずは商品上の分類な。商品名で“生クリーム”って表示がされているものは大抵、乳脂肪分だけで作られた純粋なものが該当する」

「普通だな!」


 牛乳で作られたクリームといえば、素直に未祐がイメージしていた通りのものだろう。

 問題は“ホイップクリーム”と表示されている商品のほうだ。


「対してホイップは、乳脂肪に植物性の油脂やら添加物やらが入った混ぜ物のことだ。18%以下だったかな? 乳脂肪不足で、生クリームじゃなくなる境界線は」

「そうなのか!? 添加物……体に悪そう!」

「まあ、添加物って聞くとそう思うかもだが……」


 食品添加物と一口に言っても、天然の添加物も含まれている。

 もちろん中には化学的合成による添加物もあるのだが、添加物というだけで悪いイメージを抱くのは間違いだろう。


「ホイップは植物油のおかげでさっぱりした味わいになっているし、安定剤やら乳化剤のおかげで味も香りも落ちにくい」

「む……つまり、一概に悪いことばかりではないと?」

「ああ、生クリームの劣化品とは言えないわけだ。すぐ食べるなら基本、コクがあって濃厚な生クリームを優先していいんだが。作り置きするなら断然こっちだな」


 そこまで説明を聞いた未祐は、室内に設置されている冷蔵庫へと向かう。

 中にあるいくつかの紙パックの表示を確認、首を傾げる。


「む? ここにあるのは全て生クリームのようだが……これではホイップケーキにならないのではないか?」

「そこで登場するのが、一般的な意味での分類な」

「?」


 話してばかりというわけにもいかないので、ここからは作業をしながら。

 未祐が持っている生クリームのパックを取り、中身を大きめのボウルへ。


「佐野先輩……佐野先輩!」


 それから、未だにオーブンの前に陣取る佐野先輩を呼ぶ。

 膨らむケーキにご満悦のところ悪いが、しっかり最後まで手順を覚えて帰ってもらわないと。


「はっ!? な、なに!? 亘ちゃん!」

「スポンジケーキはもう冷ます工程が残っているだけなんで、クリーム作りに行きますよ。本当は一日寝かせておくのもいいんですけど、今日はそういうわけにもいかないので」

「亘! 亘! 説明を終わらせてからにしろ! 一般的な分類だと、どう違うのだ!?」


 使うのはボウル、そしてハンドミキサーなので先程までとあまり変わらない。

 かき混ぜかき混ぜ、の繰り返しだ。


「一般的な意味でのホイップクリームは……」

「うむ!」

「生クリームだろうとそれ以外だろうと、ホイップ――つまり泡立てしたものは、全部ホイップクリームだ。だから生クリームで大丈夫」

「うむ! ……はあ!?」

「全部ホイップクリーム! ホイップクリームッ!」

「二回も言った!?」


 故に、ややこしいができ上がるものはどちらもホイップクリームで間違いない。

 ただし完成時の味には差が出るので、好みと保存期間に合わせて材料を「生クリーム」か「ホイップ」のどちらかから選べばよい。

 濃厚なほうがいいなら「生クリーム」で、さっぱりさせたいなら「ホイップ」で。

 早く食べられるなら前者、完成してから食べるまで間があるなら後者を、といった具合だ。


「ところで、例のゲームのケーキの味を憶えているか? 未祐」

「無論だ! まったり濃厚系のクリームだったぞ!」

「うん。で、佐野先輩は当日作ってケーキを弟君たちに渡すんですよね? 結論、使うのは――」

「乳脂肪多めの、生クリームを使ったホイップクリームね!」


 佐野先輩が電動のハンドミキサーを手に、答えを導き出す。

 どうやら、スポンジケーキを見つつも俺たちの話は聞こえていた様子。

 俺は黙って頷くと、ボウルの下に氷水が入ったトレイを差し込んだ。


「あ、今度は冷やすのね……こうしたほうがクリームが綺麗に泡立つ?」

「そうです。生クリーム自体も、冷蔵庫から出したばかりなので冷えて……まあ、未祐が握っていたのでちょっと温まっていますけど」

「バーニングフィストォォォ!!」

「!? やめろ!」


 ありがちな技名と共に、未祐が温度高めの手で俺の顔を掴んでくる。

 生クリームをホイップする際には、一にも二にも冷やすことが大事だ。

 温かいと脂肪分が柔らかくなり、結果的にクリーム内の空気が――と、これは知らなくても調理に支障はない。

 とにかく冷やしながら混ぜることだ。


「ふふっ……あ、亘ちゃん。こっちも生地みたいに混ぜ過ぎは駄目よね?」

「はい。初心者はミキサーを低速にして、様子を見ながら進めると失敗が減ります」

「低速か……仕方ないとはいえ、経験者がやるよりもずっと時間がかかりそうね」

「そういえば、亘。前に時間がないときにレモンを入れて……えーと、ホイップ? していなかったか?」


 未祐が意味を覚え直したばかりの単語を用い、そんなことを訊いてくる。

 前に、というのは数日前に自宅でホットケーキにホイップクリームを載せてやった時の話だろう。

 一応、今日の実習の再確認も兼ねて行ったものだ。


「よく覚えていたな。レモン汁を入れると、クリームが早く泡立つんだけど……」

「けど?」

「手動ならともかく、電動のハンドミキサーを使っているときはおすすめしない。気を付けないと、あっという間に硬いクリームができ上がるぞ? ありとなしでは、少しだけど風味も変わってくるし」

「へー。亘ちゃん、本当に色んな技を知っているのね……」

「他にも、ペクチンっていう植物由来のゲル化剤を使った――」

「ぺ、ぺく?」


 説明しているうちに、佐野先輩の手元の動きが段々と怪しくなってきた。

 話半分で聞いてくれていいのに……何だかんだで真面目な人だな。

 集中を阻害してしまっているようなので、この話は一旦切り上げるとしよう。


「ああ、大丈夫。今回は覚えなくていいですよ、そういうのは。余計なことは考えず、柔らかくてボリュームのある生クリームを目指しましょう」

「そ、そうね! こっちは一発で成功するよう、集中するわ!」

「うむ! あのケーキの生クリームは、ふわふわで雲のように柔らかい口溶けだったぞ! 頑張れ佐野ちゃん!」

「雲のよう……や、やってみる!」


 佐野先輩がミキサーの動きに集中し、何度も止めては持ち上げを繰り返す。

 ……こればかりは、経験を積んで加減を覚えるしかない。

 月並みな応援だが、俺も未祐と同じように心の中で念じる。

 頑張れ、佐野先輩。

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