勇気の後押し
時間の余裕を持って家を出た俺と未祐は、白い息を吐きながら通学路を歩いている。
まだ学校までは距離があるので、自分たちと同じ制服を見かける機会は訪れていない。
そもそも、大抵はコート着用なので見分けが付き難かったりするのだが。
「そういえば、なんでクリスマスにパーティなどをやるのだ?」
不意に、未祐がそんな疑問を口にした。
言葉が足りない感じだが、元々は日本の文化ではないだろう? ということを言いたいのだろう。
当時の日本人に、それを受け入れやすい下地があったのは前提として――
「何でって……そういう外様の文化って、大抵は企業戦略が元じゃねえの?」
バレンタイン、ホワイトデー、ハロウィンにクリスマス……うん。
後ろの二つは特に、大多数の日本人の宗教観が変なのがよく分かるな。
そして若干陰謀論染みているが、どれもこれも経済効果が大きいイベントたちである。
最初に持ち込んだのが誰なのかは分からないが、一番儲かっているのがどういう企業なのかは非常に分かりやすい。
「そうだったのか!? 夢も希望もない話だな!」
「言っておくけど、これを正しい知識として人に聞かせたりしないでくれよ? ゴシップレベルの内容だからな?」
「分かっ……分かった!」
「何で言い直した?」
不安になるなぁ、おい。
仮に誰かに話してしまったとして、それが大きく間違っていたことが発覚した場合……。
恥ずかしい思いをするのは、お前よりもむしろ俺なんだぞ?
「……ところで、未祐よ」
「何だ? 亘。改まって!」
俺は隣を歩く未祐の手元に注目した。
今朝は冷え込んだので、二人とも制服の上に防寒具はしっかりと。
手にも手袋が装着されているのだが……。
「どうしてお前、左右の手で違う手袋をしているんだ?」
未祐の右手には、茶の皮で作ったファー付きの手袋。
これは今年になってから、俺が作って未祐に贈ったものだ。
そして左手には、やや編み目が粗いピンク色の毛糸で作られた手袋。
太い毛糸で拙いながらも丈夫に作ってあるが、少しくたびれて――って。
「しかもそれ、毛糸のほう。俺が随分前、最初に作った手袋じゃ……」
「そうだぞ! どちらを着けて出るか迷った結果、こうなった!」
「どうしてそうなった……」
理由を聞いても尚、俺には未祐の思考が理解できない。
寒風が正面から吹き付け、首元を冷やして過ぎ去っていく。
うぅ、寒い……もうちょっとマフラー、きつめに巻くか?
「……それにしても、その手袋」
「いいよな! 身に着けると、手だけでなく全身がぽかぽかする感じだぞ!」
「いい、のか? 今見ると、荒い部分を手直ししたいようにも――」
「駄目だ!」
思ったよりも強い口調で拒絶の言葉を受け、俺は伸ばしかけた手を止めた。
未祐は手袋を守るように、胸元に寄せた左手を右手で覆うようにした。
「……駄目だ。これは、こうだからいいのだ。このままがいい」
「……そうかい」
ちょっと不格好で古くなったその手袋を、万事大雑把な未祐にしては丁寧に扱ってくれているのは、よく分かっている。
そこまで言われては、それ以上何も言えないし――決して悪い気はしない。
……いや、ここで気持ちを誤魔化すのは格好悪いな。
ちゃんと自分の想いを言葉にするとしよう。
「……あー、何だ。ありがとうな、未祐」
「む? 何故、贈った側のお前が礼を言うのだ?」
「まぁ、なんとなく。別にいいだろ」
「……ふふ」
すすっと、未祐が妙なステップでこちらに幅寄せしてくる。
その後、そのまま肩を何度か柔らかくぶつけてきた。
厚着をしていることもあって、痛みは全くない。
「な、何だよ? 何でぶつかってくる」
「寒いのだろう? おしくらまんじゅう的な、アレだ! 私がお前を温めてやるぞ!」
「おしくらまんじゅうって、二人でか?」
傍から見ると恥ずかしい感じになっているであろう未祐の行動に、俺は思わず周囲を見回す。
誰も見ていなかったので、結果的にそれは自意識過剰だったのだが。
非常に癪だが、確かに顔はちょっと熱くなった。
「つーか、やっぱ左右でそこまで違う手袋は変だって。柄の違う靴下を履いているくらい変」
「何をぅ!? 一周回ってお洒落に該当するかもしれないではないか!」
「ねーよ。と言いたいが、ファッションは稀に理解不能なものが流行したりするからなぁ……」
左右対称や色統一などは無難だが、つまらないという意見も分かる。
ただ、肩掛けバッグなどはともかく、対が基本になっているものは扱いが難しいと思うんだよな。
片耳だけのイヤリングとか。
それこそ、センスに依存するところが大きく……あ、そうそう。
「手芸部の件な。あれ、さっき佐野先輩にメールを返信しておいたぞ」
「何!? いつの間に!」
「ちょっと大変だけど、二人で休み時間に話をしに行こう。どっちも教室移動とかがないときに。で、昼休みには詳細を詰めて、放課後はすぐ先生方に話と許可をって感じで」
「賛成だ! 問題なく動ける限りは、早いほうがいい!」
「万事、スムーズに行くかは分からないしな……よし。それじゃ――」
「あ、あのっ!」
唐突に上がった大きめの声に、俺と未祐は足を止めた。
といっても、俺たちが声をかけられたわけではない。
発生源は……すぐそこにある公園の中から。
「――」
「――――」
おそらく、声量調整をミスしたのだろう。
最初の呼びかける声以降は、ほとんど内容が聞き取れない。
一組の学生らしき男女が、向き合って何事かを話しているようだった。
こちらから見えるのは双方の横顔で、二人の間には妙な緊張感がある。
あの制服は……隣町にある中学校のだったか?
俺が歩みを再開しようとすると、未祐が腕を掴んで引き止めてきた。
「お、おい? 盗み見は――」
「わ、分かっている! 分かっているのだが、気になって仕方ない! 少し待て!」
「……」
最初に声を上げた男子生徒のほうが決死の表情で何かを言い切り、女生徒に向けて頭を下げる。
こ、これってやっぱり……。
「うおー! 言った! 言ったぞ! 具体的に何と言ったかは分からないが、多分言った!」
「せ、せめて静かにしないか? 未祐……」
こちらに気付かれでもしたら、気まずいどころの話ではない。
周囲に人が少ないからこそ、この場所で決行に及んだのだろうし。
やがて女生徒が何事かを答え……男子生徒が目を見開く。
「ど、どうなった……?」
未祐が固唾を飲んで見守る中、二人がぎこちない動きで一歩近づき……。
これまたぎこちなく手を繋ぐと、初々しい様子で公園を一緒に出ていった。
幸い、こちらに背を向けてもう一つの出口に向かってくれたようだ。
「おおー! 朝からいいものを見たな!」
「ま、まぁ、振られるのを見るよりは全然よかったと思うが……告白云々なんて、お前にとって珍しくもないもんだろう?」
「自分がされるのと、人がされているのを見るのでは全然違うだろう!?」
「そういうもんか?」
女子の、他人の恋バナでどこまでも盛り上がる性質は俺にはよく分からない。
先程の光景とは違い、男子生徒を袖にし続けている未祐は腕を組んで楽しそうに笑っている。
それにしても、だ。
「朝に告白とは……大した男気だな、あの中学生。尊敬に値するぜ」
「む? どういう意味だ? 何で朝だと男気があることになる?」
「あの二人、同じ学校の生徒だろう? 他校ならともかく、断られたらその日のうちに学校で会うかもしれないんだぞ? 成功したからいいけど、そうじゃなかったら……」
「気まずーいっ!? な、なるほど! 放課後の告白が多いのは、駄目だったときにそのまま逃げ帰れるからなのだな!?」
「い、いや、必ずそうとは限らないぞ? 時間の余裕とか、夕方の雰囲気が味方するとか、他にも理由は色々あるだろうし」
割と酷い言い方をするな、こいつ。
察するに、体験談なのだろうな……未祐への告白が難しいことは、俺たち同校の生徒間では周知の事実だ。
だから余計に、朝なんてダメージを引きずりそうな時間に告白してくる生徒なんていないのだろう。
「――あ!」
「何だ? 急にどうした、未祐」
「そういう意味では、クリスマスが近いことによる後押しがあったのかもしれんぞ! あの少年! クリスマスパワーによる勇気の後押しだ!」
「……なるほど」
クリスマスを一緒に過ごしたいという、シンプルな欲求による後押し。
他のイベント事もそうだが、何かのきっかけを待っている男女というのは意外と多いのかもしれない。
歩みを再開した未祐は、益々楽しそうに腕を振り回す。
「では、いいものを見たところで……我々も、気合を入れて勇気の後押しを手伝うとしようではないか!」
「おーおー、綺麗にまとめようとしやがって。理世が聞いたら物凄く冷めた目をしそうな宣言だな」
「何故そこで理世が出てくる!?」
「程々までならいいけど、お前が調子に乗り過ぎると碌でもないことが起きるからな。水を差そうかと」
「人の気分に水を差すと分かっていて、やるか!? 普通!」
勇気の後押し、か。
お菓子メーカー陰謀説を鵜呑みにするよりは、よほど未祐らしいイベントの捉え方かもしれない。