イベント後処理会 その6
まず、ヒナ鳥たちがログアウト。
セレーネさん、ユーミルにリィズもそれに続くようにログアウト。
人気の減ったギルドホームの談話室で、トビがメニュー画面を開きつつこちらを見る。
「ハインド殿、そういや慈愛の腕輪のチェックは? いいのでござるか?」
「あれ、性能は純粋な回復量アップ効果だろう?」
仕様が特殊な『見切りの腕輪』と違い、『慈愛の腕輪』は数値チェックを行うだけでいいアクセサリーである。
確かに詳細な補正値に関して気にはなる……なるのだが、時間も時間だ。
「焦ることはないさ。もうすぐ次のイベントも始まるし、今日はこれで終わりにしよう」
「左様でござるか。では拙者も今宵は、これにて失礼するでござるよー」
「ああ。今日は早く寝ないと、お姉さんに叱られるものな」
考えてみれば、微妙なコンディションであれだけの回避をしたのは大したものだ。
寝不足を忘れるほど、新アクセサリーに興奮していたと言えるかもしれないが。
「い、いや、姉上は……というか、けしかけたハインド殿がそれを言うので――」
「……」
「わ、分かっているでござるよ? 分かっているから、そんなに怖い顔しないで! 明日にはしっかり睡眠不足を解消しておくでござる! ……って、宣言したらめっちゃ眠くなってきた。瞼が重い」
「ちゃんと歯を磨けよ。腹を冷やすなよ。長く寝過ぎて寝坊するなよ」
「ハインド殿は拙者の母上でござるか……? あー……うん、気を付ける。おやすみー」
「おう。おやすみ」
トビの姿が光と共に消えていく。
後には、耳が痛くなるほど静かになった談話室。
その中で自分一人だけが残る。
「……さて」
最後の一人になるまで待ったのは、何か良からぬことを企んでいる――などということはなく。
しばらくサボっていた「日課」をこなすためだ。
別にそれほど時間のかかる作業ではない。
まず、シエスタちゃんから受け取ったちょっと皺のある洋紙を取り出す。
それを参照しつつ、用途ごとにリストの中身をそれぞれのアイテムボックスに移動させておく。
彼女はソートの使い方が上手いので、それほど労せずに作業が終了。
こうしておけば、次回の持ち出しの際に余計な時間を取る必要がなくなる。
続けて、俺は倉庫に残った消費アイテムを搔き集めに――
「ハインドさん」
などと細々とした作業をしていると、リィズが再ログインしてきた。
俺のログアウトが遅かったからだろうか……?
リィズはそのことに関しては何も言わず、談話室から出る寸前だったこちらの傍まで歩いてくる。
「お手伝いします」
「悪いな」
「いえ」
こういったことは初めてではない。
次のプレイを快適にするため、少しの手間と労力をかけるこの時間。
リィズは俺が始めたこの日課を、できる限り手伝おうとしてくれる。
俺を引っ張って真っ先に一緒にログインするのがユーミルならば、最後まで一緒にいてくれるのは大概リィズだ。
「――あ、そうそう。この前のイベント中はありがとうな」
不意に、リィズに言うべきことを思い出して振り返る。
リィズは俺の礼がどの行為のことを指しているのか分からなかったのか、小さく首を傾げた。
「はい?」
「俺の代わりに、リィズがアイテム出しとかしておいてくれたんだろう?」
イベントの時の自分は、基本的に談話室から『天空の塔』に直行していた。
野良ランキングの都合でプレイ時間も伸び、日課をこなす余裕がなくなり……。
代わりにそれらの作業を滞りなくこなしておいてくれたのが、リィズであることはちゃんと分かっている。
「セレーネさんも手伝ってくれたんだって? さっき話していたよな」
「ええ。気の回る……いえ。他人の機微が見えすぎてしまう人ですから」
「……そうだな」
他人の表情一つ、仕草の一つ一つにまで敏感で、それ故に傷つきやすい。
一方で俺たちの中の最年長者として振る舞おうとしている面もあり、頼もしく思うことも増えてきた。
「セッちゃんがいると、ユーミルさんが大人しくて助かります」
「それはお互い様だろうけどな……」
繊細で優しい性格の長所と短所。
それらを極端な状態で抱えるセレーネさんは、ともすれば遠慮なしに互いを傷つけ合いかねない俺たちにとって大事な調停役となっている。
「って、照れ隠しをしなくてもいいんだぞ?」
「……何のことでしょう?」
廊下の突き当り、アイテム倉庫の扉を開きつつ俺はリィズに視線を合わせた。
とぼけた表情で目を見返してくる辺り、素直ではない性格が如実に表れている。
……自分から甘えに来る時は、駆け引きをかなぐり捨てて真っ直ぐ来る癖に。
「素直に礼を受け取ってくれよ。細かいところに気が回るのは、セレーネさんだけじゃないだろう?」
「……」
手近なアイテムボックスからチェック……うわ、酷いなこれは。
ボックス内には初級ポーションが数個、物悲し気に転がっているだけだ。
転がっているというのは比喩で、ボックスの中は異次元空間なのだが。
以前はページを跨いでずらっと並んでいたアイテム項目が、1ページどころか三項目ほどに収まってしまっている。
これでは、TB初心者のアイテム所有量とあまり変わらないレベルだ。
「リィズが毎日、かかさず談話室にアイテムその他を補充してくれたおかげで、腕輪が取れたんだ。トビの指輪もな」
「……楽しかったですか?」
細かいところで言えば、野良でのバトルは楽しいばかりではなかった。
それでも全体で総合的に見ると楽しかったし、最後に組んだ例のパーティは最高だった。
だから、俺はリィズにこう答える。
「ああ、お前のおかげだ。例の薬も役立ってくれたし、改めてありがとうな」
「あっ……」
そう言いつつ、別のアイテムボックスの前に移動しつつ軽く小さな肩を叩く。
すると、リィズは照れたように帽子を深く被り直した。
リィズはこちらから率先して褒めると、こうやって狼狽える可愛いところがある。
「そ、その……普段、兄さんがやっていることを少し代行しただけなので……」
「何も言わなくても、黙ってやってくれただろう? そういうの、凄く嬉しいんだよ。してもらった側は」
「は……はい……あの、えっと……」
口元がふにゃふにゃしていて、いつもの明瞭な口調は見る影もない。
俺の呼び方も現実サイドのほうになってしまっているし。
これ以上はリィズが正常な状態に復帰できなくなりかねないので、程々にしておく。
「しかし、本当に回復アイテムの残量が酷い……ま、ほとんど俺が使ったんだけど」
「すー、はーっ……ん、んんっ! そ、そうですね。また大量に消費するイベントが来ないとも限りませんし、備蓄を作っておく必要があります」
「他のプレイヤーから買うのも、今は難しいだろうしな……」
「アイテムを大量消費したのは、何も私たちだけではありませんしね。取引掲示板を見ずとも、価格が高騰しているだろうことは容易に想像できます」
段々とリィズのペースが戻ってきた。
今の回復アイテムは完全に売り手市場……雑談掲示板でも、イベントの中盤辺りから回復薬の調達に関する話題が多かったそうな。
俺たちは自分で生産できるし、あわよくば市場が落ち着く前に売り手側に回れると最高だ。
「……いい機会だ。単に備蓄を作り直すんじゃなく、生産力の見直しなんかもできるといいな」
「肥料改善や品種改良などですね」
「うん。止まり木と連携して、俺たちにできることを模索したいところだな――お、中級残ってた」
話をしつつも作業は進み、アイテム整理とインベントリへの持ち出しが終了。
後は、談話室のアイテムボックスにあるだけ放り込んだらログアウトだ。
「……では、ハインドさん。明日からは、生産環境の改善に取り組みましょうね」
「ああ。回復アイテムは止まり木だけじゃなくリィズの領分でもあるし、何か思いついたら遠慮なく言ってくれよな」
「TBの生産システムは、現実のものに則している部分が多いですよね? でしたら、図書館で――」
リィズの話を聞きながら、アイテム倉庫の扉を閉める。
俺とリィズがログアウトしたのは、それから五分ほど経った後のことだった。
「……?」
目を開ける前に感じたのは、頬にかかる柔らかな風。
その風は、ほんのり温かく甘い香りで……。
と、そこまで考えたところで慌てて目を開く。
ここは室内だぞ!?
ログイン前にしっかり戸締りもしたはずだなんだが……この風、一体どこから――
「兄さん」
俺よりも先に覚醒したらしい理世が、極至近距離でこちらを見つめていた。
近くには理世のものと思しきVRギアが転がっている。
「近っ!? 何してんの、お前!?」
「ふふっ……」
どうやら一度ログアウトした後、わざわざ俺の隣で再ログインしていたらしい。
お人形のように整った顔で、理世が息のかかるほど近くで悪戯っぽく微笑む。
攻守交替とばかりに擦り寄ってくる妹に、俺は降参のポーズを取りつつ慌てて立ち上がるのだった。