津金家の姉弟
放課後。
休み時間に細切れながらも何度か寝て、多少は顔色がよくなった秀平。
その秀平と、学校から真っ直ぐ自宅のある町内へと下校中だ。
「お前の家に行く前に、家に寄ってもいいか?」
「わっちの? いいけど、何すんの?」
俺の家と秀平の家である津金家は、それほど距離が離れていない。
急ではあるが、三十分ほどあれば――
「あ、何すんのかわかった! だったらさあ……」
「うん?」
何事かを察したように、不意に指を鳴らす秀平。
その後、半ば強引にとある提案を推し進め……。
「……」
気が付くと、俺は津金家の台所で料理をしていた。
作っているものの手順は簡単、材料を全て混ぜて焼くだけだ。
材料は小麦粉、卵、牛乳、砂糖にバター、重曹にベーキングパウダー。
それを熱した金型に流し込み……プレス。
「「おおー」」
男女でありながらよく似た響きを持つ声が、後ろのテーブル付近から同時に上がる。
俺は材料の入ったボウルを置き、火の調節をして振り返った。
「後は焦げ付かないように気を付けつつ、焼き上がりを待つだけです」
「すごいすごい。重曹とかベーキングパウダーとか、何だか本格的」
普通だと思うが……と、今声を上げたのは秀平のお姉さんの響子さんだ。
大学生なのだが、早めの冬休みに入ったため帰省しているとのこと。
秀平と同じく――いや、それ以上の美形で、街中で会えば多くの人が注目するであろう容姿だ。
姉妹の中では末妹で、性格は――
「姉ちゃん、料理しないから……重曹もベーキングパウダーも、割と普通じゃない?」
「へえ……」
「いだだだだ!?」
……ちょっと攻撃的か。
手の甲を抓られた秀平が涙目でのたうち回る。
「あんただって、料理、できないでしょうが!」
「いだい、いだい! すみませんでしたぁ! 偶にわっちの買い物に付き合うから知っていただけですぅ! にわか知識ですぅ!」
「正直でよろしい」
しかし、姉妹の中ではマシなほうらしい。
唯一自分の下の姉弟ということで、これでも響子さんは秀平のことを特に気にかけて可愛がっている。
上のお姉さんたちはもっと強烈で、攻撃性も容姿も頭のキレも凄まじく……並の男では釣り合わないのか、姉妹の中で既婚者はまだ一人だけだそうだ。
「本当、凶暴なんだから……罵倒で済ませてくれる理世ちゃんが可愛く見えてくるよ……」
「何か言った?」
「何でもないであります! 姉上!」
喧嘩するほど、がそのまま当てはまる姉弟に口元を緩めつつ、俺は金型をひっくり返す。
すると僅かに空いた金型の隙間から、甘い匂いが周囲に漂い始める。
津金家の台所なので、ちょっと勝手が分からないところもあるが……どうせなら、できたてのお菓子を! という秀平のリクエストなので仕方ない。
というか、お菓子はお前への礼ではなく響子さんへのお礼なのだが。
「んー、いい匂い。お母さんがこの前ホットケーキミックスで焼いてくれたんだけど、あんまり上手に焼けていなくてねー」
「材料はホットケーキミックスでも大丈夫ですよ。問題は材料よりも、こっちの金型ですよね……何で電動のワッフルメーカーじゃないんですか?」
この金型、フライパンのような取っ手が付いた火で炙るタイプのものだ。
慣れていなければ火加減が難しく……焦がしたり生焼けだったりと、失敗作を量産することになりかねない。
ガスの量を再調整してから首を傾げる俺に、答えたのは秀平だ。
「ウチの母ちゃん、見栄っ張りだからさぁ……わっちも知ってるでしょ?」
「ま、まあ……そうか。そういうことか……」
他人様の母親のことなので、とても頷きにくい。
しかし、浪費癖というほど酷いものではないものの、このキッチンには使われていない専門的な調理器具や食器が少々目に付く。
調味料も……何だこれ? 封が開いていないまま賞味期限が切れてら。
キッチンは非常に綺麗なのだが、こういった未使用だったり使いこなせていなかったりする物が点在している。
鉄板系に絞ってもたこ焼き用、たい焼き用などなど、多様な型が……。
「……また出たんだ、お母さんの病気」
どうやら、響子さんもこのワッフルの金型購入については初耳だったらしい。
人から譲られたものだとでも思っていたのだろう。
むしろ、秀平のお母さんに色々と譲ってもらっているのは俺のほうで……。
「俺はとても助かっていますけどね……使わなくなった調理器具を色々と頂いているので。スパムカッターとか、高価な低温調理器まで……」
「調理器具たちも遊ばせておくより、わっちに使ってもらったほうが幸せだって。こうしておやつも作ってくれているんだし、気にしない気にしない」
「……お母さんの分も、後で何か作っておくな」
「うんうん。お母さん、亘ちゃんのお菓子なら何でも喜ぶと思うな」
貰った分はお返ししなければ。
さすがに材料費はこちら持ちということで押し切ったし、多めに持ち込んだのでワッフル以外のものにも対応可能だ。
「そんなことより、亘ちゃん!」
「そんなことって」
「ワッフル、そろそろじゃない? いい匂いが増してきて……」
「おっと」
響子さんの指摘を受け、金型を開いてみる。
すると、程よい狐色のワッフルが中から甘い匂いと共に顔を出した。
どうやら、最初の一つ目は上手く行ったようだ。
二人の喜びの声を受けつつ、更に乗せて完成品を差し出す。
……その後、俺はリクエストに従いどんどんワッフルを焼いていった。
「うーん! 愚弟を早く寝かせて早く叩き起こすだけでこのご褒美! 二重の意味で美味しい! ありがと、亘ちゃん!」
「いえいえ」
よほど焼き立てが美味しいのか、響子さんはワッフルの刺さったフォーク片手に上機嫌だ。
そのあんまりな言葉に、秀平はバツの悪そうな顔になる。
「姉ちゃん……ぶっちゃけすぎるにもほどがあるよ……」
「大体、友達の生活を心配して家族にお願いなんて……こんな子、そうそういないんだからね? 大事にしなさいよ」
「ぐっ……よく考えてみたら、確かにめっちゃおかしい。普通なら、家族が心配してくれる類のことなのに。しかもわっち、そのお礼になんて来ちゃうし……あべこべもいいとこだよ」
「そーよう。あんたには勿体ないくらい。わたしにちょうだい!」
「姉ちゃんにはやらん! それこそ勿体ない、貴重なわっちが!」
「あんた……」
その取り合いは何かおかしくないだろうか。
リアクションしづらいし……俺は困った末に、睨み合う姉弟に追加の甘味を投下することにした。
「まあ、何だ。とりあえずワッフル食え」
「もごっふ!?」
これ以上険悪になるのも何だったので、俺は秀平の口に新たに焼いたワッフルを捻じ込む。
目を白黒させる秀平だったが、やがて咀嚼を始め……。
今度は目を見開くと、モゴモゴと口の動きが激しくなる。
「うめえ!? 母ちゃんが焼いたのと全然違う! 表面カリッカリ!」
以前、そっくりな言葉を秀平の口から聞いた気がする。
だから、改めて俺も言いたい。
お前はもっと母親に感謝しろ。
「先に出してくれたフワフワ系も美味しいけど、今焼いてくれたカリカリ系がまた……」
「そっちは表面にメープルシロップを塗りながら焼いています。シロップ付きは甘いので単品で、普通のほうは甘さ控えめにしたので……何かトッピングするのがおすすめですね」
「アイスとか、生クリームとかね! 家にあったかしら?」
「ズズ……どっちも乳製品じゃん……まな板の癖に……」
「ふんっ!」
「ぶっ!? 紅茶が!? あっちぃぃぃ!!」
口は禍のもと、とはこのことか。
服などにはかからないよう計算された背中への殴打だった。
恐ろしい……。
「まな板だから乳製品を摂るんでしょうが! この馬鹿弟!」
「もう諦めなよ! 年齢的に無理だよ! 乳製品がいいなんて科学的裏付けもないし!」
「そうやって姉の希望を打ち砕いて楽しいの!? いい加減に――って、秀平あんた。目の下に隈がない?」
「えっ? さ、さあ? ナンノコトカナー?」
「見せなさい!」
滾らせていた怒りの種類を変え、響子さんが秀平の顔を両手で挟む。
必死に目を逸らす秀平だったが……。
「眼、充血しているじゃない……昨日、22時にはもう寝るって言っていたわよね?」
「あ、いや。それはイベントが……」
「嘘ついたのね? ……亘ちゃん。そのイベントって、何時までだったの?」
「23時ですね」
「ちょっ!?」
裏切られたような顔をする秀平だったが、この件に関して嘘はよくない。
お前のためにも。
「しかもこの顔色……23時に終わって、すぐ寝たっていう感じでもないわね? 朝、早く寝た割には随分と起きるのがしんどそうだったから、おかしいと思っていたのよ。何してたの?」
「そ、その……」
「白状なさい!」
「ね、ねっとのけいじばん、を……」
「……あ?」
「すみませんでしたぁぁぁ!!」
椅子の上で器用に土下座のような体勢を取る秀平。
やけにスムーズにその体勢に移行したので、きっと普段からこうなのだろう。
謝る秀平に対し、むすっとした様子で「今日は早く寝なさい。今度は絶対よ!」と許す響子さんは……。
やはり、どこまでも弟が心配なだけの普通のお姉さんだった。