鏡の回廊 その4
現在地、天空の塔・299階。
そう口に出すのは簡単だが、ここまで本当に長かった。
目の前にある大きな階段を上り切れば、いよいよ区切りの300階。
階段付近はこれまで以上に装飾が豪華で、いかにもといった雰囲気が漂っている。
「いよいよ300階だな……みんな、準備はいいな!?」
ユーミルが振り返らずに階段の先を見据える。
そして一歩、一段目の階段に足をかけて剣の柄に軽く触れた。
気合十分、といった様子で今にも駆け出しそうだ。
「……では、行――」
「――っと、ちょっと待った」
「ひゃっ!?」
「あ……悪い」
止めるために手を伸ばしたのだが……掴むところを間違えた。
肩に触れるつもりが、階段で高さが変わったせいで脇腹辺りに触れてしまう。
「へ、変な声が出たではないか!」
「ごめんって。それよりも……」
「それよりも!?」
「忘れずに、携帯食料を齧っておけよ? 複合バフは材料的にも状況的にも無理だから、各自対応した肉なり魚なり。持ってきているよな?」
「はい」
「承知!」
「う、うん」
「おい! 私を無視するな!」
俺の指示を受けて、各々が携帯食料を口に入れる。
ボスが出るのはほぼ間違いない以上、少しでも料理バフでステータスを上げておいたほうがいい。
当然ながら、スタート時に食べた料理のバフはとっくに効果が切れている。
「大体、今のタイミングで水を差すか!? 普通! もう完全に先に進む感じだったろうが!」
ユーミルの言葉に、俺は眉を寄せて頭を掻いた。
そんなことを言われてもな……。
「事前準備は大事だろうが。290階までと違って時間に急かされることもないんだし、ここはしっかり体勢を整えようぜ」
「む……だが、勢いだって大事ではないか!? 士気にかかわる!」
「それは否定しないが」
他ならぬユーミル自身が、勢い次第で強くも弱くも化ける存在だ。
しかしながら、勢いで乗り切るにしてもそれは万全な状態あってのこと。
「普通のRPGでも、ボス戦前には回復とかするだろう?」
「しない! 直前の戦闘で済ませておけ!」
「そりゃ、それができていればもちろんいいが。でも、できていなかったら回復、それを終えたら念のため装備の確認もして、アイテム残量を確認して交換とか整理……するだろう?」
「まどろっこしい! しない!」
「セーブができる仕様ならもちろん、向かう直前でセーブをしてだな――」
「それ、いつになったら戦いに行くのだ!? 長い! 長すぎる!」
「長くねえよ! 最低限だろ、これでも! 万全な状態にしてからセーブしたほうが、結果的に早いんだよ! 色々と! 昔のゲームのボスのシビアさと理不尽さを知らんのか!?」
ボス戦が近いことを悟ると、そうやって身構えてしまうのはゲーマーの性というものだろう。
そんな俺たちのやり取りに、トビがにやけた顔で口を挟んでくる。
「あれでござるな。ハインド殿は、ボス戦前にしっかり時間を使うタイプ」
「ああ。しっかりって言っても、無駄な手順は踏んでいないつもりだぞ? できるだけ初見クリアするための知恵だ」
大見得を切って突撃していった主人公たちが、返り討ちに遭うのが耐えられないだけだ。
ストーリーを追う上でも、不必要な敗戦を挟むと何だか微妙な気分になるし……これ、そのまんまユーミル相手にも適用できる理論かもしれないな。
あいつが負けるところを、俺はなるべく見たくないのだ。
だから口うるさくもなる。
「まあ、確かに慣れたゲーマーなら普通の行動でござるな。拙者も当たり前にやっていることでござるし。対してユーミル殿は、ボス戦だろうと気にせず突っ走り……」
「うむ!」
「あっさり負けて、かなり前のセーブポイントに戻されるタイプと」
「なあ!?」
うんうんと、俺とリィズがトビの言葉に頷く。
実際、似たような現場を二人で何度も見てきた。
思い当たる節があるのだろう、トビに睨みを利かせていたユーミルは……。
「……」
やがて小さくなると、そのまま大人しくアイテム確認を始めた。
ちょっと可哀想なので、元気が出るよう干し肉を口元に近付けてみる。
「あぐ……むぐむぐ」
素直に口にして咀嚼するユーミルのHP・MPを、残り少ないポーションを使って回復していく。
アイテム残量と回復量との兼ね合いで、どうしてもフル回復とはいかないが……これで不安なく戦える。
自分の少しだけ減っているMPは、戦闘が始まってからチャージで補うとして。
アイテム配分を念入りに調整しつつ、みんなのMPも回復。
よし、これでおおよその準備は大丈夫なはずだ。
あとは――
「あとは、セーブだな……あれ、おかしいな? セーブの項目がメニューの中にない」
「うぉい!? しっかりしろ、ハインド! オンラインゲームには基本、やり直しがきく途中セーブはないぞ!?」
俺の肩を掴み、前後に揺さぶってくるユーミル。
ははは、何をするんだ。
そんなに揺らすと、すぐに酔って吐いちゃうぞ?
「再開していきなり目の前に階段だと危ないから、一歩下がった位置でセーブするのがいいな? どれ、この辺かな……」
「あ……私もそうやってセーブしていたよ。一歩で入れる地点からだと、何だかちょっと怖いよね」
「乗っかるな、セッちゃん! 常識人のセッちゃんまで乗っかったら、余計に事態が混迷するだろうが!?」
「コントローラーが誤作動して、勝手に突入しちゃったことがあるんだよ……しかも、ノーセーブの状態で。その経験をしてからは、必ず――」
「おーい、セッちゃん!? 私の声、聞こえているか!? 誤作動しているのは、セッちゃんの耳のほうではないのか!?」
「――はっ!? ご、ごめんね、ユーミルさん! ……ハインド君、しっかり! セーブの項目も、セーブポイントもTBにはないんだよ!? オートセーブだよ!」
ボスフロアへの入り口に対して、無駄に真正面になるようキャラクターの位置を調整してからセーブ……なんて、そんなことをしていた記憶が蘇る。
人によっては分かってくれるだろう、この感覚。
と、俺がこんなおかしなことを言い出したのには一応理由がある。
「だってよ……俺だって、気軽に挑戦できるものならここまで言わないさ。でも、あまりに重いって。今イベントの、一回の挑戦にかかるコストと時間。想像していた以上だ。本当、セーブできるものならしておきたいよ」
「ハインドさんのお気持ち、分かります。回復アイテムは、念のためにと持ってきた貴重品までほとんど使ってしまっていますし……」
「装備の耐久値も、段々と苦しくなってきたね……携帯できる整備アイテムも、もう底を尽きそうだよ」
「それに、夜も大分更けてきたでござるなぁ……というか、ぶっちゃけ深夜だし。拙者、段々と――」
「言うな! 自覚すると睡魔が一気に襲いかかってくるぞ! ――ええい、お前たち!」
ユーミルが最後尾に回り、俺たちの背をぐいぐいと押し始める。
特に強く押された俺は、ややつんのめってその場でたたらを踏んだ。
「もうひと踏ん張りなのだから、ここで気を緩めるな! ネガるな! 要は、一度の挑戦で突破すればいい話ではないか! い・く・ぞー! 気合を入れ直せぇぇぇ!」
「「「うぇーい……」」」
「う、うーん……私たち的には、今みたいにリラックスした状態がベストコンディション……なのかなぁ?」
セレーネさんのその言葉を最後に、俺たちは299階を後にした。
ややあって、300階へと足を踏み入れた俺たちの前には、二人に増えたユーミルが再度登場。
291階のように、ユーミルが目を細めて増えた己の姿を確認しようとする。
「何だ!? また鏡か!?」
「いや……違う!」
ただし、今度は鏡に映った虚像ではなかった。
鏡の一部が次々と割れ、鍛冶師の格好をした眼鏡の弓術士が。
紫紺の衣服を見に纏った小柄な魔導士が、覆面の忍者が、白装束の神官が次々と現れる。
「ぬあっ!? 私だ!? 私があそこにいる!」
最も大きなリアクションをしたのは、ユーミルだ。
ゲーム慣れしていてこの展開が予想のうちだった俺たち三人、そして冷静沈着なリィズはあまり動じない。
「失礼な鏡ですね。私の背はもう少し高いはずです」
「わ、私もウェストが……もうちょっと細いといいなぁ、なんて……」
「さすが拙者……やはり忍者衣装が決まっているでござるな! かっちょええ!」
「何か俺だけ、最初からちょっとくだびれていないか? コピー体なのに」
「お前たち!? そういう問題か!?」
そいつらは、現れるなり武器を構えてすぐさま臨戦態勢へと移行。
コピー体の姿はやや透けている上に白い光を纏っているので、乱戦になっても誤認やFFの心配はなさそうだ。
「……どうやら、自分たちの分身が300階層の相手みたいだな。鍛錬施設って側面があるらしい、塔の区切りとしては相応しい相手かもしれん」
「291階からのくどいくらいの鏡推しは、こういう訳でござったか!」
「来るぞ! 私たちも武器を!」
システム側でボス登場と戦闘スタートの合図が入る。
二つのパーティは、その合図と同時に一斉に動き出した。




