鏡の回廊
300階には、何かがある。
そう思わせてくれるには充分なほど、291階からは内部の様子が違っていた。
ユーミルが二人に分裂し、手と手を合わせる。
「お? おお?」
右手、左手、両手。
笑顔に変顔、そして何故か睨みを利かせての威嚇。
二人のユーミルは、全く同じ動きを繰り返す。
「鏡……? 鏡か!」
「時間かかったな、結論出すまで……」
「そうは言うが、ハインド! 仕方ないだろう!?」
そう言って、ユーミルが辺りの壁を示す。
周囲の壁は一面、鏡で覆われている。
増えたユーミルは、単に鏡に映っていた姿に過ぎない。
「壁が全て鏡だぞ!? 一瞬、広間に出たかと思った!」
「空間に奥行きがあるように見せる効果があるんだってよ、実際」
狭い店舗や部屋で使われることもある手法だ。
ただ、そこはゲームの中の世界。
普通の鏡と違う点は多々ある。
「頑丈そう……というか、やけに触れている感覚が薄いな」
「移動不可の見えない壁とかに近い感触だな!」
「あー……フィールドボスを倒す前の、エリアの境界にあるやつな」
触れると、まるで水面のような不思議な波紋が広がっていく。
更に驚くべきことに、鏡には一切の継ぎ目がない。
通路の奥へ奥へと繋がる、途方もなく巨大な一枚の鏡……。
「しかし、鏡なのは横の壁だけでござるかぁ……残念」
「……? 何だよ、トビ。全面鏡張りがよかったとでも言いたいのか?」
天井と床に関しては、相変わらずの純白模様な内装のままだ。
相変わらず汚れ一つなく、じっと見ていると距離感が狂いそうになる。
今まで以上にマップに頼らないと、現在地をあっという間に見失いそうだ。
「……本当に分からないのでござるか? ハインド殿。男なのに?」
「……は?」
男なのにって……。
そう言って笑うトビの顔はいつも以上に、ちょっと口には出せないような類のもので……。
女性陣がそれを察し、不快感を示し始める。
いや、本当は俺も分かっている。
だが――
「待て、トビ! それ以上は言うな! 言うんじゃない!」
「下まで鏡張りなら、女子のスカートを覗きほうだ――」
「オラっしゃぁ!」
「ほぶぅ!?」
携帯していたパンを口に捻じ込むという荒業で止めたものの、時すでに遅し。
覆水盆に返らず、放った言葉は戻らない。
場の空気が凍り付く中、俺はパンを口に目を白黒させるトビの横で頭を下げた。
「……すまん」
「どうしてハインドさんが謝るのか、分かりかねますが……と、止めに入ることができたということは、その……」
恥ずかしそうにするリィズの姿に、トビがパンを咀嚼しながらスクショ機能を構える。
するとリィズの表情が反転、その後トビがどうなったかは言うまでもない。
「む、むう……その発想には普通に引くが……」
「だろうな……」
「で、でも、ユーミルさん。恋愛経験がない私が言うのも変だけど、男の子ってそういうものだと思う……よ?」
セレーネさんの精一杯のフォローに、ユーミルはあっさり頷きを返す。
別にそれは構わない、という感じだ。
実行に移さなければ、だろうが。
「それはいいのだ。女子のほうが品のない話をしているときもあるし」
「そうなのか?」
「そうなのだが、そうではなくてだな? さっき、ハインドのことを飴配りおじさんと言っただろう?」
「その称号は今すぐ返上するからな。いらん」
「まあ、聞け。おじさん……いや、オッサン的なのはハインドではなくトビのほうだったと、今のやり取りを見て思ってな」
ユーミルが唱えた説に、その場の空気が先程とは違った意味で固まった。
やがて、非常に珍しいことにセレーネさんが明確に賛同の意を表する。
「……確かに、そうかも」
「何ですとっ!?」
パンを完食したトビが、リィズのプレッシャーから逃れるように叫ぶ。
そして苦し紛れにこう述べる。
「拙者だけではないでござろう!? ハインド殿も同じ穴のむなじ……あれ? くじら?」
「狢、な。何で惜しかったのに遠ざかるんだよ。動揺し過ぎだろう」
「むじなでござろう!」
無論、自覚はある。俺だって男だ。
しかしながら、ユーミルは目を閉じ肩を竦め首を左右に振る。
やれやれ、分かっていないなと。
「残念だが、トビ……それを口にしてしまうかどうかが、オッサン判定の分かれ目だと私は思うぞ!」
「っ!?」
びしりと、指を突き付けられたトビが衝撃を受ける。
そのまま、ぐうの音も出ないといった様子で黙り込んでしまう。
「ちなみに、言うまでもないが見た目云々ではなく品性の話だからな?」
「私も同意です。下品です」
「ウケないと分かっている親父ギャグを我慢できないのと一緒かもな……」
「ば、馬鹿なぁ!?」
拙者がオッサン……オッサン……と呟きつつ、地面に手をつくトビ。
さすがに気の毒に思ったのか、セレーネさんが何かフォローをと慌てる――が、トビは即座に立ち上がって膝を叩いた。
「ま、それはそれとして!」
「お前の精神構造、時々酷く不可解に思えるんだが……何だ?」
引っ張るのもどうかと思う話題なので、切り替える意味も込めて問いかける。
トビは、リィズと俺を見て一言。
「お二人、MPチャージはどうしたのでござる?」
リィズと二人、顔を見合わせる。
もちろん、非常に大事なことだ。
忘れていた訳ではない。
「それが、さっきからチャージ不可みたいでな」
「自然回復も止まっている模様です。スキルWTのカウントもそうですね」
「MPチャージのポーズを取ってみたら、何も起きなくて恥ずかしい思いをしたのは内緒だ」
「言っちゃっているではござらんか!」
俺もリィズのようにさりげないポーズにしたほうがいいかな、という思いを強くした瞬間だった。
リィズしか見ていなかったからいいものの。
「うむ。あれは傑作だった! な、セッちゃん!」
「慌てて取り繕うハインド君、ちょっと可愛かったよね……」
「あれ!?」
おかしいな、トビ以外のメンバー全員に筒抜けとは……。
見ていたのなら、何か言ってくれたほうがまだマシだったような。
「そ、それはそれとして!」
「あ、拙者の台詞がパクられた」
「待っていても敵が寄ってこないし、どうもこの階からは仕様が違うみたいだ」
「だから長々と喋っていられたのでござるな?」
「私たちがダラダラお喋りプレイなのはいつも通りだがな!」
しかし、このまま立ち止まって喋っていてもは先に進めないので……。
喋りながらも、移動を開始する。
全ての回復関係が停止している以上、アイテムを消費しなければ回復は不可能。
だったら心の準備ができ次第、あとは進むだけだ。
「……むっ? 今度こそ広間……だな!」
先頭のユーミルが周囲を見つつ、そんな声を上げる。
相変わらず、鏡があるので広さの把握は難しいが……。
鏡張りの廊下を進み始めてすぐに、俺たちはその場に行き当たった。
ユーミルの後ろに続く俺たちは、その部屋を見てある感想を抱く。
「これって、ボスフロア……だよな?」
「まだ291階でござるよ? まさか……」
「……察しがつきました。と、いうことは――」
口々にそう言った直後だった。
通って来た通路の真正面、鏡に亀裂が入り……。
六枚羽を持つ『上級天使・レプリカ』が二体、鏡を割って広場に舞い降りる。
「こ、ここからはボスラッシュ……かな?」
セレーネさんが困り顔でそう結論を出したところで、天使が槍を手に襲いかかる。
これで道中、迷う心配はなくなったようだが……いきなり二体とは、随分な出迎えだな。
塔攻略の終わりが近いことを感じさせる変化に、剣を抜き放ったユーミルがこれまで以上にオーラを激しく光らせた。




