天界からの迷い神
「あ、あら? 何かしら、この状況……」
プレイヤーが持ち得ない、騎乗できる大きさの動物に乗った妙齢の女性。
シエスタちゃんと同じくらい毛量のある豊かな髪が、急制動によってふわりとその背に落ちてくる。
『塔の衛兵・小隊長』は攻撃を停止、そして俺たちも呆気に取られ静止中だ。
「あ、そのう……お邪魔、しました?」
ノクスとマーネの二羽を気にしつつも、アニマリアが騎乗したユニコーンと共に踵を返す。
壊した壁の中に、その姿が消えそうになったところで――
「はっ!? ま、待って! 待ってください!」
我に返り、慌ててその背を引き留める。
視界の中は沢山の警告表示で既に真っ赤だ。
装備・所持金は有事のことを考えて軽くしてあるが、できるだけ全滅は避けたい。
「戻るな、戻るな!? いや、戻らないでくれ! 迷子なのだろう!?」
「っていうか、助けてください! ぜぇ、ぜぇ……あなたがいなくなったら、敵の天使が動き出しちゃう!」
あのシエスタちゃんも含め、必死に去ろうとする女神を引き留めた。
見るからに穏やかそうなアニマリアは、俺たちの声を聞き入れ振り返る。
そして、シエスタちゃんのほうに視線を数秒固定。
「何だか分からないけれど、困っているのね?」
「はいー! 超困っていますよ! カムバック、アニマーリア! へい、へーい! 世界は君を待っている!」
「し、シエスタちゃん……」
「こういうときだけは、声も大きいし早口なのだな……」
シエスタちゃんは、これ以上の面倒は御免とばかりに必死に畳みかける。
アニマリアはニコニコと、ユニコーンらしき動物から降りつつ近付いてくる。
「そうねえ……髪型が似ているよしみもあるし……」
「何の関係があるか分かりませんがー! この天使たちを何とかしてくれると助かりますねー! 助かっちゃうなぁー! 神パワー的な何かで!」
「ふふ、いいわよ。久しぶりに、直接会った人の子だものね」
上機嫌にアニマリアが応じる。
……もしかしてこの女神様、頼りにされると弱い性質なのか?
「天使ちゃんたち、ここはいいわ。お下がりなさい」
アニマリアが手を掲げて命を下すと、衛兵たちは通路の向こうへと消えていった。
戦闘状態が解除され、危険を告げる警告が薄くなっていく。
「おお……! あっさりと!」
「さすが女神様……」
「危機は脱しました……ああ、声を張ったせいで喉が痛い……ありがとーございまーす、女神様……」
「まあまあ、そんな……照れちゃうわね」
まだ短いやり取りしかしていないが……。
アニマリアは神獣選手権での印象を裏切ることなく、おっとりした性格のようだ。
……念のため、MPチャージとできるだけの回復はしておこう。
天使の管理が戦闘神と動物神で違うとかで、無効にされないとも限らない。
アニマリアの力によって安全地帯と化した戦闘階層の一画。
あの後、そこで俺たちはアニマリアが姿を眩ました理由について訊いていた。
相変わらずおっとり、ゆっくりな口調なので時間がかかったものの……。
要約すると、原因は不慮の事故らしい。
「え? 散歩中に落ちた?」
普段は天界と人間界の間にあるらしい、この『天空の塔』。
天空といっても空に浮いている訳ではなく、地上からは視認不能な次元を隔てた場所にあるとかどうとか。
そんなややこしい場所に、うっかりで落ちたアニマリア……。
会ったばかりで失礼かもしれないが、これは天然認定してもいいんじゃないだろうか?
「お恥ずかしながら……」
頬を染めるアニマリアに、俺は思わず見惚れそうになる。
ゲームなどでは非常にありがちではあるのだが、TBも例外ではない。
神、そして魔人に属する人物は非常に美形が多く……っ!?
「……」
ユーミルに小突かれたところで、俺は正気を取り戻した。
そのまま小声で、怒気を含んだ言葉を耳元にぶつけてくる。
「……おい、また年上系か!? やはりそうなのか!? なあ!」
「ち、違う!? これはそういうんじゃない!」
ついつい目を奪われてしまっただけで――あれ、違わないのか!?
……と、とにかく、自分の好みかどうかという観点では見ていない。はずだ。
何せアニマリアの背からは後光が、その身からは金の光の粒子が飛び散っている。
それら視覚から入る情報が「神様です!」と全力で主張してくるのだから、容姿云々という話を抜きにしても目が行ってしまうのは仕方ないだろう。
「神様って、飛べるんじゃないんですか?」
俺たちのやり取りをよそに、シエスタちゃんがアニマリアに問いかける。
アニマリアは恥ずかしそうな顔から困り顔にシフトさせると、やや答え難そうに応じた。
「人の子たちと一緒ですよ? 私は、その……ね?」
得意ではないらしい。
だからこそ、飛行可能な動物に騎乗していたのだろう。
「私はってことは、やっぱり飛べる神様もいるんですねぇ」
「得意な神もいれば、苦手な神もおりますよ。神それぞれです」
「神それぞれ……?」
「ま、まあ、人ではないから表現としては正しい……と、思う」
まだプレイヤーが知り得る神が二柱だけなので、想像が難しいが。
言われてみれば戦闘神はなんとなく、飛ぶのが得意そうな気がする。
――と、アニマリアが乗っていた馬型の獣が小さくいななく。
シエスタちゃんがそれを見つつ、疲れを隠さない顔で口を開いた。
「それにしても、彼……彼?」
「彼女、ですよ。女の子です」
「それは失礼をー。で、その彼女、落ちたアニーを拾いに行けるなんてすごいですね」
アニー!? と、俺とユーミルは馴れ馴れしいシエスタちゃんの呼び方に気が気でない。
しかしアニマリアは、気にするどころか笑顔でそれを受け入れる。
「すごいでしょう? つぶらな瞳に、艶やかなたてがみ……力強さとしなやかさを共存させた体躯と、知性を感じさせる落ち着いた佇まい……そして何よりも、それらを素敵に裏切るキュートな鳴き声! 可愛いわ!」
「まー、それらを踏まえた上で」
「今の長口上に対してそれだけって……動じないね、シエスタちゃん……」
「空も飛べるうえに、次元も越えられるんですかー……このユニコーンちゃんは」
「ユニ……?」
頬に手を当て、不思議そうな顔をするアニマリア。
釣られてシエスタちゃんも首を傾げ、俺とユーミルも似たような動きを返す。
その場が疑問符で埋め尽くされた、その直後。
――バサッという音と共に、天使によく似た羽が馬型動物の体から出現する。
「おー、こりゃまた失礼をー。ユニコーンではなく、ペガサスでしたか」
「あら……ごめんなさい、勘違いしていたのね。そうです、この子は神獣・ペガサスちゃんです!」
うふふ、あははーと笑い合う似た髪型の二人。
どうやら会話の波長も合うようではあるが……。
ユーミルと俺は、それどころではない。
今、アニマリアの口からしっかりと「その言葉」が出たのを俺たちは聞いた。
目の前のペガサスは『神獣』であると。
「いやいやいや!? 薄いぞ、リアクションが!? シエスタ!」
「騎乗可能な神獣ってだけでも新情報なのに……」
プレイヤーたちが育てている神獣は、いずれもサイズがやや小さめだ。
まだ誰も完全成長させたという話は聞かないので、今より大きくなる可能性もあれば、このペガサスが天界やアニマリア専用で特殊という可能性もある。
俺は過去に馬やロバ、ラクダが不要になってしまうので神獣は騎乗可能にならないという推測を立てたが……これは、ちょっと分からなくなってきたぞ。
いずれにせよ――
「弦月さんが狂喜乱舞しそうな事実の連続だな……」
彼女はペガサスに乗りたがっていた。
そのために馬を育て、情報を収集し、ゲーム内の騎乗可能動物を研究している。
こうして騎乗可能なペガサスの現物が目の前にいる以上、望みは大きく広がったと言っていいだろう。
「ハインド、録画は!? 録画はしているのか!?」
「一応、俺の主観モードで……」
「しっかり頼むぞ! こういうのに疎い私でも、今が大事な場面だということだけは分かる!」
元々、みんなに――特にトビに見せてやるつもりで、アニマリア登場時から録画は開始していた。
主観モード録画のいいところは、一度録画を始めた後は細かな操作が必要ないところだ。
驚きと興奮で震える俺たちをよそに、アニマリアは変わらず、シエスタちゃんの前でにこにこと笑んでいた。




