上階への進出 その5
果たして、201階層以降のバランスがどうなっているのか。
その疑問が解消されたのは、201階に足を踏み入れてすぐのことだ。
「は、羽……! 羽が! ハインドぉ!」
ユーミルが震える手で、通路の先を指さす。
羽……というか翼の数は、おそらくTB世界において天使の格を表している。
「ああ……増えているな。一対から、二対に」
「つまり、四枚羽が雑魚敵……?」
「みたいだな……はぁ……」
やつらは羽が増えるほどに力も増し、使える技も豊富になっていく。
そもそもの話として、やつは下層においてボスだった。
名前が同じ『塔の衛兵・小隊長』なので間違いない。
しかしながら、最大の問題は――
「問題は、あの敵のステータスがそのままかどうか……ということですね。ハインドさん」
思考を先読みするようなリィズの言葉に、頷きを返す。
しかしながら、その答えはそれほど深く考える必要がない。
「まず、そのままだろうな。上位陣の成績からして」
「うへぇ……下層のとはいえ、元ボスだった個体がごろごろいるのでござるか……」
「オフラインRPGの後半とか、ラストダンジョンみたいな仕様だね……」
セレーネさんが出した例は、俺も覚えがある。
ただ、そういったものはプレイヤー側のステータスがインフレしている場合も多いのだが……。
俺たちの場合、しばらく前からレベルの天井に頭をぶつけ続けている状態だ。
少なくとも今イベント中にレベルが上がることはないので、上げられるものはひたすらプレイヤースキルのみだ。
「せめて出現がレアで、私たちの運が悪かっただけならいいんだけど……」
セレーネさんの希望通りなら、あいつだけを避けて進めばいい。
塔の内部構造は迷路状だが、正解ルートは複数用意されている。
ただ、ここまでのパターンを考えると少々難しい。
「どうでしょうね? ここまでの階層、ボス以外の敵の種類は一つでしたし……」
「装備やスキルが微妙に違う敵はいたでござるが。セレーネ殿が言うような、特に強い敵というのはいなかったでござるなぁ」
通路の曲がり角まで戻り、俺たちは敵の様子を窺っている。
今のところ、『塔の衛兵・小隊長』はあの一体のみだ。
塔の敵配置の間隔は比較的狭いので、近くに他の敵がいればすぐ見つけることができるはずだ。
移動にムラがあるにしても、そろそろ……。
「……あ。あー……」
「いましたね……当然のように、もう一体」
俺の真下で顔を出すリィズが、目にした事実を口に出す。
これで「敵が強くなったけれど数は少ない、または希少」というパターンに賭けた、俺たちの期待は打ち砕かれることになった。
あの距離で二体が近づくということは、フロア内の敵の密度も変わっていない可能性が高い。
「む……しかし、最初は驚いたが、所詮は下層・中層のボスだろう? 二体くらいまでなら、どうとでもなるのではないか?」
「でもあいつら、戦っていると集まってくるじゃないか……」
「そ、そうだった!」
塔内での戦闘は、時間をかけると周囲の敵が集まってくる。
敵が集まり切る前に倒して数を減らしていく攻撃力が必要とされるので、ユーミルの意見は考えが浅いと言わざるを得ない。
「HPだけでも、ボスだった時より減っていねえかな……」
「……だ、だがハインド! これ以上は戦ってみなければ分かるまい? 結局最後は、いつも通りだろう? 行かないのか?」
若干焦れてきたユーミルが、気持ちを持て余すように剣の柄を指で叩く。
それに眉をひそめたリィズが、三角帽子の位置を直しながらユーミルに半眼を向けた。
「……戦闘前の戦力分析は大事ですよ。少なくとも油断は減る上、心構えも違ってくるでしょう? その短絡的な突撃思考、いい加減どうにかなりませんか?」
「う、うるさいぞ!? そんなことは私にも分かっている! 分析が無駄とは言っていないだろう!? ――ちょっと相談が長いなぁ、とは思ったが!」
やっぱり思ったんだ……という生温い空気が、その場をふんわりと支配した。
確かに、ちょっと体が硬くなってきたような気はするが。
顔だけ出したこの試製、結構腰に来るんだよな。
「……まったく、少しくらい我慢してください。頭を使って会話に参加しないから、長く感じるのですよ」
「ぐっ!」
「そうですよね? ハインドさん」
「まぁなぁ……分析ったって、適当に突っ込んで頓死するよりは短い時間で済むからなぁ……」
全滅した後の処理や立て直しというのは、思っている以上に面倒で時間がかかるものだ。
デスペナルティこそイベント仕様でつかないが、アイテムは減ったままになるし、武器・防具の耐久値も戦闘終了時のまま、料理バフも切れる。
せっかちな人でも、戦う前に数秒……無理なら一瞬でも考える時間を挟むだけで、結果は違ってくるはずだ。
「……ということで、まずは孤立気味の敵と戦おう。きっちり選べば、ちょっとは増援が来るのも遅れるだろう」
「よし来た! ようやく戦闘再開だな!」
「そんで、ボスバージョンとのステータスを比較だ。その後の対処をどうするかは、ひとまず一体目の敵を倒してからということで」
「了解でござる!」
索敵はセレーネさん。
そして戦闘開始後リィズには、戦闘そのものよりもダメージ等の観察を優先してもらう。
何度か撃退すれば詳細が自動で図鑑に登録される外のモンスターとは違い、塔の敵のステータスはプレイヤーが自分で探るしかない。
数十分後……。
結論からいうと、『塔の衛兵・小隊長』の能力はボスだった時とほとんど同じだった。
ただし50階層時点のバージョンだったようで、100階層、150階層で出現した能力・装備強化バージョンではなかったのが救いか。
小隊長は能力振り分けにランダム性があり、魔法抵抗、もしくは物理防御に偏っているときがあるので注意が必要だ。
どうにか苦しい中でも攻略を進めていく俺たちだったが、やがて追い打ちをかけるような事実が発覚した。
「……?」
何か違和感がある。
現在の階層は、どうにか10進んで211階層……。
早くもじりじりと減る回復アイテムとの睨めっこに突入しているが、ここまで戦闘不能者は出ていない。
俺たちの前では、変わらず『塔の衛兵・小隊長』が道を塞いでいる。
リィズに視線をやると――
「……」
やはり、何かを気にするように険しい顔をしていた。
俺の視線に気が付いたのか、こちらに駆け寄ってくる。
戦闘は優勢だ、少しくらいなら話をする余裕もあるだろう。
「リィズ。敵に違和感があるんだが……何か分かったか? 100階層バージョンに変わった、とかではないと思うんだが」
「はい。私の勘違いでなければ――」
「これで、とどめだぁ!」
フロア内に響いた景気のいい叫びに、会話を中断してそちらを見る。
充分に削ったと見たのか『バーストエッジ』でとどめを刺すつもりのようだ。
しっかりと剣を天使の胸に突き入れ、爆発と共にユーミルが後退する。
「やったか!?」
「……私の勘違いでなければ、この階層から敵のステータスが微増しています。装備や見た目は変わっていませんが」
「え? ってことは――」
「――やってない!? げふぅ!!」
爆炎の中から、天使の剣が繰り出される。
それを受けたユーミルは、油断もあってかクリティカルダメージを受けて吹っ飛んだ。
にしてもお前、その言いっぷりは……薄々、何かおかしいことに自分も気が付いていたんじゃないのか?
「ふらぐっ!」
「ユーミルぅ!!」
そして当然のように、ユーミルは通路の壁に突っ込んでから戦闘不能になった。
普段はそうそう当たることのない特殊カウンター……ただし、当たるとあの通りのダメージになるらしい。
「くそっ! 与えるダメージが全体的に減っている気がしたのは、勘違いじゃなかったのか……ランダムステータスのせいで分かりづれえ! ユーミル! 今、聖水を――」
「は、ハインド君! 前方から敵増援2! ――あ、待って! 後ろからも……!?」
「ぞ、増援3でござるぅ! これはまずぅぅぅい!!」
「うっわ!?」
思った以上に、最初の小隊長に手間取っていたらしい。
通路の前後からフヨフヨと浮遊しつつ迫る天使の姿に、俺は額に浮いた汗を手で拭った。
勝算がまるで見えない状況に、俺の口は自然とこう動いた。
「――て、撤退! てったぁぁい!! トビ、一体のほう……後ろを突破するぞ! ヘイト引き頼む!」
「しょ、承知!」
「各自、戦闘状態が解除されたら塔から離脱! ――起きろ、ユーミル!」
『聖水』をアンダースローのようなフォームで投げつけると、ユーミルが跳ね起きる。
相変わらず、どうやってそれをこなしているのか不思議でならないが……。
「ふっかーつ! そして嫌だ! 嫌だぞ、ハインド!」
「何がだよ!?」
「逃げるのは嫌だ! 私は弦月たちの記録を――!」
「一日我慢しろ! 明日までには何か策を考える!」
「本当か!? 本当だな!? 明日までだぞ!?」
「いいから、今はとにかく走れ! 60階層分でゲットした素材・アイテムのロストは、さすがに痛い!」
ぐずるユーミルを引っ張り、双剣を必死に繰るトビと剣を振る天使の横を通り抜ける。
ある程度距離を稼いだところで、トビに呼びかけた。
「トビ、ありがとう! もう大丈夫だ、お前も撤退してく――」
「うひぃぃぃ!!」
小隊長たちに囲まれる寸前、トビが『縮地』で一気に追いついてくる。
追いついてというか……俺たちを追い抜くと、ガタガタなフォームで一目散に逃げ始めた。
「速いな、おい!?」
「だって、壁二枚とも一瞬で割れたでござるよ!? 怖すぎ! 死ぬかと思った! 縮地をミスしなくて本当によかった! よかったぁぁぁ!!」
「と、トビ君! そっちは行き止まりだよ!?」
殿を引き受けてくれたので文句は言えないが、普通女性陣よりも前を走るか……?
その後は俺が最後尾を警戒しつつ、通路を必死に走った。
一定距離が開いたところで、薄い光の膜のようなものを通り抜ける。
今のが戦闘領域を示す境界線だ。
メニュー項目にある灰色だった『塔を離脱する』というボタンが、逃走成功に伴い点灯する。
間髪入れずに、俺たちは各自ボタンを押下した。




