小休止と神獣
触れる時は優しく、繊細に。
怖がらせることがないよう、極端な刺激には注意が必要だ。
そうしてゆっくりと差し込んだ指が、灰褐色の柔らかな起伏に沈み込んでいく。
そのまま下へと向かうと、抵抗なく滑らかに――
「……ハインド?」
かけられた声に、俺は手を止めて振り返った。
声をかけた主は、談話室の扉に手をかけたままのユーミル。
俺が座っているのは、テーブル前の椅子の上。
そして手元には……ふにゃふにゃにリラックスしたノクスが乗っている。
「お前……ノクスに何をしているのだ?」
「見て分からないか?」
扉を閉めて部屋に入ってくるユーミルから目を離し、俺はテーブルに向き直った。
そしてノクスの羽毛を優しく撫でる動きを再開する。
「……ノクスの毛繕い、か?」
「それもあるけど……一番の理由は、単に俺が撫でくり回したくなっただけ」
「はぁ? 何でそんなことになっている!? まるで意味が分からんぞ!」
「触れ合いだよ、触れ合い。最近、外を連れ回せていないし……」
ホームの近くや農業区で散歩……散歩? 小飛行?
とにかく、その辺りで遊ばせてはいるものの。
イベントが神獣向きではないこともあり、あまり構ってやれていなかったのだ。
「神獣って、あんまり放っておくとへそを曲げるそうだからな」
「な、なるほど」
「――という口実の下に、ネットで勉強した鳥のマッサージ法を試して……」
「おい!? 結局、本当にお前がやりたかっただけなのか!?」
「冗談だ」
「どっちだ!?」
どっちも、だろうか……。
別に、神獣に対するコミュニケーションは何でもいいのだ。
神獣さえ不快に思わなければ一緒に戦闘でも、直接の給餌でも。
俺の普段よりも適当な発言に混乱していたユーミルだが、不意にその顔が心配そうなものへと転じる。
「ハインド、お前……野良で嫌な思いをしたから、ノクスで癒されているとかでは……」
「いいや。そっちはむしろ、順調だ」
タイミングこそ外しているが、誰かと同じ心配をしてくるユーミルに思わず苦笑が浮かぶ。
あのリセラピーとやらは中々強烈だった……。
言われてみれば、この行為はアニマルセラピーに見えなくもないのか。
俺の言葉に安心した様子を見せたユーミルだったが、途中で何かに引っかかったように動きを止めた。
……とりあえず、一旦座ったらどうだ?
「順調? 私たちとの攻略よりもか?」
「さすがにそこまでは。でも、このままだと早晩追い越すぞ?」
「何っ!?」
昨日、コツを掴んだあの戦闘の後。
数回野良で挑戦したのだが、どれも悪くない感触を残せた。
だから試行回数と少しの運の傾きで、次の50階も突破できるような気がしている。
そう聞いたユーミルは、座るどころか椅子に足を乗せて轟然と腕を突き上げた。
「それはいかん! 絶対にいかん!」
「何がだよ?」
「野良パーティにハインドを取られるわけにはいかん! 私たちとのパーティが一番だということを、すぐにでも証明しなければ!」
「……俺が野良専とかソロになることは、まずないと思うがなぁ」
そう呟いても、闘志を滾らせるユーミルには聞こえていないようだった。
落ち着くのを待ってから、行儀の悪い体勢をやめて対面の席に座るようノクスを撫でながら勧める。
「ま、座れよ。そしてお前も撫でてみろよ。驚くぞ?」
「え?」
俺の提案に、ユーミルは戸惑うような態度を示した。
珍しいな……すぐにでも手を伸ばしてくると思ったのだが。
「い、いいのか? 触っていいのか?」
「あれ? ユーミル、ノクスにちゃんと触ったこと……」
「か、片手で数えられるほどだ! 特に幼生体で小さかったころは、乱雑な手つきで傷つけないかと心配で……!」
「え? でもお前、動物苦手だっけ? 確か、近所のでっかい犬とかには突撃して……」
「花子は頑丈だからいいのだ! 受け止めてくれる!」
花子は数軒先のお宅で飼っている、セント・バーナードのメスだ。
学校帰りの時間によく散歩をしているので、会うことが多い。
犬小屋も通り側にあるので、散歩中に限らず傍を通ると近付いてきてくれる。
「……例えばだけど。ハムスターとかはどうなんだ? 飼いたいと思うか?」
「む……もしケージから抜け出していたら、踏んでしまわないか!? 危ないではないか!」
あまりに小さいと、遠慮して慎重になるのか……前からそうだっけ?
そういえばこいつは昔、学校で飼育していたウサギを小屋の掃除中に蹴りそうに――あー、もしかすると、あれが原因か。
「じゃあ弱そうな小動物とか、赤ん坊系が相手だとうろたえるわけか……」
「う、うろたえているわけではない! 慎重になっているのだ!」
「結構、可愛いもの好きな癖に……難儀な奴」
「悪いか!?」
「いいや、全然。自分の赤ん坊にも優しくしそうだし、いいことじゃないか?」
「ぬあっ!?」
だから神獣選びの時も、大きなマンボウやら何やらを選んでいたのか……。
ユーミルは知らなかったようだが、もしマンボウに直接触れたりしたら大惨事だが。
確か鳥の中でも、鷲とか鷹とかを推していたな。
しかし、フクロウだって成長すればこの通り。立派な猛禽類の一員である。
「は、ハインド! 赤ん坊というのは、その……」
「今となっては、ノクスはしっかり成長したぞ。だから変に爪を立てたり力を入れたりしなければ、何も心配いらないって」
「スルー!? おい、今のをスルーするか普通!? だ、だが、本当にそうか?」
「そうだよ。大人しいし」
お転婆なマーネとは違い、ノクスは非常に穏やかで落ち着きのある性格に育った。
リラックス状態のノクスを抱えてそっと移動させると、ユーミルが震える手を伸ばす。
すると、細めていた目を開いてノクスが起き上がる。
それから硬くなっているユーミルの姿を認めると、小さくその場から後退。
「は、ハインド! ノクスが警戒を!? 私、もしかして嫌われているのか!?」
「いやいや、違うって。きっと緊張が伝わったんだろう」
「どうすればいい!? どうすればいい!? 餌か!? まずは餌で気を引くか!?」
「テンパり過ぎだっての! もっと力抜け!」
餌を取ろうと立ち上がりかけたユーミルを、近くに立っていた俺は上から押さえた。
そのまま両肩に手を置き、入り過ぎた力を抜かせる。
そんな俺たちのやり取りを見ていたノクスは、なんと――触ることを許可するように元の位置に戻ると、ユーミルに向かって小さく鳴いた。
ノクス、お前ってやつは……!
ユーミルがノクスの様子に驚き顔で俺を見たので、頷きを返す。
そして再度、怖々と手を伸ばし――
「ふおお……や、柔らかい……!」
遂にその手が、ノクスの羽毛に触れた。
そのまま、俺がしていたように手で静かに羽を撫でる。
「おおおお……高級絨毯のような手触り……」
「滑らかだよな。気持ちいいんだよ、撫でているこっちが」
手入れの道具のいくつかは、以前ティオ殿下からいただいたものを使っている。
これがまた効果抜群で、ノクスの羽には艶のようなものが。
しかも宵闇で目立つようなものではないので、フクロウとしての能力は損なっていないという素晴らしさ。
「うぅむ……いいものだな、ペットとの触れ合いというものは……」
「そうだな……」
何だか、嬉しそうなユーミルを見ていたら俺も触りたくなってきた。
フクロウはあまり過剰に触れられるのを好まないらしいが……少しくらいなら、大丈夫だろうか?
ということで、ユーミルに便乗。
「……」
「……」
ユーミルが傍にいるにしては、非常に稀な静かな時間が過ぎていく。
ノクスは二人で触っても、あまり嫌がらなかった。
むしろもっと撫でろといった具合にその場からは動かず、羽やら体の向きだけを変えて催促してくる。
ああ、癒される……。
「……」
「……はっ!?」
「……?」
不意にユーミルが我に返ったという様子で手を止め、俺と目を合わせる。
何だよ?
「何ということだ!? ハインド、さっきまでの私の闘志が!」
「霧散したか? 闘志って、イベントダンジョンの話だよな?」
「そうだ! 今からお前に固定パーティの素晴らしさを、再認識してもらわなければならないというのに! ノクス、恐るべし……!」
羽を広げ、体を軽く振ってリラックス状態を説いたノクスがくるりと首を傾げる。
そりゃまあ、ノクスだってやる気満々の状態で撫で回されてもな……。
それに、個人的にはこれでよかったと思っている。
「いいんじゃねえの? ユーミル、闘志が空回りすることがあるし」
「それはそうだが、今のは緩み過ぎたぞ!? どうしてくれる!?」
「ダンジョンに着くころには、ちょうどよくなっているって」
「私はそんなに器用ではなぁい!!」
「自動的に」
「自動的!?」
ユーミル自身のコントロールではなく、状況によって自然にそうなっているだろう。
実は、今日から新要素が追加されるはずだからな……俺の予想が合っていれば、アレはあいつ好みの要素のはずだし。
釈然としない様子のユーミルだったが、ログインしてきたセレーネさんを見ると笑顔で出迎えた。
俺も軽い挨拶をしつつ、それを見届けると……。
肩に飛んできたノクスを乗せたまま、ダンジョン戦闘の準備をすべく、のんびりアイテムボックスへと向かった。




