毒と薬と
釜の中身がぐつぐつと煮えている。
……といっても、煮ているものは野菜や肉などではない。
「ふふ、ふふふふふ……」
魔女の大釜の前で、梯子に登ったリィズが中身をかき混ぜる。
……というのも間違いで、今は調合釜(大)でアイテムを精製中だ。
釜の中身を混ぜるのに使った木製の杓子は、煙を上げて見る見るうちに減っていく。
「……何で笑っているのだ? あいつは……」
「さあ……」
ただ、釜の前で不気味な笑い声を出すリィズの姿は妙に似合っている。
やがて細くなってしまった杓子を、リィズはぽいっと後ろに投げ捨てた。
「むおっ!? こっちに投げるな!」
ユーミルの足元に落ちた酸性の何かが、煙を吹いてから消える。
ゲームの床なので、特に問題ないが……一応、リィズは近くに置いてある壺に入れるつもりで放ったらしい。盛大に外れたが。
やがてリィズは、煮詰まった「それ」を瓶の容器に入れて振り返る。
「――さあ、ユーミルさん。これを使ってみてください」
「ふざけるな貴様!?」
リィズが差し出した容器の中で、謎の液体がぼこぼこと泡立つ。
まさかとは思うが、そのためにユーミルを呼んだんじゃあるまいな……。
「おや? これはハインドさんのための大事な試用なのですが……協力できないと?」
「ぐっ!」
「では、僭越ながら私が……見ていてくださいね? ハインドさん」
「え……飲むのか? 本当に?」
リィズが持った試験管の中の液体は、毒々しい紫色をしている。
調合中もマスクなどはしていなかったので、空気中への影響は少ないようだが。
毒キノコだって、そこまで露骨なやつは稀だぞ……?
「や、やらないとは言っていないだろう!? そんな見た目でも、回復アイテムを作るという話だったはずだな!? 寄越せ!」
自分ならできる、という挑発にあっさり乗るユーミル。
それを見たリィズが、ユーミルに気付かれない角度で薄く笑い……り、リィズ?
さすがに俺が止めること込みの行動だよな? な?
「待て! 早まるな、ユーミル!」
「止めるな、ハインド! お前のためというのなら、私はっ!」
「そんなくだらないところで突っ張られても、困るだけだっての! っていうかよ……」
誰も触れないので、黙っていたのだが。
このゲームのアイテムには、鑑定などの要素はない。
よって、触れればアイテム概要が表示される。
当然、こいつにもそれはあり……。
俺がそれを見るよう促すと、ユーミルはしげしげと眺めてから目を見開いた。
「やっぱり毒ではないか!!」
「そうですが?」
「馬鹿なのか、貴様!? 飲めるか、こんなもの!」
「お、おい……リィズ? 回復アイテムを作ってくれるって話じゃ……?」
リィズに瓶を返しながら問いかけると、頷きを一つ。
きちんと説明してくれる気はあるようだ。
「確かに、この瓶の中身は毒物です。服用したところで回復なんてしませんし、それどころか多数のステータス異常を引き起こす猛毒です。劇物です」
「何でそんなものを……」
「馬鹿だな!? 間違いなく馬鹿だな!?」
ここぞとばかりに、ユーミルがリィズを叩きに入る。
しかし、リィズは軽く眉を跳ねさせたものの声は荒げない。
「知力1のユーミルさんはともかくですね……」
「おい!? そのネタ、それ以上引っ張ったら許さんぞ!」
「ハインドさんになら、私がやろうとしていることを理解していただけるのではありませんか?」
「うん?」
毒物から回復薬を作る、か。
毒と薬は少しの用法で効果が転じたりと、昔から紙一重というか、表裏一体のものとして扱われてきた。
しかし、TBの製法で毒から薬……あったかな、そんなもの。
俺が知る限りでは、ない――が、リィズは根拠のないことを言わない人間だ。
「何か、掲示板とかで新情報――」
「……」
「じゃ、ないみたいだな……」
俺が知らない情報というだけだったら、リィズはこんなに持って回った言い方をしない。
ならば、必ず記憶の中から引っ張り出せるもののはずだ。
ここ最近で、調合に関して……何か……。
「……あ」
一つの閃きを得た俺は、調合室に設置してあるボックスへと向かった。
ボックスの中には調合用の素材が集めてある。
確かここに……生産に回さなかった余剰分が、一個だけ……おっ。
「あったあった。リィズ、もしかしてこれか?」
取り出したのは、例の『極彩色の大森林』で採取した『陰陽草』という、茎の上部が白、下部が黒に分かれた植物だ。
素材の説明文に、薬品の性質を反転させるとあったはずだ。
「む……確かに見覚えがあるな! よく素材説明文まで記憶しているな、二人とも!」
「知力1のユーミルさんと違って――」
「シャー!」
「……威嚇とは。遂に動物並になりましたか、不憫な」
「お前らやめろっての、もー。あれだ、そこは意識の違いだ。ユーミルは調合をやっていないからな」
ついでに素材の売買もしていないので、相場も分からない。
素材の価値や性質にはとことん無頓着だ。
その無知から来る無欲さ故に、貴重品を引き寄せるのだろうが……ちなみに『陰陽草』を発見したのも、本人は忘れているようだがユーミルだったりする。
「俺たち……特にリィズは、薬草系統の素材に常にアンテナを張っているからな。これを使う気になったってことは、栽培に成功したんだな?」
「はい。昨日、パストラルさんから連絡をいただきまして」
数の少ない貴重な素材は、まず増やせないかを試みる。
失敗すると枯れてしまうのだが、そこはゲーム。
一定の金額を支払うことで、枯れた植物を復活させることができる。とても高額だが。
「そういうことか。だったら、こいつを毒薬に入れれば回復薬になる……」
「おおっ!」
「かもしれない」
「そうですね。かもしれません」
「な、何だ何だ!? 断言できないのか!?」
俺とリィズは目を合わせると、ほとんど同時に同じポーズをした。
性質を反転させる、という説明分だけでは何とも言えない。
「俺たちの希望通り、毒薬が回復薬になればいいが……」
「素材の説明文には性質を反転、としかありませんからね。例えば、そうですね……HP回復薬がMP回復薬になるだけかもしれません」
「……言われてみれば、そうか。それにしても、お前たち……いつもながら、動きがシンクロし過ぎではないか? 時々、本当に血が繋がっていないのかと――」
「――ッ! 繋がっていませんよっ!! 馬鹿なことを言わないでください!」
「む……」
突然のリィズの大声に、俺は開きかけた口を閉じた。
衝動的に出した声だったのか、リィズは少し苦しそうに呼吸を荒げている。
「他の誰でもない、あなたにだけはそんなことを言われたくないです! 冗談じゃない! 私は……私は……っ!」
「リィズ……」
血の繋がりの有無……それは、リィズ――理世にとって大事なことなのだろう。
今のユーミルと同じ言葉をトビが言ったとしても、きっとリィズはここまで激していないはず。
充分に自分を理解しているはずの、ユーミルだからこその怒りだ。
一瞬、誤解がないかと俺のほうに視線を向けてくるが……大丈夫。
だからといって、お前が家族としての繋がりを否定しているわけじゃないことは、ちゃんと分かっているよ。
「……そうだな。すまなかった」
「お……」
意外なことに、ユーミルはすぐに自分の言葉を謝罪した。
直角に頭を下げ、誠意の籠もった姿勢を取る。
「珍しく素直っていうか……どうした?」
「今のは、全面的に私が悪い。こいつのその辺りの気持ち……私はハインド以上に、横で見ていて知っているつもりだからな。こいつがお前の妹になると決まったころのこと、今も憶えている。悪かった」
「……分かってくださったのなら、別にいいです」
どうやら普段の皮肉の応酬とはまた違う、本気の感情のぶつけ合いのようだ。
その緊張感を察した俺は、二人の気持ちが落ち着くまでしばらく黙ることにした。
やがて会話を再開したのは、リィズだった。
「……まあ、血の繋がりがないとはいえ、私とハインドさんの息が合っているのは当然のことです。ユーミルさんとは、一緒に過ごしてきた時間の長さが違いますから」
「ぐっ……言うほど差があるとは思えんが……」
おお、ユーミルが反論を我慢している。
きっと、先程の失言があったからだろう。
「お互いへの理解、そして尊重。仕草や思考が似てきたとしても、何も不思議はないでしょう? ずっと傍で見てきましたから。それが家族の絆というものです、ええ」
……性格が似ているだとか、仕草が似てきただとか、そういう表現なら平気なんだよな。
女の子って繊細だ。
「俗説ですが、他人だろうと一緒に住めば、性格どころか顔まで似てくると言いますしね。俗説ですが」
「……」
「それを信じるならば、私たちにもきっと当てはまるのでしょう。例えるなら……そう! まるで長年連れ添った、老夫婦のように!」
リィズがそう言い放った瞬間。
何かが音を立てて切れるような空気が、俺の肌にビリビリと伝わり――
「――いい加減にしろよ貴様!? 黙って聞いていれば、調子に乗りおって! 誰と誰が夫婦だ!! 大体、私に言わせれば贅沢なんだ! 義妹だって充分においしい立場ではないかっ!!」
「――こっちに来ないでください!!」
掴みかかろうとするユーミルを、毒の入った瓶で牽制するリィズ。
結局、いつも通りのやり取りに変わってしまったが……。
「卑怯だぞ、貴様!」
「舌戦ならいくらでも受けて立ちます! あなたこそ、実力行使に出ようとしないでください! 卑怯ですよ!」
「何だと!?」
本気の喧嘩よりは、こちらのじゃれ合いの喧嘩のほうがずっと安心して見ていられる。
とはいえ、いつまでも止めない訳にもいかない。
俺は小さく息を吐くと、制止の声を上げながら二人の間に割って入った。
「じゃ、気を取り直して……リィズ」
「はい」
呼びかけに応じ、リィズが粉末状にした『陰陽草』を調合釜の中の毒薬に混ぜる。
すると、高レベルの調合品特有の豪華なエフェクトが発生。
喧嘩を挟んだせいで、かなり時間を取られたが……。
「おおー!」
ユーミルの感嘆の声と共に、その光が収まる。
すぐさま、俺たちは確認のために調合釜の傍へと駆け寄った。
そうしてできた調合品は――。




