湖とスケート練習
「……お、おおっ!? は、ハインド、そこをどいてくれっ!」
慌てた声が後ろから届き、俺はその場から軽く横へとスライドする。
不安定な様子に、手を貸そうかとも考えたが……。
「大丈夫か? ユーミル」
「へ、平気だ! 多分!」
ユーミルが変なポーズのまま、スイーッと氷上を移動していく。
何だ、その歌舞伎役者みたいな体勢……。
それでも転ばない辺りはさすが、の一言であるが。
「あいつは放っておいても、勝手にできるようになりそうだな……」
「ですね……あの珍妙なポーズも今だけでしょう、腹立たしいことですが」
持ち前の運動神経を既に発揮し始めているので、もう時間の問題だろう。
力任せを止めて、無駄な動きが減ってきている。
「あっ、わっ、わっ!」
「リコ、危ない危ない! ゆっくり!」
リコリスちゃんもバタバタしているが、どうにか前には進んでいる。
実用範囲かどうかは……ちょっと微妙か。
サイネリアちゃんは子どものころにスケートをやったことがあるとのことで、徐々に滑り方を思い出してきた模様。
それよりも、問題はこちらの面々。
「あ、あれ……?」
「せ、セレーネさん、しっかり!」
「あ、ありがとう、ハインド君!」
進路が定まらず、激戦区に行ってしまいそうだったセレーネさんを回り込んで止める。
こんな状態で行かせたら、誰かにぶつかって転倒必至だろう。
「だ、大丈夫ですか? セッちゃん」
「そ、そういうリィズちゃんも大変そうだね?」
「立っているのがやっとです……」
リィズの足はセレーネさん以上にプルプルと震えている。
「セレーネさん、もうちょっと膝とかを柔らかくできません?」
「む、難しいよ。緊張しちゃって……転ばないようにするのが精一杯……!」
ゆっくりと、何故か後ろに下がっていくセレーネさん。
それでももう少し頑張るということで、硬い動きで氷との格闘を再開する。
次は……。
「せいやあああああっ!」
「気合の声と動きが……」
「一致していませんね……いえ、動きは一致しているのですが。結果が伴っていないと言いますか……」
滑走というよりは、スケート靴で走っているトビ。
絶対にスパイクブーツのほうが速いって、それ……。
スリップにより、蹴り出す足の力がほとんど推進力に変わっていない。
氷の上という状況に対する恐怖心がないのは凄いが。
「は、ハインドさん? 離さないでくださいね……」
「離さないでっていうか、さっきからずっとしがみついているじゃないか……」
俺を支えに震える足でどうにか立つリィズ。
ブレードの設置面積やら、摩擦の少なさなどが全てマイナスにしかなっていない。
「し、幸せな状態ではありますが、それを噛み締める余裕が……!」
「まあ、リンクと違って掴まる場所がないからな……とはいえ、俺だって上手くはないんだからさ。引っ張り過ぎて一緒に転んでも、文句はなしだからな?」
「ですが、私から見ればハインドさんはちゃんとできていますよ……?」
「こーんな小さいころに、青あざを作りながら練習したからな」
母方の実家が寒い地域にあるので、連れていってもらったことがある。
それも他に娯楽が少ないということで、集中的に何度も何度も。
俺も嫌いじゃなかったということで、人並み程度にはスケートができていた……という、サイネリアちゃんに近い状態だ。
こういうのって、やり方は忘れないもんだな。
「私も行ってみたかったです……おじいさまとおばあさまのお家には、何度かお邪魔していますが」
「あのスケート場、翌年には潰れちゃったからな……そういえば、リィズとは行ったことがなかったな」
「そうですね……ところで、どうですか? この氷の状態は」
「当たり前だけど、スケート場のようにはいかないよな」
特にこの氷の凹凸。
人工的ではない湖面が凍り付いたものということで、スケートリンクのように綺麗ではない。
この湖面の状態を見極めながらでないと、上手な人でもあっという間に転倒してしまうだろう。
……そういえば、あっちの――林檎を取り合っているプレイヤーたちの様子はどうだ?
「出たぞ、行け行け!」
「転ぶなよ!」
「うっせー! 転ぶときは周りも巻き添えじゃい!」
「北国育ちの雪上歩法、見せてやんよ!」
俺たちが立っているのは雪ではなく氷の上だが……。
『銀色の林檎』がポツポツと出ているので、そろそろ金の出番も近いだろう。
競争の横での練習ということで、視線も痛くなってきたことだし――
「そろそろ潮時じゃありません? 先輩」
「お、シエスタちゃん。上手じゃない」
初めてだというのに、緩い動きながらも綺麗に俺たちの前で止まるシエスタちゃん。
それを見て、リィズが納得いかないという顔になる。
「……どうしてあなたは、そんなに上達が早いのですか?」
「いやー、慣れると楽ですね、これ。慣性が乗った後はある程度勝手に進むし、私向きかもしれません」
何だそりゃ。
普通は、変なところに力が入ったりで難しいのだが……そういえば小さいころにやった時は、あちこち体が痛かったな。
転倒と筋肉痛のダブルパンチで――子どもだったので、沢山寝てすぐに治ったが。
「その理屈でいくと、シエスタちゃん。スケートボードとかローラースケートとかも……」
「できるかもですねぇ。動力は自分以外なのが一番ですし、もっと言うと人が運転してくれている乗り物に同乗が最高ですけど……」
「楽かどうかで、できるできないが決まる……?」
シエスタちゃんの不思議な理論に、リィズが益々解せないという表情に。
とはいえ、金林檎を取る必要があるシエスタちゃんが実用圏内なのは大きい。
そんなことを考えつつ、改めて俺がシエスタちゃんを見ていると……。
「あー、何だか二人、くっついてあったかそうですねえ……私も……」
怪しい手の動きをしながら、シエスタちゃんがゆっくりとこちらに寄ってくる。
体がほとんど動いていないのに前進してくるの、地味に怖いのだが……。
「だ、駄目です! あっちに行きなさい、しっしっ!」
リィズが片手で必死に追い払おうとするものの、その拍子にバランスを崩しそうになる。
……このレベルだと、ちょっと練習したくらいじゃ難しいだろうな。
「そんなこと言っても、妹さん。スケート靴で氷の上に立っているだけで精一杯じゃないですか? ということで……」
「ま、待ってシエスタちゃん! 転ぶ、リィズだけで手一杯だから! 待っ――」
「――と、止まれない! 止まれな……危なぁぁぁぁぁぁいっ!!」
「「「!?」」」
シエスタちゃんがスルッと後ろに下がったのを目の端に捉え、俺はリィズの頭を守るように抱え込んだ。
何かが背中から――声からしてユーミルなのは確定だが、それが体当たりをぶちかましてくる。
そこから先のことは、言うまでもないだろう。
フィールドに入った時に見た光景を再現するかのごとく、俺とリィズはユーミルに吹っ飛ばされた。
「……ストラーイク?」
派手に転倒した俺たちの傍に寄ってきて、心配そうにシエスタちゃんが――本当に心配してくれている? その発言。
衝撃からしばらく転んだ体勢のまま動けず、傍で倒れるそいつにそのまま呼びかける。
「………………おい。ユーミル」
「す、すまない、ハインド! ブレーキのかけ方が分からなかった!」
「どうして減速を覚える前に、人を吹っ飛ばすほどのスピードを出したよ……」
どうやらユーミルは、速度に乗った結果止まれなくなったらしい。
ゲームだからいいものの――って、ゲームだからこんな無茶をしたのか。
ある意味正しいな……怪我が怖いスポーツの練習に、VRは使えなくもないだろうし。
無論、現実で体を動かす以上の成果を得られるかは別として。
「……ユーミルさん? もう一人、謝るべき相手がいるのでは……?」
「すまん、くっつき虫! 許せ!」
「誰がくっつき虫ですか!? それと、謝罪が私に対してだけ軽いんですよ!」
体を起こして喧嘩を始めた二人に続いて、俺もゆっくりとその場に手をついた。
転んだことで頬が触れた湖面の氷は、現実と同じように硬くてひんやりとしていた。




