ニテンス湖
「っしょっと……」
「あれ、先輩?」
洞窟内の片付けを終えたところで、シエスタちゃんが不思議そうな顔をする。
並べた椅子で横になっていた体勢から――よくそんなところで寝られるな……。
そんな体勢から起き上がり、メニュー画面を開いて時間を確認している。
「先輩にしてはやけに手際が悪い……結構経っていますよね?」
「ああ、いや……だって、あんなふうに別れたのに、もしローゼたちに追いついちゃったりしたら……」
非常に気まずい。
俺たちの馬は能力が高い上に、ガーデンは集団での移動と聞いている。
すぐに出発した場合、彼女らに追いついてしまう未来が容易に想像できる。
「なーるほど。目的地は一緒ですもんねー」
「そういうこと。っていうか、君が寝ている間にみんなはログアウトして休憩に行ったよ……」
どうもこの小さな洞窟、安全エリアにこそ設定されていないものの、モンスターが寄り付きにくい位置にあるようだ。
その割に何かの巣ということもないようだし……。
誰もいない周囲の様子に、シエスタちゃんがわざとらしく怯えた表情を作る。
「まさか先輩も、今戻ったところですか!? 酷い! 私をこんな寒くて寂しい場所に、一人置き去りにして!」
「……俺だけ、まだ休憩できていないんだけど? この意味、シエスタちゃんならすぐに分かるよね?」
つまりは、シエスタちゃんが起きるのを片付けながら待っていたということになる。
それを聞いた彼女は、即座にいつもの表情に戻って一言。
「ですよねー。さすが先輩、あったけえぜー。そういうときは、寝ている私に悪戯してくれても――」
「リィズだけは、つい今しがたまで一緒にここにいたけどね」
「……さすが妹さん、分厚い氷のような警戒心だぜー。ひんやりしていて、全く融けねえぜー」
「あまりにも君に起きる気配がなかったから、任せろって言って強引に水分補給に行かせたよ」
起きたら俺もすぐにログアウトして休憩に入るようにと、リィズから何度も念押しされた。
リィズはシエスタちゃんのことを何だと思っているのだろう……。
「……それはそうと、もうちょっと緊張感が出ないもんかね? この状況で寝るって……」
「え? ………………あー、アラウダのことですか?」
何だ、今の長い間……。
そこまでなの? そこまでどうでもいいの?
「でも、あの人……ローゼさん? が、想像以上にご立派な恋愛観をお持ちなんで、任せておいても大丈夫じゃありません?」
ユーミルもローゼの吹っ切れた態度を絶賛していたし、他のメンバーもガーデンのイメージが変わったと言っていた。
シエスタちゃんの言う通り、アラウダちゃんの精神面のケアに関してはローゼに任せきりで大丈夫だろう。
――が、それはそれとして。
「アラウダちゃんの不満のガス抜きにもなるし、勝負は真面目にやりなよ? ああいうタイプは、手を抜いたら絶対に許してくれないだろうから」
「面倒ですけど、そうなったらもっと面倒ですよねぇ……分かってますよー……」
「裏を返せば、勝負が終われば色々とすっきりする可能性も高いってことだから」
あの手のタイプはエネルギーを発散させれば、それで落ち着く場合が多い。
シエスタちゃんの今後の学校生活を考える上でも、長い目で見ればきちんと解決しておいたほうがいいと思われる。
「私はアラウダに対して特に何とも思っていないので、相手をするのがただただアレなんですが……」
「……アレっていう表現で濁しただけ、シエスタちゃんにしてはマシに思えるよ……」
「でしょ? にしても、あいつ――アラウダは、味方を作るのが変に上手いですよねぇ。まだTB、一人で始めたばっかでしょうに」
「確かにね。ローゼにもエルデさんにも、かなり気に入られている感じだったし」
「まー、こっちはこっちで先輩とかサイとか、ちゃーんと理解者がいてくれるんで、少しは頑張りますかねぇ……」
話しながら二人、ログアウトのボタンに指をかける。
頷き合って、同時にその場から消えていく。
「そっちに行っ――のわあああっ!?」
「何やってんの――よぉぉぉっ!?」
「うわぁ……こりゃ酷い……」
金の林檎が出現する前に、既にあちこちから悲鳴が上がっている。
現実でのしばしの休憩の後、本日のイベントフィールドにやってきた俺たちだったが……。
入った瞬間から分かる周囲の苦戦具合に、入り口付近でしばし足を止めることになった。
「まさかの凍った湖でござるしなぁ……」
「そりゃ、何の準備もないとああなるよな……」
軽装のプレイヤーはまだいいのだが、重装のプレイヤーともなると酷い。
足を氷の中に突っ込む者、滑ってそこそこ痛い自重ダメージを受ける者などなど……。
今もさながらボーリングの球の如く、多数のプレイヤーを巻き込みながら一人の重戦士がスリップして豪快に吹っ飛んでいく。
「ストラーイク」
「こらこら、怒られるよ」
シエスタちゃんも似たような感想を抱いたのか、そんなことを呟いている。
しかし、自分たちだってああならないとは限らないのだ。
ついでに、この環境だと事前に立てた作戦のほとんどが役に立たない。
「馬を含めた戦法とかも、考えておいたんだが……お預けだな……」
残念ながら、馬は今回フィールドの端っこで待機だ。
今日は人数も揃っているし、色々と試しておきたかったのだが。
俺が渋い顔をしていると、ユーミルが下から顔を覗き込んできてニッと笑う。
「からのー?」
「え?」
「からの、こんなこともあろうかと! ではないのか?」
……。
まあ、あるにはあるのだが。
セレーネさんに視線を向けると、苦笑と共に頷きが返ってくる。
やや急ごしらえではあったが、事前に二人で準備はしておいた。
「該当フィールドがベリのニテンス湖って聞いた時点でな。えーと……」
「!」
ユーミルの期待のまなざしが痛い。
言わなきゃ駄目? ……駄目かぁ。
「こ、こんなこともあろうかと、準備はしておいた。以前に何度か使ったスパイクブーツと……」
俺は見覚えがあるだろうブーツを小脇に抱えつつ、もう一つの装備を取り出した。
それは靴の底に金属……ブレードの付いた――
「スケート靴!! あるではないか、そんなに楽しそうなものが!」
「いやいや、ハインド殿? ……マジ?」
トビが手を微妙な位置に出して困惑した表情になる。
分かっているよ、お前が言いたいことは。
「うん、安定感は全くないな。一応どっちの装備も全員分あるけど、スケート靴は自信のある人だけ使ってくれ。使えるなら、速度は出ると思うんだ」
そう言ってみんなに二択で差し出した靴だったのだが、手元にはスパイクブーツばかりが残された。
用意しておいてなんだが、それでいいのか……?
「シエスタちゃん、スケートできるの?」
「できません」
「えっ!?」
「正確に言うと、やったことがないので分かりませーん。リコとサイは?」
「私もやったことはないよ!」
「私は小さいころに、少しだけ……」
「……」
だったらどうしてそちらを選んだのか……というのは、訊くまでもないか。
「楽しそうだから」という、きっとただそれだけだろう。
ちなみにシエスタちゃんが受けたアラウダちゃんとの勝負内容は、単純明快。
どちらが『金の林檎』を多く獲得したか、で決められるものである。
林檎の納め方についてはギルドとして重ねたり、パーティで一括にしたり、個々に分けたりできるが、個人成績のログは残る。
それを最後に同時に参照して、勝負の決着とする――というものだ。
仮に『金の林檎』の取得数が両者ともに0だった場合、『銀の林檎』で競う形にするらしい。
極端な話、どれだけ『銀の林檎』を取っていても『金の林檎』が0で、相手が1ならば負けになる……とのこと。
金が出たときだけ本気を出せばいいんだから、シエスタでも多少はマシでしょ!? とは、アラウダちゃんの弁。
「まあまあ、ハインド! まずはやらせてみようではないか!」
ユーミルが早速靴を変えつつ、わくわくした顔でこちらを向く。
やらせてって……誰よりも早く『スケート靴』に履き替えた人間の言うことか?
「お前は自分がやってみたいだけだろうが……」
「あはは……邪魔にならないように、端っこで練習してから林檎争奪戦に入ろうね」
それでも目立つだろうなーと、やや引きつった笑顔でセレーネさんが移動を促す。
そんな流れで、メンバー全員が『スケート靴』を試してみることになった。
駄目でも保険の『スパイクブーツ』があることだし……いざ、練習へ。




