名前の呼び方・呼ばれ方
「ああ、たなっぴーですね? シーちゃんに絡んできた女の子」
「……た、たな?」
翌日、俺たちは『ベリ連邦』国境付近にいた。
フィールドの気温が進むたびに下がっていく中、リコリスちゃんが不思議な言葉を俺に返してくる。
「……学校での彼女のあだ名です。って、リコ……言ったら駄目でしょう?」
サイネリアちゃんが馬首を並べながら、リコリスちゃんを窘める。
察するに、名前を軽くもじった程度のものなのだろう。
「あ、ご、ごめんなさい! ハインド先輩相手だから、つい気が緩んで……」
「まあ、周囲に誰もいないし……それだけで身元なんて探れやしないから、大丈夫だよ。でも、人の情報は特に、勝手に漏らしちゃいけないものだから……次からは気を付けようね?」
「はい……前にも注意されたのに……うぅ」
今日はフルメンバーが揃い、話題は昨夜の出来事に。
シエスタちゃんが馬の首にもたれるようなだらけた姿勢で、間延びした声を上げる。
「慣れだよねぇ、こういうのは。私もあいつに名字、呼ばれそうになったしさぁ」
服装は下がっていく気温に合わせ、防寒具を身に着けている。
前回の反省点を踏まえ、水属性を付与した改良品だ。
しかし、「あいつ」かぁ……。
あまり仲が良くないのは薄々察していたが、やはり好きではないのか。
「心配するな、リコリス! 慣れてくると、今度は現実でネットゲームの名前を呼びそうになるぞ!」
「ええっ!?」
ユーミルが慰めなのか何なのか分からない言葉をリコリスちゃんにかける。
それを聞いた俺の胸には、苦いものが……。
「駄目じゃねえか。っていうか、こいつ本当にやりやがってさ……」
「そうなんですか?」
「朝、寝ぼけ眼で歩いていたかと思ったら、ちょっと俺と距離が開いたところで――待て! ハインド! って叫びながら、追いかけてきてさ……」
「うむ。人がまばらな早朝の登校中でなければ、恥ずかしさで悶死するところだったな!」
「ふざけんな! 俺は充分恥ずかしかったわ!」
前日にゲーム内で名前を連呼していたことと、寝起きだったせいも多分にあるだろうが……。
あの時は慌てて未祐の口を塞ぎにかかったものである。
冷静になるとそう慌てることもないのだが、妙に気恥ずかしいんだよな。
「その点、もし同じことをされても拙者やヒナ鳥の御三方はダメージが低いでござるなぁ」
「急にシエスタ! と呼ばれたところで、お昼寝! と言っているのと変わりませんしねぇ。トビ先輩は鳥の鳶と同じ発音ですし、リコもサイもお花の名前だし」
「わ、私は恥ずかしいかも……人に昔、ハンドルネームとして付けてもらった名前だけど。由来はかなり大袈裟だから……」
「「「へー」」」
セレーネさんの名前、自分で付けたんじゃないのか。
その名付け主、誰なんだろうな?
下手に踏み込むつもりはないものの、非常に気になる。
「どちらにしても知らない顔を通せれば、呼んだ側が一方的に変な人という扱いをされるだけでは?」
「まあ、リィズの言う通りではあるんだが。ついつい反射で返事、しちゃわないか?」
俺の言葉に、メンバー内のほとんどが頷きを返す。
頷かなかったのはリィズとセレーネさん……頭の切り替えに自信ありか。
セレーネさんの場合、自信というよりは小動物的な警戒心が先に働くという理由だろうが。
……ロールプレイをしているはずのトビが頷いていることに関しては、今更誰も突っ込まない。
「そうですね。決して、ゲームと現実を混同している訳ではないのですが……」
サイネリアちゃんの言いたいことはよく分かる。
間にキャラクターなどのフィルターを挟まない、VRゲームならではの悩みだろう。
ゲーム内にこうして存在しているのも、紛れもなく自分自身には違いないからだ。
「まー、それだけTBを長く、高頻度でプレイしているってことではありますよねー」
「これだけ互いの名前を呼び合っていると、どうしてもね」
「私の先輩呼びは不変にして普遍ですが。現実での初顔合わせでも役立ちましたし?」
「でもなぁ、それは名前じゃないし……」
「でもでも、特別ですよ?」
「……特別扱いすると、呼び方が縮むんだ? 名前部分、消滅しているんだけど……」
「得てしてそういうものでしょう? 例えばですけど……フルネーム呼びって、距離を感じません? 名前じゃなくて名字呼びだったり、お堅い敬称付きだったりだと、ちょっとって思いません?」
確かに、一種のよそよそしさは感じるかもしれない。
言われてみれば、ヒナ鳥三人は互いを縮めた名前で呼び合っているな。
現実での三人の名前はそもそも短いから、縮めようもないが……それでも名字ではなく、下の名前で親し気に呼び合っているし。
「む、では私たちとは距離があると? シエスタ」
「あー、そう言われると……先輩とセッちゃん先輩以外は、微妙な感じですか」
「俺のも微妙じゃ……? いや、別にいいんだけど」
「そしたら、ユーミル先輩たちも縮めて呼びますか? えーと……まずは妹さんから」
「……」
どうして私なんですか? という感情がありありと顔に出ていらっしゃる……。
そしてシエスタちゃんが、笑顔でフレンドリーにリィズの名を呼ぶ。
「いも」
と、二文字で。
それにトビとリコリスちゃんが盛大に噴き出し、腹を抱えて笑いだす。
「予想はしていましたが……誰が芋ですか? 馬から引きずり降ろして捨てていきますよ?」
「こんな感じで、どうですか? ユーミル先輩。ユーミル先輩もこの要領で――」
「うむ、謹んで辞退するとしよう! 現状維持で構わんっ!」
「そうですかぁ。残念です」
無視される形になったリィズが、暗いオーラを周囲に発散する。
それを見たトビとリコリスちゃんの顔から、瞬時に笑みが抜け落ちた。
「……ハインドさん。シエスタさんにダークネスボールを撃ち込む許可を」
「こらこら。まぁ、お前は芋って容姿からは程遠いもんなぁ……そもそも、縮める対象がおかしいんだが。名前をいい感じにもじったり、縮めたりするんじゃないのかよ」
「どちらかというと、芋は私だよね……?」
「い、いや、セレーネさんも自虐しなくていいですから。最近はそうでもないでしょう?」
眼鏡もこの前、新調したものをゲームに反映済みだ。
大体、セレーネさんが野暮ったい印象だったのは猫背と身に着けていたもののせいである。
「……って、何の話をしていたんでしたっけ?」
リコリスちゃんが会話を思い返すように少し上を向く。
シエスタちゃんがそれに、あーと唸ってから答える。
「――田中の話でしょ?」
「シー! あなたの場合はそれ、わざとでしょ!? やめなさいよ!」
「田中だからたなっぴーか……」
そこまで聞いてしまうと、名前が「ひ」で始まるのだろうか? などとあれこれ推測できてしまうな……。
だからどうした、ということもないのだが。
「うん、まあ、今聞いたことは心に閉まっておくよ……な? ユーミル」
「うむ、人に言いふらしたりなどは決してしないと約束しよう。ただ――」
「大勢のプレイヤーの前で言わないようにだけ、気を付けるでござるよー。マナーは大事!」
「黙れ忍者! 黙れっ!」
「え、何でぇ!? 拙者、今いいこと言ったよね!?」
「人の台詞を奪うからだろうが! 何度目だ!? 私はこんなものをお約束にする気はないぞ!」
ネットマナーは大事だ。
そしてユーミルが何度も台詞をインターセプトされるのは、何でも一々勿体つけた言い方をするせいである。
「……でだ、シエスタ。肝心の勝負とやらは受けるのか?」
しかしそこはユーミル、一瞬で切り替えてシエスタちゃんのほうに向き直る。
その田中――じゃない、たなっぴ――でもない、プレイヤーネーム・アラウダ。
アラウダという名の彼女は昨夜、シエスタちゃんに勝負を吹っかけてきた訳だが……。
「受けませんよ? 面倒くさいですし」
「……何? 受けないのか!?」
勝負は受けるのが基本! なユーミルが呆気に取られた表情になる。
そんなシエスタちゃんとユーミルを横目に、トビが俺の肩をつつく。
「ハインド殿……そもそも、何故勝負とかそんなことになっているので? その子とシエスタ殿には、一体いかなる関係が……?」
「あー、そこは俺もまだ聞いていない……聞いてもいいのかな?」
「じゃー、説明しましょうか?」
非常に怠そうな表情ながらも、俺たちの会話が聞こえたらしいシエスタちゃんが珍しく説明役を買って出てくれる。
てっきりサイネリアちゃんにでも説明を任せるものかと……どういう風の吹き回しだろうな?
 




