大海戦の幕開け
資源島に行った後は一度帰港し、船の最終調整だ。
とはいえ、プレイヤーにできることは少ない。
俺の場合は、船の内部のあちこちを掃除したりということに終始していた。
今は船の中でも大事な、機関の磨き上げ作業を行っている。
「……」
折角なので、顔が映るくらいに表面を仕上げておく。
中は弄れない仕様なので、残念ながらこれが俺の精一杯だ。
一見すると変わっていない『プリンケプス・サーラ』だが、再出航したあの日から調整を続けてきた。
高額な依頼料がかかったものの、機関の微調整はゴメスさんを始めとする面々に最終日まで。
それ以外にも重量バランスの均衡、速度を落とさない範囲での艦側面・前面の装甲増加。
武装も大規模戦が増えるにつれてバリスタを減らして中距離砲を増やし、そして艦首には……。
「ハインド君」
「……セレーネさん」
かけられた声に、顔を上げて応える。
確か、セレーネさんは砲の変更に立ち会っていたはずだが。
「外の準備は終わっ――ピカピカだね!?」
「潮風って凄いですよね。こんなに内部でも、多少影響があるんですから」
錆が浮きやすく、全体的に劣化が早い。
海沿いの車の管理は大変だと聞いたが、金属の塊という点では船も同じ――いや、それ以上である。
TBお得意の風化処理がこんなところにまで適用されているため、きちんとメンテナンスしないとすぐに駄目になってしまう。
ゲーム内だというのにここのように掃除が必要だったり、場所によってはゲームらしく全く必要なかったりと、境界は結構曖昧だ。
セレーネさんはそのまま、俺が機関を磨く様子を見ていたのだが……。
「……私もやっていい?」
「もちろんですよ。ちょっと待ってください、今予備の布と研磨剤を――」
「ハインド! 出航!」
インベントリから渡すものを手にしたところで、ユーミルが機関室の中に飛び込んでくる。
セレーネさんが何かあったのかと身構えるが……。
俺は構わずセレーネさんに布を渡しながら、小さく首を横に振る。
「まだ終わらないのか? 出航! しよう!」
「焦るなよ。ソールがもう出たとか、そういうのじゃないんだろう?」
「単に私が待ち切れないだけだが?」
ほらね、とセレーネさんに視線を送ると苦笑をこぼす。
それから俺はユーミルにも機関磨きセットを手渡した。
「私もやるのか? というか、綺麗にしておくと出力が上がったりするのか?」
「ん、まあ、性能的にはあまり意味がないかもしれないが……」
「磨いているの、外側だものね」
セレーネさんの言葉に頷きを返す。
先程も触れた通り、プレイヤーは機関の中を弄れない。
ただ、この行動に意味を求めるとすれば……。
「ええ。打算的な話をするなら、船の物霊が喜んでくれるかもしれないという思いはありますが」
「ず、随分はっきり言うんだね……」
「霊的な存在相手に、隠し事は通用しない気がするので。もちろんこれまでの戦いに対するお礼というか、そっちのほうが掃除の動機としては大きいですが……どうせバレるなら一緒でしょう」
「変なところで脳波感知を使うようなゲームだしな。しかし、ふむ……そういうことなら私も参加しよう。今日までの感謝と、これからも頼むという念を込めて!」
そしてユーミルが猛烈な勢いで機関を磨き始める。
力を込めれば良いというものでもないが、気持ちはきっと伝わるだろう。
やがてリィズが機関室に現れ、そのまま掃除に参加。
一旦ログアウトしていた面々も合流し、いつの間にか掃除は甲板や外装にまで及んだ。
「――って、ハインド殿!」
「何だよ、トビ。そこの角っちょ、汚れが残っているぞ」
「いやいや、そうではなくて! 何でゲームでまで掃除なんだよとかハインド殿は一々細かいとか言いたいことは山ほど山ほどあるでござるが、そんなことよりも!」
「……あっ」
慌ててメニュー画面を開き、時間を確認する。
一息で言い切ったトビが呼吸を整える横で見た、その数字は……。
「やばい、出航しないと! 掃除に夢中になり過ぎた!」
「あ、やっぱり? いやー、やけにみんなのんびりしてるなぁとは思ったんですよね」
「気が付いていたなら言ってよ、シエスタちゃん! え、ええと、サイネリアちゃん、エンジン始動!」
「は、はい!」
「残りのメンバーは掃除用具の片付け、それと出港準備! 誰か錨を上げてくれ!」
「むぅ、後の掃除は無事に帰って来てからだな。ハインド、錨は私とリコリスでやっておく!」
「頼む!」
そうして俺たちは、急いでイベント海域に。
予定よりもやや遅れてしまったが、まだイベント終了時刻までには余裕がある。
海域に入ると、そこはもう戦場だった。
漂う船の残骸、海から助けを求めるプレイヤー、轟沈寸前で煙を上げる船……。
そして何よりも――
「何だありゃあ」
「でっっっかいでござるなぁ……」
「もう島だな、島!」
掲示板での噂通り、洋上に鉄の要塞が建造されていると勘違いしそうになるほどのサイズ。
そこから異常な量の砲火が周囲の船に浴びせられている。
もう全滅しそうだな、今戦っている連中……。
「ソールのギルド予算のほとんどを突っ込んだそうでござるな、あの船」
その様子を見ながらトビが呟いた。
ソールの予算のほとんど、だって?
「マジかよ……俺たちだってプリンちゃんに結構資金を注ぎ込んだけど、ソールの規模でそれってことは……」
「一般プレイヤーが白目を剥くような金額でしょうね」
「ぎ、ギルドマスターの思い切りの良さが出ているなぁ……私だったら躊躇っちゃう……」
「ふんっ。でかければ良いというものでもあるまい!」
ユーミルが腕を組んで鼻を鳴らす。
その組まれた腕の上にあるものを見て、リィズが白けた表情で肩を竦める。
「そうですね。大きければいいというものではありませんね?」
勝ち誇ったようなその目に、ユーミルが視線を辿って自分の体に辿り着く。
そして僅かに顔を赤くすると、そのままそれは怒りへと転じた。
「――!? どこを見て言っているのだ、貴様! こ、ここは大きくてもいいのだ! なぁ、ハイ――」
「やめろ俺を巻き込むな! どう答えても酷い目に遭うのが分かり切っているだろうが!」
「むっ……ではシエスタ!」
「はい? 呼びました?」
低速にしたことで余裕ができたのか、シエスタちゃんが呼びかけに対して顔を出す。
そしてユーミルの端的な説明に対し、高速で理解を示すと……。
「まぁ、そうですね……ここは妹さんの嫉妬が心地良い、とでも答えて――」
「は?」
「おくのはやめておきます。っていうか、他人との比較に意味はないのではー? 上には上がいますし、プリンちゃんだって大型船ですし? ね、ユーミル先輩?」
「そ、そうだぞ! 要は、それぞれで己のベストを尽くせばいいのだ!」
シエスタちゃんの煙に巻くような言葉により、どうにかその場は収まった。
俺は双眼鏡を手に、改めて超大型船を視界に収める。
あれを今から攻略しなければならないのかと思うと、あまりの厳しさに笑えてくるな……。




