起動の鍵 その1
機関部の前にいた人たちが、さっと左右に割れて道を作る。
その中を悠然とティオ殿下とその一団が進み、俺たちの前に。
内密な話がある、と告げてティオ殿下とお付きの一人だけが機関部の中へ。
「――って、狭いわね!? もうちょっと奥に詰めなさいよ!」
「自分から入って来ておいて言うことか……?」
「あなたたちが呼んだんでしょう? 私だって暇じゃないんだから、早く用件を言いなさい」
「つい最近――というか、王都を出立前に聞いたばかりの台詞だな!」
「うるさいわね!」
人払いの済んだ機関室の中で、「あー肩が凝った」と首やら肩やらを回しながらティオ殿下が溜め息を吐く。
この変わり身の速さと話の早さ……本当に殿下は、フランクな王族さんで助かる。
そして、話が早いという点はユーミルにとって大好物だ。
「で、何なの? 私に何をさせたいの?」
「うむ。話は簡単だ、ティオ! つべこべ言わず、このレバーをお前の手で倒すのだ!」
「……は?」
単刀直入に過ぎる言葉に、ティオ殿下が呆気に取られた。
ユーミル、そしてユーミルが指し示すレバーに視線をやってから俺に何とかしろという顔をする。
「待て、さすがに端折り過ぎな上に失礼だからな? ……申し訳ございません、殿下。俺から簡単にですが、ご説明を」
「……そうして頂戴」
最初からそうしろ、という顔で腕を組む。
俺はインベントリから携帯用の椅子を取り出すと、清潔な布を置いて殿下に勧めた。
そうされるのが慣れている、といった様子で座る辺りはさすがに貴人なのだろう。
手紙に書いたことの繰り返しになる部分は多いが、なるべく丁寧且つ手短に事のあらましを殿下に伝えていく。
「……へえ、なるほどね。で、どれが高祖父――海王様のお船なの?」
「……ハインド先輩、ハインド先輩。こうそふって、どのくらいおじいちゃんでしたっけ?」
「分かりやすく言うと、ひいひいおじいさんのことだね……」
「ふわー……」
リコリスちゃんが小声で俺にひそひそと質問してくる。
祖父、曾祖父、高祖父という順で上の世代になっていく。
おじいちゃんのおじいちゃん、と言うと……却って分かり難いか?
「……む? 船ならお前の目の前にあるだろうが。何を言っているのだ?」
「え? だって、五十年近く前の船でしょ? どんなやり方で保管しておいたところで、こんなに綺麗な訳がないじゃない」
馬鹿にしたような目でユーミルを見るティオ殿下。
しかし、ユーミルはそれに腹を立てることなくニヤニヤとした笑顔で応じた。
「ならばここで、管理官のじーさんを召喚!」
「――んがっ!? 何だ何だ!?」
そして機関部のドアを力強く開けると、傍で待機していた管理官を引っ張ってくる。
申し訳ないくらい狼狽しているな、管理官……。
「さあ、証言するのだ! じいさん、この船はプリンケプ……プリンケ……プリンちゃんだな!?」
「だから、プリンケプス・サーラだって。途中で諦めんな」
「ユーミル殿は名前の覚えが悪いでござるなぁ……」
「……そうなのですか? 今、わたくしたちが乗っているこの船が、本当に彼の海王様の……?」
「ははは、はいっ! そそ、そうでございます、間違いありませんとも! 御船こそが、海王様が――げはっ、げほぉっ!」
咳き込んだ管理官の姿に、ティオ殿下が慌てて駆け寄る。
背を優しく押さえ、気遣うような視線を向けた。
「だ、大丈夫ですか? 今、癒しの術を……」
「いいいいえ、滅相もございません! こんなジジイに、聖女様御自らそのような!」
さすがに可哀想なので、俺とサイネリアちゃん、セレーネさんにリィズが付き添って管理官を機関室の外へ。
去り際に、管理官の呟きが耳に入る。
「ああ、何とお優しい……聖女殿下……」
機関室の扉が閉まる。
リィズが鼻で笑いつつ、ティオ殿下に微妙な温度の視線を向ける。
「あの程度で好感度が上がるのですか……随分とちょろいですね?」
リィズの言葉に、ティオ殿下は椅子に座り直しつつ表情を崩す。
「……ふん、貴女の言う通りよ。あんなの聖女の噂と名前に目が眩んでいるだけで、本当の評価には程遠いわ。そんなことよりも――本当に本当? これがプリンケプス・サーラ? 私をからかっているんじゃやないわよね?」
「綺麗になったのは、セッちゃんのパゥワァーとお前が紹介した職人たちのおかげだぞ。本当にこれが海王様とやらの船で間違いない。どうだ、驚いたか?」
「………………」
……あの、殿下。
一々俺に確認を取るのやめてくださいます?
同意するように苦笑しつつ頷きを返すと、今度こそ殿下の目が点になった。
ユーミルはその反応に大層満足そうに、セレーネさんは顔を赤くして嬉しそうにしていた。
やがて殿下が落ち着いてから、どうしてここにわざわざご足労願ったかの話に移る。
「……話には聞いていたけど、そんなに凄い機関なのね。だからあっさり視察の許可が出たのか……きっと姉上の仕業ね……」
ブツブツとティオ殿下が呟く。
どうやら王宮は王宮で色々な力が作用した結果、ティオ殿下をここに寄越したということらしい。
……女王の妹とは思えない扱いをされているよな、割と……女王その人が原因だから、誰も何も言えないが。
殿下は呟きをやめて顔を上げると、状況確認を再開する。
「で、どうやっても動かないから、船体を綺麗にして機関の機嫌を取れないか試したり――」
「そうでござるよ。王様の船なのでござるし、王族を呼んだら急に起動したりするんじゃないかと考えたり! ……ハインド殿が!」
「……あなたらしくない、雲を掴むような話ね? どうしたの?」
「そ、そう仰らずに。試してみていただけませんか?」
「わ、私からもお願いします!」
「セレーネもなの? 本当にらしくないわね……」
この案を考え出したのは俺なので、微妙な反応をされると少し堪える。
ついでにアプローチの大方針を決めたセレーネさんにも、同じくダメージが入る。
それでも馬鹿みたいだと言われなかった辺り、ティオ殿下にしてはマイルドな言い回しだ。
――話は分かったとばかりに、ティオ殿下が自分から立ち上がる。
「それで、私がこのレバーを倒してみればいいのね? はい、これでいい?」
「――!?」
ガコン、という音が鳴った後、魔力機関が動き出す。
殿下の手によってあっさりと倒されたレバーに対し、ユーミルが目を見開く。
「おおいっ!? 少しはこう、勿体つけるとかだなぁ!」
「え? 何かいけなかったの?」
あっけらかんと答えるティオ殿下をよそに、機関が静かに回り出す。
魔力機関はセレーネさんが試した時同様、ゆっくりと動き出した後は軽快に。
そして、肝心の蒸気機関は――
「お、おお? どうでござるか?」
「あ……火が入ったような音がしたよ? もしかしたら……このまま行けるかな?」
「弱々しいですが……一応、動いています……かね? どうですか? セレーネ先輩」
「うん、さっきよりもちゃんと動いて……あっ」
「ああ! 止まっちゃいました……」
「寝起きの私くらいやる気がありませんねー。駄目だこりゃ」
不思議なことに、先程よりも長く稼働状態を保ったものの……。
残念ながら、航行可能には至らなかったようだ。
「……あれ? もしかして私、無駄足だった?」
「うむ、そうとも言う!」
「いっそ清々しいわね、それだけはっきり言われると! 王族に無駄足を踏ませておいて、その態度とか……はぁ」
「す、すみません、本当にすみません……」
「いや、いいんだけどね? 港の視察も仕事の内だし、別に。このことであなたたちの評価が下がるようなことはないから、気にしなくていいわよ」
「ありがとうございます、殿下……」
ティオ殿下の厚情に感謝だが……王族が起動の鍵じゃなかったのか。
機関がそれっぽい反応をしただけに、完全な間違いではないと思うのだが。
「うーん、でっかい手はこれで打ち止めだぞ……どうする?」
「砂漠の海王様の慰霊祭をやるという案は、駄目でござろうか?」
「そういうのって、過去にきちんとやってあるわよ? もちろん、海王様が愛したこの船の上でもね。王都を出る前に調べてきてあげたわ」
「あー、本当にありがとうございます殿下。派手めな見た目の割にマメな性格で、素敵だと思います」
「それ、まさか褒めているつもりなの? ハインド……」
引きつった笑顔で殿下が俺に詰め寄ってくる。
不味い、失敗のショックのせいかやや口が滑り気味だ。
きちんと殿下に詫びを入れてから、俺は再び話を戻した。
「他は、どれも決定打にかける細々としたやつなんだよな……セレーネさんはどう思います?」
「私たちじゃ、機関部を弄れないっていう縛りが辛いよね……そうじゃなかったら、他にもっと有効な手段を採れると思うんだけど。ごめん、今は何も思いつかないよ」
「そうですよね。うーん……」
ここまでやって駄目という結果に、俺たちが難しい顔で向かい合っていると……。
「――随分と苦戦しておるようじゃのう」
異質な声が開いた扉の外から響いた。
随分と久しぶりにその人の生の声を聞いた気がするのは、おそらく気のせいではない。
何故なら、ティオ殿下との交流が始まってからは会う機会が減っていたからだ。
周囲に畏怖と敬意、張り詰めるような緊張感を与えるその麗しい声の主は――。
「どれ、悩める鳥たちに妾が知恵を授けてやるとしよう」
「――姉上!?」
ティオ殿下の姉、女王パトラその人だった。




