パン屋と部長と新イベント
「食欲の秋……」
ぽつりと、放課後の調理実習室にそんな呟きが響いた。
しかし俺は無視して、部の活動報告書をつらつらと書き進めていく。
直に生徒会室に持って行ける立場になったのは楽だが、確認は他の役員に頼まなければならない。
こういうのは未祐よりか緒方さん……いや、一年生にやってみてもらうのもありだな。
行く行くは必要なことだし、俺たちが忙しい時の補助にも――
「食欲の秋なのよぅ、亘ちゃん!」
「何ですか、井山部長。手伝わないならせめて静かにしていてくださいよ」
「亘ちゃんが冷たい……お姉さん悲しい……」
「それ、人に報告書の作成を丸投げしておいて言う台詞ですか……?」
そして、それをただ眺めているだけの人からのものとは思えない仕打ちである。
報告書に記載する内容は、料理部の場合は先月作ったもののメニューを全て。
作ったものを食べた料理部以外の部がどこか、作った料理の味の評価などについても大雑把に。
これらの活動記録に関しては、写真付きで普段からまとめているものがある。
だから、それを参考にしながら書けば特に問題なし。
正直、誰が書いても大差ない内容なので井山先輩一人で十分な仕事と言える。
「食欲の秋なんだから、料理部が活躍する季節だと思うのよ!」
「……で、何ですか? 部長は焼き芋でもしたいんですか?」
「いいわねぇ、焼き芋……立ち上る焚き火の炎と煙、それに段々と混じる甘い香り……熱さを我慢して焼き上がったお芋を半分に割ると、湯気と一緒に黄金色の実が……」
井山先輩がうっとりとした表情で想像の中の焼き芋と戯れている。
おお……本当に熱々の芋を持っているような動きだ。
しかし、残念ながら料理部として焼き芋を行うというのは難しい。
「楽しそうなところ申し訳ないですけど、学校で焚き火は無理ですよ? 現実的に考えて」
「ど、どうして!?」
「消防法とか近隣への煙の考慮とか、色々あるんで。やれたとしても、管理責任者として先生に付きっ切りになってもらわないと」
「夢のない話ねぇ……」
「サツマイモを使った料理ということであれば賛成です。普通にグリルとかを使った焼き芋でもいいですし。もうちょい凝るなら大学芋とか、スイートポテトとか」
「夢が広がるわね!」
「どっちですか」
話している間に書類ができた。
筆記用具をしまい、行きましょうと視線で井山先輩を促す。
「あれ、今日は未祐ちゃんと帰らないの?」
生徒会室に書類を置き、鍵を職員室に返して井山先輩とそのまま校舎の出口に向かう。
そこで井山先輩は不思議そうな顔で訊ねてくる。
「未祐なら先に帰りましたよ。今日は生徒会も何もないんで、友達と一緒に」
「亘ちゃんたちの代になってから、びっくりするくらい生徒会の居残りが減ったよねぇ……」
「先輩方には失礼ですけど、去年までは効率の悪い点が多かったですから」
放課後の活動が減った分だけ、休み時間――特に昼休みなどは大変なことになっているが。
まあ、慣れるまでの辛抱だ。
一年生たちにもこの体制は好評だし、最適化が済めばもっと余裕ができるはず。
ということで井山先輩に呼び出された俺は、放課後の活動がない生徒が帰ってからおよそ三十分ばかり遅れての下校となっている。
「そっかそっか。じゃあ、寂しい亘ちゃんは先輩と一緒に帰りたいんだ?」
「元はといえば、部長が呼び出したからみんな先に帰っ――はぁ、もういいです。正確に言うと、部長ではなく部長のお家のお店のほうに用がありまして」
「照れ隠しかな? このこのぉ」
照れ隠しではなく、普通に「井山ベーカリー」に用があるだけなのだが……。
いつもかなりサービスしてくれるので、あまり強くも出られない。
「……何でもいいんで、一緒に行ってもいいですか? パン買いたいんで」
「苦しゅうない。許す!」
「どこのお大尽様ですか……」
井山ベーカリーは癖の少ない酵母の香りと、柔らかい食感の生地が地元で人気の店である。
喫茶ひなたに食パンを卸してもらっているし、こうやって普通に家で食べる分を買いに来ることも多い。
「いらっしゃい亘ちゃん。生地、捏ねていくかい?」
いきなりそんなことを言われても、反応に困る。
俺が店に入るのと同時に、奥からエプロンを着けた男性が現れた。
「客にそんなことを言う店は初めて見ました……」
「僕も初めて言ったなぁ」
「もう、お父さんったら。いらっしゃい、亘ちゃん」
笑顔で窘めるように言ったのは井山部長のお母さん、生地捏ねを勧めてきたのがお父さんだ。
これはあれか、少し前に料理部で焼いたパンを井山部長が持ち帰ったせいか。
こう言われるということは、本職の方にもそれなりに好評だったらしい……単なるお世辞、もしくは学生ということで甘めの評価かもしれないが。
「実乃梨、荷物置いてきたら店番変わって頂戴」
「いいけど、お母さんはどっか行くの?」
「夕飯のお買い物」
「そっか。ちょっと待ってて」
他のお客さんもいるので、短い会話で親子はそれぞれ移動していく。
残された俺はゆっくりとパンを選び――
「はい、こちら焼き立てですよー」
部長が戻り、甘い香りを立てるトレイを棚に差し込む。
そして俺のトレイにひょいひょいとそれを……って、ちょっと!?
「十個買ってくれたら二個無料にしてあげる!」
「クロワッサン十個……まあ、ウチならすぐに消費できる量ですけど」
「味見もどうぞー!」
「もほっ!?」
他のお客さんが帰ったからって、やりたい放題だな!
口の中に程よい甘さと層になった生地のサクサク食感が美味しい。
……予定とは違ってしまうが、買うか。クロワッサン。
「……そういや部長、他の三年生に比べて随分のんびりしてますけど。大丈夫なんですか? 色々と」
「ああ、受験の話? 私はパン屋を継ぐ気満々だからね!」
「他の店で修行とか、するんですか? それともここで?」
「それはまだ分からないけど、食品衛生の資格はちゃんと取るよ」
「へー」
部長は部長なりに、先のことをしっかり考えているらしい。
卒業後も、この店に来れば会えるかもしれないのか。
「料理部にもギリギリまで顔を出すから、よろしくね! 亘ちゃん!」
「そっすか……」
それを聞いてちょっとホッとしたような気分になったのは……見抜かれているのか、これは?
ふんわりとした笑顔を作った部長が、端切れ品いる? と訊いてくれる。
端切れ品は調理パンに使う際にカットしたパンの耳だったり、形を整える際に切った部分を集めたものだ。
そのまま食べても調理に使ってもいいので、ありがたくそれらも買うことにする。
……あまり買い過ぎると、消費し切れるかどうかが心配だが。
そのまま少し話し込んでいると、スマートフォンがポケットの中で震えていることに気が付いた。
「――と、すみません」
断ってトレイを置き、画面を見るとメールだった。
開いてみると……。
送信者:未祐
件名:無題
本文:シンイベント、キタ
オマエ、ワタシ、ログイン、スル
イッショニ、ログイン、スル
ハヤクカエレ
………………。
………………なにこれ?
「部長、何か怪文書が届いたんでそろそろ帰ります」
「……怪文書? ……ああ。ふふっ、未祐ちゃんでしょう?」
正解である。
俺は適当に頷きを返しつつ、レジへとパンで一杯になったトレイを持って行った。
とりあえず、帰ったらこれでおやつかな。